もじのすけ の文字ブログ

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文字について考えたことをつづっています

手書き文字と活字の違い(4) ~文字の方向性~

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【目次】 

 

1 テーマは「文字の方向性」

 

こんにちは。もじのすけです。

 

今回は

手書き文字と活字の違いとして、

文字の方向性

のお話をしたいと思います。

 

手書き文字と活字の違いについては、

過去に何度か記事を書きました。

手書き文字と活字の違い(1)では

 手書き文字と活字の良さ

手書き文字と活字の違い(2)では

 手書き文字の情報量が多いこと

手書き文字と活字の違い(3)では

 手書き文字の圧倒的な情報量

について書きました。

 

今回は、

それらの話とはちょっと違います。

手書き文字と活字について

別の観点での機能の違いに

気づきました。

それが

文字の方向性です。

すなわち

文字は誰に向けられているのか

という話です。

 

  

それでは、

考えるきっかけになった

出来事をご紹介するとともに、

文字の方向性について

考えてみたいと思います。

 

 

2 息子(5歳)の文字

 

ある日仕事を終えて帰宅すると

家族がすでに寝ていて、

リビングの食卓の上に

こんな紙がありました。

 

どうやら息子(5歳)の

手書き文字のようです。

下に示します。

 

なお、公開については

ご本人様の了承済みです。

 

ご機嫌を損なわないように

当方の事情を説明し、

都合が悪いところは早口にして

ご意向をうかがった結果、

快諾していただきました。

 

 

それがこれです。 

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読みにくかったらすみません。

(おくすり)

(かみのけ)

(といれ)

(おふろ)

 

「く」「り」「か」「と」は

左右逆の鏡文字になっています。

2行目の左の1文字目は、

おそらく

「か」の書き間違いでしょう。 

 

薬をのむ、

ぬれた髪の毛をふく、

トイレに行く、

お風呂に入る。

 

書いている内容からすると

彼が夜寝る前にするべきことが

並んでいます。

自分に向けた注意書きのようです。

 

文字と絵の中で挙げた、

洗面所の壁にある

娘のはみがきの張り紙と

同じ目的のようです。

 

書ききればよいものを

かっこ書きにしている点に

彼の慎重な性格が表れています。

 

私は、

誰もいないリビングで

彼の手書き文字を見て、

ほっこりしてしまいました。

 

そして、ハタと気づきました。

 

 

気づいたのは 

息子の注意書きも、娘の張り紙も、

自分自身に向けて書かれている、

それなのに、勝手に

別人(私)がほっこりしている、

という事実

です。

 

 

3 文字は誰に向けたものか

 3-1 手書き文字の指向性

皆さんは、

手書き文字を書くときに

誰に向けて書きますか。

 

それは、

自分か、特定の誰か、

ではありませんか。

 

しかも、

その特定の誰かはたいてい1人

ではありませんか。

 

手書き文字の主な用途は、

自分へのメモ、記録や、

特定の他人1人へのお手紙、連絡

など、だと思います。

 

例外的な場合として

考えられるのは、

・学校で黒板に書く場合、

・プレゼンでボードに書く場合

・読み手の周囲の人も読むと

 わかっていて

 手紙や年賀状を書く場合

・書道を習っていて

 展覧会で書を展示する場合

・手で書いたものをコピーして

 拡散する場合

などでしょうか。

どれも

限定的な場合といえそうです。

 

ちなみに

・手で書いたものをコピーして

 拡散する場合

の例として、

一部の有名人が

自分のブログの全部または一部を

直筆にしているときがあります。

 

例えば、

いっこく堂さんのブログ

いっこく堂オフィシャルブログ「ドゥーチュイムニイ」Powered by Ameba

壇蜜さんが毎週末に載せるお手紙

週末のおてがみ。|壇蜜オフィシャルブログ「黒髪の白拍子。」Powered by Ameba

 

このような

直筆を載せるブログの形式は

先進的か温故知新的だ

と思います。

ですが、

このような形式はまだまだ少なく、

やはり限定的な場合だと思います。

 

 

今回の息子のメモ書きも

以前の娘の張り紙も

明らかに注意書きとして

自分に向けたものでした。

 

ほとんどの場合、

手書き文字は

自分か誰か1人に向けて使われる

と思います。

 

あえてネーミングするなら

「手書き文字の指向性」

でしょうか。 

 

これが

手書き文字のときの

文字の方向性だと思います。

 

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 3-2 活字の開放性

それでは

活字の場合はどうでしょうか。 

 

皆さんは、

活字をどんなときに使いますか。

 

ほとんどの方は、

文章を作る場合の大部分で、

活字を使っているのではないか

と思います。

例えば、

・LINE

TwitterFacebookなどのSNS

・メールやショートメール

・各種電子文書・紙の文書 

などなど。

 

スマホタブレット、パソコンを

使う場合はもちろん、

ガラケー利用の場合も

活字を使っていると思います。

 

私たちの生活が、

活字離れどころか

活字にまみれて「活字べったり」

の状態であることは、

「活字離れ」は読み方の問題 - もじのすけ の文字ブログ

の中でお話ししました。

 

では、その活字は、

誰に向けて

使っているのでしょうか。

 

例えば

・自分だけに向けているとき

・特定の誰かに向けているとき

・特定のグループに向けているとき

・不特定の人に向けているとき

・特に誰かに向けて書いたわけでも

 ないとき

のどれかではないでしょうか。

 

これって、実は

ほぼ全部の場合が

入っていますよね。

ですので、 

活字は

あらゆる場合に使用されうる

という性質を持っている

と思います。

 

また、活字が

誰にとっても読みやすいように

制作されていることも

あらゆる場合に使用されうる

という活字の性質の根拠の1つ

だと思います。

 

この性質を 

あえてネーミングするなら、

「活字の開放性」

といえるでしょう。

 

(開放性があるといっても、

 絵とは違い、

 活字は文字ですので、

 読む人にしてみれば、

 自分への一定の指向性を感じる

 と思います。)

 

 

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4 指向性と開放性は時代による

 

さらによく考えてみると

「手書き文字の指向性」と

「活字の開放性」について

以下の疑問も生じてきそうです。

 

すなわち、

指向性(特定の人に向ける)

開放性(あらゆる場合に使う)

といっても、それは

文字を使う場面の話であって、

文字自体の機能の話ではない。

だから、

手書き文字だから指向性、

活字だから開放性、

とは断言できないのでは?

という疑問です。

 

この疑問については

あれこれ考えてみたのですが、

そのとおりだ

と思いました。

 

 

例えば、

手書き文字でも

江戸時代の瓦版などは

明らかに手書き文字が

不特定多数の人に向けらています。

 

江戸時代の

文書全体の流通量からしても、

瓦版は限定された例外的な場合とは

いえないでしょう。

 

 

また、

紙や墨や筆が発達した

7世紀(600年代)は、

手書き文字が

公文書や私文書に用いられ、

開放性があったといえそうです。

文字を書くことは歴史をなぞること(1) ~漢字・木簡・紙・墨・筆~ - もじのすけ の文字ブログ

 

この記事で書いた

漢字などの流通のいきさつも

主に手書き文字の流れになります。

手書き文字に

開放性があったといえましょう。

 

 

抽象的な概念としての「文字」

ではなく、

媒体に印字された

具体的な文字(群)は、

人がコミュニケーションのために

実際に使うものです。

 

その結果、

その具体的な文字(群)の性質は

社会の変化とともに

流動的に変化します。

 

昔々、あるところで

一定の人たちの間で

文字として使っていたものが

あるとします。

 

時が流れ、それを

もはや誰も使わず、

読み書きできなくなる。

そんなことが

起こる場合もあります。

 

つまり、

実際に印字される文字は

社会の変化とともに、

文字として使われなくなる、

ということさえ起こりえます。 

 

以上のことからすれば、

手書き文字の指向性、

活字の開放性は、

あくまで

現代における使われ方

を表しているだけだ

と思います。

 

 

 

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5 現代の手書き文字の指向性

 

私が見た息子の文字は、

明らかに

息子自身に向けたものでした。

ですが、

私はそれを見て

ほっこりしました。

 

この事実は、

現代における

手書き文字の指向性

との関係では

どのように

理解できるのでしょうか。

 

手書き文字と活字の違い(3) - もじのすけ の文字ブログ

では、手書き文字の良さして

・暖かみがある

と書きました。

この「暖かみ」に関連しそうです。

 

また、

手書き文字と活字の違い(3) - もじのすけ の文字ブログ

では、

手書き文字の身体性のお話や、

手書き文字を読む人が

「書く人」を意識するというお話を

しました。

これらの点にも関連しそうです。

 

 

他方、活字は、現代では、

開放性を持つものとして

使用されています。

 

今回、息子の書いた文字が

活字であったとしたら

どうなったでしょうか。

 

私は興味を持たず、

見なかったと思います。

 

もし、

その活字をぱっと見たとしても、

息子が作ったものかどうかさえ

わからなかったことでしょう。

 

さらに百歩譲って、

見て読んだとしても、

絶対に

ほっこりしなかった

と思います。

 

 

要するに、

手書き文字は

指向性を持っているが、

同時に身体性を持ち、

読み手に「書く人」を意識させる

ということだと思います。

 

そして、

その手書き文字が

向けられていない人にも、

書き手(今回は息子)という

「人の存在」を感じさせる。

その結果、私はほっこりした、

ということでしょう。

 

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(フリー素材の写真です。)

 

 

6 手書き文字と暮らし

 

長ったらしい文章になりましたが、

今回の話は、一言で言えば、

手書き文字は宛先の人以外にも

影響を与えやすい

というお話でした。

 

話は飛びますが、

今回考えを進める中で、

自分が一人暮らしをしていたときの

ことを思い出しました。

 

殺風景な部屋に住んでいました。

ときどき、自分向けの標語を

書いてみて、貼ったりしましたが、

しんどくなって目をそらしたり、

すぐにはがしていました。

 

今なら、

自分宛てでない、

自分の好きな人の手書きのものを

部屋に貼ったらよかったな、

と思います。

 

その手書き文字の

自分に向かっていない

指向性でさえ

しんどいこともあるでしょう。

そのときは、

文字より指向性が弱い、

絵や、絵みたいな文字を

貼ればよかったなと思います。

 

要するに、使い分けですね。

 

物にもよりますが、

和室によくある

掛け軸の絵や文字が、

目に入るだけで気持ちよいのは

そういうことだったのだな、

と思いました。

 

余談ですが

活字も、

開放性があるとはいえ

文字である以上

読む人にとっては、

一定の指向性があります。

それゆえ、

本棚の本の並べ方や

タイトルその他の活字の

目の入り方にも

気をつけた方がよいな、

と思いました。

 

 

今回は、

文字の方向性

すなわち、

手書き文字の指向性と

活字の開放性に

気づいた

というお話でした。

 

 

今回はこれまでにします。

おつかれさまでした。

 

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