もじのすけ の文字ブログ

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文字について考えたことをつづっています

あの人の字をなぞってみた(3)【性格読み取り編】(ネタバレあり)

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【目次】

 

 

1 今回はなぞってみた感想

 

こんにちは。もじのすけです。

 

前回の記事は、

なぞってみたシリーズ第6弾の

【クイズ編】でした。

その中で、

直筆の問題文の書き手である

有名人を当てるクイズと正解を

ご紹介しました。

 

今回は、

クイズの問題に出した書状をもとに、

その有名人の字を

なぞってみた感想

(有名人の性格の読み取り)を

書きたいと思います。

 

ネタバレがありますので、

知りたくない人は、

この記事をここで止めるか、

前回の記事を先にお読み下さい。

 

前回の記事はこちら。 

 

mojinosuke.hatenablog.com

 

(ネタバレが嫌な人はここまで)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2 あの人の文字の特徴

 

 2-1 あの人の情報と書状

前回の記事の書状を書いた人は、

室町幕府第3代将軍

足利義満 でした。

 

ということで今回の隠れタイトルは

 足利義満の字をなぞってみた」

です。

 

 

足利義満の業績はこちらです。

足利義満 - Wikipedia

生没 1358年9月25日~1408年5月31日

概要

足利 義満(あしかが よしみつ)とは、室町時代前期の室町幕府第3代将軍(在職1368年 - 1394年)である。父は第2代将軍足利義詮、母は側室の紀良子

朝の合一を果たし、有力守護大名勢力を押さえて幕府権力を確立させ、鹿苑寺金閣)を建立して北山文化を開花させるなど、室町時代の政治、経済、文化の最盛期を築いた。義満が邸宅を北小路室町へ移したことにより、義満は「室町殿」とも呼ばれた。のちに足利将軍を指す呼称となり、政庁を兼ねた将軍邸は後に歴史用語として「室町幕府」と呼ばれることになった。

 

足利義満の姿といえば、

下の左の像が有名です。

下の右のマンガでも、

明らかにこの像を意識した感じが

伝わってきます。

 

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(左)足利義満像(鹿苑寺蔵) Wikipedia足利義満」より。

(右)学習まんが 少年少女日本の歴史8 南朝北朝 ―南北朝室町時代前期―(小学館

   監/児玉幸多  まんが/あおむら純 発売日1998/2/4 より

 

足利義満

前回の記事の書状を書いたときは

像よりもはるかに若い、21歳。

果たして

どんな人物だったのでしょうか。

 

書状の全体の画像と釈文を

以下に示します。

 

もじのすけは、

ボールペンで3回、指で1回、

なぞりました。 

 

なぞったことがない方は、

もしお時間があれば、

指でもいいので、

是非なぞってみて下さいね。

 

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いずれも

「書の日本史〈第3巻〉鎌倉/南北朝」(今井庄次編)

平凡社 初版 昭和50年)P284、285

釈文は佐藤和彦氏のものを

引用させていただきました。

 

(もじのすけ勝手訳。誤訳御免)

敬白 お願い事

石清水八幡宮

寿命長遠を祈り、感謝申し上げます。

神領として土地を奉納いたします内容は

このとおりです。

    康暦2年6月1日

        右大将義満(花押)

 

それでは、

足利義満の手書き文字の

特徴を見ていきましょう。

 

 

 2-2 特徴1 字が太い

なぞってみてまず分かることは、

字が太い ということです。

(なぞらなくても分かりますが)

 

例えば以前の記事

豊臣秀吉の字と比べてみて下さい。

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「書の日本史 第5巻 安土桃山/江戸初期」(初版 平凡社 昭和50年)

102,103ページ

豊臣秀吉の字は、

さらさらっとした感じですよね。 

 

また別の記事

織田信長の字と比べてみて下さい。

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戦国武将の手紙を読む―浮かびあがる人間模様」(小和田哲男著 中公新書 2011年)

194ページから織田信長の書状と翻刻小和田哲男

 

織田信長の字は、

スッキリした感じですが、

筆運びは速そうですよね。

 

 

これに対して

今回の足利義満の字(再掲)。

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明らかに太く、

そして読みやすいといえます。

じっくり書く人であることが

伝わってきます。

 

足利義満の字は上手いのでしょうか?

もじのすけは素人なので、

正直なところ、よくわかりません。

ただ、

あちこち気になる点があるので、

上手い!と断言できない感じがします。

強いて言えば、

中の上~上の下くらいなのかな、

と思いました。

 

 

 2-3 特徴2 文字の墨の色が濃い

字の上手さよりも気になったのは、

文字の墨の色の濃さです。

先に挙げた

織田信長の字や豊臣秀吉の字を見ると 

文字の墨の色がしだいに

薄くなっています。

そしてまた濃くなって薄くなる。

その繰り返し。

筆を墨に浸けて、書き続けていたら、

普通はそうなるでしょう。

 

ところが足利義満の字では、

かすれているのは、

神領之」の「之」の字と

「康暦二年六月一日」の

「六月一」 くらい。

あとは全部真っ黒です。

 

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このことからよみとれるのは、

足利義満は、

何文字かに1回、

もしかすると1文字ずつ、

筆を墨に浸している、という事実です。

本文は1字1字が独立していますので、

1文字ずつの可能性が高そうです。

慎重で、

粘っこくて細かい性格

だと思われます。

 

しかし、これだけでは

「字が太いのも

 墨の色が濃いのも

 神社に奉納するために

 丁寧に書いただけでは?」

という人がいるかもしれません。

 

本当にそうでしょうか? 

もう少し読み取ってみましょう。

 

 2-4 特徴3 「はらい」が重い

次にわかるのは

「はらい」が重い、ということです。

というか、ほとんどはらってない。

とめているけど溜めていない。

 

「敬」と「石」 

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「敬」の右払い

「石」の左払い をとめている。

 

「水 八」と「長」

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「水」「八」はとめている。

「長」だけははらっている。

 

「奉」と「為」

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「奉」は左も右もはらわずに

続けており、

筆が紙からなかなか離れません。

そして

「為」の左はらいも、とめている。

 

「状」 

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「状」の右はらいをせずに、

逆に左に持っていっている。

そんなことはよくあるのか?

と疑問に思ったので、

東京大学史料編纂所

電子くずし字字典【文字一覧画面】

で「状」の字を調べてみました。

 

調べた結果「状」の右はらいでは、

最後の点を打つために右や上に

筆が行くことはあります。

ですが

足利義満のような

左への筆の運びは出てきません。

 

足利義満

この人は、・・・しつこい。

(それをわざわざなぞる私も?)

 

 

 2-5 特徴4 書き出しが重く、筆離れが悪い

足利義満の字は、

書き出しが重く、

書き終わりの筆離れが悪いです。

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「石」の一画目の「一」の

書き出しと止めがどちらも重い。

左はらいがはらわれず、

筆が真上に上がっているも

紙からなかなか離れない。

 

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左の「清」のうち

「月」の左払いも「石」と同じ。

「月」の「はね」も、

「さんずい」の「はね」も長い。

右の「壽」(寿)の「はね」も長い。

そこまではねなくても、というレベル。

筆が紙からなかなか離れない。

 

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「水」の書き始めがいずれも長い。

自己顕示欲の強さを感じさせます。

 

 

 2-6 特徴5 ときどき直線を曲げる

さらに、足利義満

ときどき、直線を曲げます。

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「命」「件」の最後の一画が

曲がっています。

曲げる必然性は特にありません。

めったに、はらわなかったのに、

むしろ、

まっすぐ下ろしてとめるだけの所で、

はらっています。

 

自分の気分で曲げる感じがあります。

 

かなり自分勝手で

好き放題する感じがあります。

 

 

3 文字の特徴から読みとれる性格

足利義満の手書き文字には、

(1)字が太い

(2)一字一字の墨が濃い

(3)「はらい」が重い

(4)書き出しが重く、筆離れが悪い

(5)ときどき直線を曲げる

という特徴がありました。

 

この特徴からは、

足利義満

粘着質で細かくしつこい性格

時にものごとを曲げる性格

が読み取れます。

 

21歳だからこそ気負って書いたという

さわやかさは感じられません。

むしろ

21歳にしては異様な「しつこさ」

を感じてしまいます。

 

弱点を強いて挙げるとすれば、

神領之」の「之」が

小さくなっている点でしょうか。

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これは、

スペースがなくなり、

動揺したためと思われます。

ここだけは弱さを感じます。

 

ですが、

全体の「しつこさ」からすると

こんな人には近寄りたくないです。

 

 

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4 一般的に言われている情報との比較

 

 4-1 歴史上の出来事との比較

21歳とはいっても、

足利義満が第3代将軍に就任したのは

10歳そこそこの時。

この書状を書いときには

将軍になって既に10年経っています。

 

足利義満がこの書状を書いたのは、

前年に、自分の後見人役を務めていた

細川頼之を遠ざけ、その代わりに

29歳の斯波義将を管領にし、

新たにコンビを組み始めたころの話です。 

(康暦の政変)

 

Wikipedia足利義満

1379年(天授5年/康暦元年)、義満は反頼之派の守護大名である斯波義将や土岐頼康らに邸を包囲され頼之の罷免を求められ、頼之は罷免される(康暦の政変)。後任の管領には義将が任命され、幕政の人事も斯波派に改められる。頼之に対しては追討令が下されるが翌年には赦免されて宿老として幕政に復帰しており、また政変後に義満の将軍権力が確立している事から斯波・細川両派の抗争を利用して相互に牽制させていたと考えられている。

 

家臣の力のバランスを

取っていたようですね。 

文字から読み取れる

足利義満の人物像と合っています。

 

21歳のときの文字も

21歳のときの歴史上の事実も

足利義満

しつこく、慎重で疑り深く、

そして老獪な性格を感じさせます。

 

ちなみに、余談ですが、

足利義満は、その後も大内氏などの

諸将の力を削いでいきます。

 

建武の新政(1333年)以来

斯波家は越前国の守護でした。

前述の斯波義将の子である斯波義重は、

足利義満による大内義弘討伐

応永の乱 1399年)に貢献しました。

斯波義重は、翌年、その恩賞として、

尾張国の守護にもなります。

このときの家臣に織田氏がいました。

 

織田氏はもともと越前の国人でしたが、

これを機に、

尾張国守護の斯波家の代官、

つまり守護代になります。

そして幾世代を経て、

織田信長へと繋がっていきます。

 

 

以上余談おわり。

 

 

話が逸れましたので元に戻します。

 

足利義満は、

人を使ってこまめに勢力を均衡させ、

ときに討伐する、という

老獪な性格だったようです。

文字の印象と一致していますね。

 

 

 4-2 一般的に言われている人物像との比較

Wikipediaでもう少し

足利義満」の人物像をみてみましょう。

 

足利義満は、

権力者でありながら、

「強きを助け、弱きを憎む」人

だったようです。

昔のタケちゃんマン

キャッチフレーズみたいですね。

 

また

時間にうるさく、かつ

服装にも結構口うるさい。

サディスティックで

ウザ系の人物

だったようです。

 

今川了俊は『難太平記』において大内義弘が「今御所の御沙汰の様、見及び申す如くば、よはきものは罪少なけれども御不審をかうぶり面目を失うべし。つよきものは上意を背くといえどもさしおかれ申すべき条、みな人の知る所なり(義満様の政治を見ると、弱い者は罪が軽くても厳罰に処され、強い者は命令に背いてもそのままにされる。このことはみなが知っている)」と語ったと記録している。

  (略)

義満は当時としては珍しく時間厳守を非常に重んじた人物であり、遅刻する者を厳しく処分したという[26]永徳元年(1381年)7月23日の内大臣大饗に遅刻した御子左為遠が翌日の出仕で義満から追い出されたり[27]、応永元年(1394年)の南都興福寺)の常楽会では義満が夜明けから桟敷に座り込み、遅参した公家・武家の同席を許さなかった[28]。 また義満は自分や周囲の服装にも口うるさく、応永13年(1406年)に明使を迎えるために兵庫へ下向した際には裏松重光山科教興らが当時の軽装である十徳を着用させられ、教興の父山科教言が「十徳の体、当世の風体」と嘆いている。自らは明使を応接する際には唐人の装束で歓待したという。また、朝廷においても毎月朔日の拝賀では武家装束の直垂を、中旬に行われる廻祈祷では公家装束である束帯の着用を指図しており、側近達は毎月直垂を新調していたという[29]

 (略)

 〔26〕早島大祐『室町幕府論』(講談社選書メチエ2010年88頁

 〔27〕 『後愚昧記』

 〔28〕『兼宣公記』

 〔29〕 上記〔26〕、140-141頁。『教言卿記』

が出典とのこと。

 

足利義満の人物像は

手書き文字から読み取れる性格と

一致しますね。

 

 4-3 他の自筆書状との比較

京都府立京都学・歴彩館のHPの中の

東寺百合文庫のコーナーに

足利義満の48歳(1406年)の時の

自筆文書があります。

 

これです。

き函/37/:足利義満自筆仏舎利奉請状|文書詳細|東寺百合文書

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(上の画像は50.平成27年度 東寺百合文書展 その3|東寺百合文書WEB

 の42番の資料の解説部分のもの。赤線は解説用の加工線)

 

明らかに

字がきれいになっています。

ですが、21歳の時の筆跡と

同じ特徴がいくつもあります。

 

なぞってみると

同じ人の筆跡かどうかが

結構わかりますよ。

 

 

ちなみに、この文書の解説はこちら。

50.平成27年度 東寺百合文書展 その3|東寺百合文書WEB

の42番の資料の解説部分です。

 

(ここからは余談です)

 

この文書のとき、

足利義満が東寺を訪れ、

仏舎利をいくつももらったようです。

もらった人と数が列挙されています。

 

最初の「愚老」が足利義満

次がお気に入りの稚児「御賀麿」。

その次が

足利義満の猶子である満済僧正。

 

ということで

足利義満がお気に入りの稚児を

どれだけ偉そうにさせていたかが

わかります。

 

お時間がある方は、

(旧)京都府立総合資料館のHPの資料

http://www.pref.kyoto.jp/shiryokan/resources/kaisetu20.pdf

のP3~P4にある

資料主任 武田修氏の記事

「将軍が愛した少年」を読んでみてください。

さきほどの

50.平成27年度 東寺百合文書展 その3|東寺百合文書WEB

の文書36~文書43の解説も同じ話です。

御賀麿と東寺はトラブっています。

 

足利義満

生前・死後(満49歳)にわたる、

御賀麿と東寺の所領のイザコザの

顛末が解説されています。

 

野次馬的に読んでみるのも

面白いかもしれませんね。

 

(以上余談終わり)

 

 

5 おわりに

いかがでしたか。

文字をなぞった方は、

違う足利義満の人物像を

読み取ったかもしれませんね。

 

昔の人は早熟だとしても

足利義満は、21歳のときから、

ねちっこくて、

疑り深くて、わがままで、

近寄りがたい性格の人だなあ

というのが私の感想でした。

 

子どものときから

いつ殺されてもおかしくなかった

と考えると、

それはそれで

仕方がないのかもしれませんね。

 

隠れタイトルの

足利義満の字をなぞってみた」は

以上で終わりです。

 

なぞってみたシリーズは

今後も続きます。

皆さんもよかったら、

他の人の手書き文字を見つけて

なぞってみてはいかがでしょうか。

 

金閣寺は観光で来日した外国の人に

人気だと聞いています。

今回であれば、

一般的な解説の他に、

金閣寺を作った人は

 (私は)こんな人だと思いますよ。」

と自分なりにちょっと解説ができるのも

よいかもしれません。 

 

歴史上の人物を生身の人間として

身近に感じることができますし、

とても面白いですよ。

史跡巡り、資料調べも

より楽しくなりますし。

 

それでは、本日はここまで。

おつかれさまでした。

 

 

みなさんの足利義満のイメージと

手書き文字は似ていましたか?

   学習まんが 少年少女日本の歴史8 南朝北朝 ―南北朝室町時代前期―(小学館

   監/児玉幸多  まんが/あおむら純 発売日1998/2/4 より 

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