もじのすけ の文字ブログ

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文字について考えたことをつづっています

手書き文字と活字の違い(5) ~文字の私事性・公共性①~

 

 

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【目次】 

 

 

1 テーマは「文字の私事性・公共性」

 

こんにちは。

もじのすけです。

 

前回の記事 

手書き文字と活字の違い(4) ~文字の方向性~ - もじのすけ の文字ブログ

では、

現代における

文字の方向性の話として

・手書き文字の指向性

 (特定の人に向けるもの)

・活字の開放性

 (あらゆる場合に向けるもの)

について書きました。

 

今回は、

関連する続きの話として、

文字の説明機能

について考えます。

そして、

文字の領域性の話として

文字の私事性・公共性

についてお話ししたいと思います。

 

 

 

2 ペットボトルを見て感じたこと 

 

ある朝、

いつものように職場に着き、

給湯室に行きました。

ミネラルウォーターのペットボトルを

手に取ったとき、

私はふと思いました。

 

もし、

自分が飲もうと思って

持っているこのペットボトルに

ラベルが貼ってなかったら

どうなるだろうか、と。

 

みなさんも想像してみてください。 

 

 

誰の物かもわからない

透明なペットボトルの中に、

透明な液体。

 

急に不安になってきます。

 

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私はこれをどう扱ったらよいのか?

 

このペットボトルが

誰の物かも心配ですが、

それ以上にそもそも透明な液体が

何なのかが心配になってきます。

 

今、このペットボトルを

持っていていいのか、

この液体は危険物なのではないか

と疑い始めます。

 

中身を聞ける相手が

周りにいない場合には、

五感をフル稼働する必要が

出てきそうです。

 

 

ふたを開けて

臭いをかいでいいのか。

混ぜるな危険系の

有毒ガスだったらどうしよう。

 

この液体は、一体何なのか。

自分の限られた知識で

考えられるのは、

水、砂糖水、毒物、薬剤、油、

酒、海水、川の水、池の水、

雨水、下水。 

 

私だったら、

どの可能性も絞りきれません。

 

とりあえず

誰の物かもわからない、

その透明液体入りの

ペットボトルを置いて

その場を離れるでしょう。

 

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この私の不安感の原因は

どこから来るのでしょうか。

 

 

おそらく

水を飲む目的からすると

ペットボトル入りの

透明な液体の性質を

目だけで判断するには

情報が足りなさすぎる、

という点にあると思います。 

 

つまり、

文字抜きの視覚情報の限界

を感じている

ということでしょう。

 

「ミネラルウォーター」と説明する

ペットボトルのラベル。

 

文字による説明を

普段、自分がいかに信用しているか

を実感しました。

 

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3 文字の説明機能 

 

話が少しだけ飛びます。

 

絵と文字を比べた場合、

絵と文字の情報伝達量は

書き手や読み手が目的とする

情報の種類によって

相対的に変わります。

このことは、

以前の記事である 

文字と絵の違いは「発音」 - もじのすけ の文字ブログ

の中の「絵は発音できない」の項で

織田信長の人物画

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紙本著色織田信長像(狩野元秀画、長興寺蔵)

Wikipediaより引用

を例に挙げて示しました。

 

今回は、

絵ではなく実物の見た目の情報と

文字の情報との

違いについて

考えていることになります。

 

私が手に取ったペットボトルの

実際のラベルの文字には、

中身の液体が水である

という説明がありました。

その機能をここでは、

「文字の説明機能」とします。

 

それでは、文字の説明機能は、

手書き文字と活字で

違いがあるのでしょうか。

 

もう少し、前の想像を続けましょう。

 

 

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4 手書き文字の私事性

 

それでは、

さきほどのペットボトルに

油性ペン+誰かの手書き文字で

「飲料水」という

説明があったらどうでしょうか。

 

飲めますか?

 

「どうやら水のようだ。」

「危険物ではなさそうだ。」

という印象は受けます。

その意味で、

文字の説明機能が

一定程度作用していると思います。

 

ですが、

私はその中の液体を飲めないです。

 

以下の点が気になるからです。

 

誰が書いたのか?

←「手書き文字は書く人を意識」

手書き文字と活字の違い(3) - もじのすけ の文字ブログ

 

本当か?目的は?

いたずらではないのか?

←「書く人の書く動作の読み取り」

手書き文字と活字の違い(3) - もじのすけ の文字ブログ

 

誰に向けて書いているのか?

←「手書き文字の指向性」

手書き文字と活字の違い(4) ~文字の方向性~ - もじのすけ の文字ブログ

 

手書き文字の内容にもよりますが、

私は依然として

かなりの不安を覚えます。

 

書く人が、誰に向けて

どんな目的で書いたのか、

すなわち、

手書き文字の指向性

(特定の人に向けたもの)

の行先と目的が気になるからです。

 

手書き文字には

書く人の個人的な事情が表現されており、

読み手としては、

書き手の目的と相手が気になる。

 

その意味で、

手書き文字にはプライベート感があり、

これを

「手書き文字の私事性」

と名付けたいと思います。

 

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5 活字の公共性

それでは、

そのペットボトルに

活字で

「飲料水」という

説明の記載があったら

どうでしょうか。

 

やはり、私は

怖くて飲む気にはなりません。

 

ですが、

透明な液体について

危険物ではなく水だろう、

という推測はすると思います。

そして、

その推測は、手書き文字の時より

強くなると思います。

 

文字としての説明機能が

比較的強めに働いている、

ということでしょう。

 

さらに、私の場合は

無意識的ではありますが、

「わざわざ活字にしている以上

 多分説明どおり飲料水だろう。」

と推測すると思います。

その意味では、

手書き文字の時より、

文字の説明機能への信頼度が

上がっています。

 

手書き文字の時よりも

説明の信頼度が上がるというのは

どういうことでしょうか。

「わざわざ活字にしている」

という点に根拠がありそうです。

 

そこで、

その意味を考えてみました。

 

 

前回の記事では

手書き文字と活字の違い(4) ~文字の方向性~ - もじのすけ の文字ブログ

「活字の開放性」

(あらゆる場合に向けたもの)

について書きました。

 

活字は、

何らかの公式の場や

他人に対するフォーマルな場合も

想定していると思います。

 

「誰が見てもよいように

 活字にして説明している。」

ということが、

「わざわざ活字にしている」

の内容ではないかと思います。

 

活字は

あらゆる場合を想定しており

(活字の開放性)、

不特定の人に対して用いる場合も、

当然に含まれている。

 

その意味で、

「活字の公共性」

が説明の信頼度上昇の

キーワードになっている

と思います。

 

  

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6 文字の領域性は程度問題

 

以上にみてきたとおり、

透明なペットボトルの中の

透明な液体を出発点とし、

想像(妄想?)が広がり、

文字の説明機能を感じ取りました。

 

そして、

その説明の信頼度を見ていく中で、

文字の領域性 、すなわち

・手書き文字にプライベート感あり

 (手書き文字の私事性

・活字は公的な場面も想定

 (活字の公共性

という2つの傾向について

考えました。

 

ただし、

これらはあくまで

大まかな傾向にすぎないと思います。

 

書きぶりによっては、

手書き文字でも

公共性はあると思います。

(例:「賞状」という題名。

   暗号以外は第三者も私信を

   読むことが可能。)

また、

記載の仕方によっては、

活字にも私事性はあると思います。

(例:なぞなぞの正解を

   見えにくいところに記載)

 

その意味では、

文字には

私事性も公共性も存在します。

つまり、

文字の領域性の2つの性質は、

程度の問題だと思います。

 

 

 

7 男子トイレのケース

 

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私が大学生だったときのことです。

大学の男子トイレには

小便器がいくつか並んでいました。

よくある光景です。

 

その並んでいる小便器の1つで、

今まさに用を足そうとしたその時、

私は、目の前の壁に、

落書きがあることに気づきました。

 

「水出ない」

 

もちろん手書き文字です。

 

周りを見るとそこだけに

書いてあります。

 

私は動揺を抑えきれませんでした。

 

流すボタンは付いています。

・押して確かめるか(積極策)。

・隣へ移動するか(消極策)。

 

無理にボタンを押して

故障が拡大したらどうしよう。

いや、ここまで来て隣に行くのか。

 

こんなとき、

あなたが男性ならどうしますか?

 

 

私は悩んだ末、ボタンを押しました。

 

水は流れました。

 

「水出ない」はいたずらでした。

 

「水出ない」の警告は、

手書き文字ゆえに、

その小便器の使用希望者

(今回は私)だけに向けた

強いメッセージ性がありました。

(手書き文字の指向性、私事性)

 

そして、

その強いメッセージ性の

目的の不安定さに、

私は動揺したのでした。

 

 

もし、「水出ない」が

活字の警告だったら、

どうなったでしょうか。

 

私は、活字の「水出ない」を見て、

万人(正確には一定の男性)向けの

公共性のある警告として受け入れた

と思います。

 

そして、

流すボタンを押さずに

あわてて隣に移ったことでしょう。

(活字の開放性、公共性) 

 

まるで、うっかり女性専用車両

飛び乗ってしまったときのように。

(ただし、その時の

 女性の視線は私への超指向性

 キタナイ物を見た感は超私事性)

 

 

最後は話が逸れました。

 

文字の説明機能

文字の私事性・公共性については、

もう少し考えてみようと思います。

  

今回はここまでにします。

おつかれさまでした。

 

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