もじのすけ の文字ブログ

もじのすけ の文字ブログ

文字について考えたことをつづっています

手書き文字と活字の違い(10) ~踏み字事件 手書き文字の残留性③~

f:id:mojinosuke:20170204135241j:plain 

【目次】

 

 

 

1 手書き文字に残っているもの 

 

こんにちは。もじのすけです。

前回前々回のお話を続けたいと思います。

 

 

 1-1 手書き文字の残留性

 

前回までの記事では、

手書き文字が、

書き手の気持ち(念)を残す話をしました

手書き文字の残念性)。

また、

まるで書き手の身体の一部

残っているかのように感じさせる話をしました

手書き文字の分身性・残像性)。

 

そして、

手書き文字の残念性

手書き文字の分身性・残像性

まとめて、

手書き文字の残留性

と、名付けました。

 

 

 1-2 ほかに残留しているもの

 

今回は、

手書き文字には、

書き手の気持ちや身体の一部のほかにも、

何かが残っているのではないか

というお話をしたいと思います。

 

今回の記事は長文です。

時間が無い方もおられるでしょうから、

結論を先に言います。

まだ2つのものが残っていると思います。

それが以下の2つです。

 

①文字で表された情報の存在感

②書き手の存在感

 

 

①の情報の存在感の例は、

何でもよいのですが、

あえて挙げてみます。

神仏の名前。

ほかには、

好きな人、好きな物の名前、

汚物の名称、など。

 

これらが文字で書かれていた場合を

想定するとわかりやすいでしょう。

 

 

②書き手の存在感の例は、

なんと言っても

手書きのお手紙でしょう。

 

自分に向けられた手書きの手紙を

手にとって読んでいるときのことを

想像してみて下さい。

書き手の顔が浮かんだりして、

まるで自分の近くにいるかのように

感じませんか。

 

 

それぞれ結論と例を書きましたので、

ここからは、順を追って、

もう少し具体的に検討してみましょう。

 

検討しているうちに長くなったので、

2回に分けます。

今回は

①文字で表された情報の存在感

次回は

②手書き文字の書き手の存在感

を検討します。

 

 

 

2 ①文字で表された情報の存在感

 

それでは、まず、

①文字で表された情報の存在感について

検討していきましょう。

 

先ほど、具体例として

神仏の名前や好きな人の名前など

を挙げました。

 

その中でも一番イメージしやすいのは、

なんでしょうか。

 

これからの話の中で、

もしみなさんが、

「文字に表された情報」の

具体例を忘れたときは、

「富士山」の文字が紙に書かれた

様子を思い浮かべてみて下さい。 

 

なぜ「富士山」か。

深い意味は全くありません。

単なる思いつきです・・・。

 

 

 2-1 情報の存在感は文字一般の話 

話の腰を折るようですが、

まず、ここで注意点を1つだけ

指摘したいと思います。

 

実は、

①情報の存在感を与える、という性質は、

手書き文字に限りません。

活字でも存在します。

手書き文字にも、活字にもある。

文字一般の性質

と言ってよいと思います。

 

さらにいうと

厳密には、文字に限りません。

絵の場合でも、

表された情報の存在感を感じさせます。

 

もっというと、

①表された情報の存在感は、

全般的に、

コミュニケーションの道具として

情報を表すもの

(例えば、ジェスチャーなどの

 絵でも文字でもない記号

に備わったものでしょう。

 

ですが、ここで 

情報伝達の表現の全体の話をすると

話が広がりすぎてしまいます。

 

なので、

あえて、文字に話を限定します。

このブログは文字ブログですし。

 

その中でも

手書き文字を話のメインにしつつ、

検討していきましょう。 

 

(以上で話の腰折り終わり) 

 

 

f:id:mojinosuke:20170207182437j:plain

 

 

 

 

 2-2 踏み字事件(志布志事件

突然ですが、みなさんは、

踏み字事件」

を知っていますか。

 

鹿児島県警の警察官が

選挙違反の容疑者

(後に無罪となった)を

取り調べたときの事件です。

 

密室で取調べをした警察官が

親族の名前や

親族がしゃべったかのような発言を

紙に手書き文字で書いて、

被疑者の足首をもって踏ませた、

というショッキングな事件です。

 

画像の方が見やすいでしょうが、

踏ませたイメージ図は

人によってはかなりショッキングなので

あえて文字で説明します。

 

Wikipediaでの説明

踏み字事件(志布志事件) 

 

はてなキーワードでの説明

d.hatena.ne.jp

 

NAVERのまとめ記事での説明 

(踏ませた時の再現画像もあります。

 見たい方はどうぞ。)

matome.naver.jp

(2020年9月をもってリンク切れの可能性あり)

 

踏み字事件の容疑者を含む、

この事件の公職選挙法違反の容疑者は

裁判で全員無罪になりました。

 

その後、

今度は踏み字事件の容疑者が

国や担当者を相手に裁判をして、

判決が出ました。

担当者や国の責任が認められたようです。

 

裁判所が事件の経過について

どんな判断をしたのかは、

調べればわかりますが、

ここでは省略します。

 

みなさんは、

踏まされた紙に

どんなことが書いてあったか

気になると思います。

こんな感じです。

志布志冤罪事件(事件史探求)

義父や孫からのメッセージだと言って、「こんな男に娘を嫁にやった覚えは無い」、「おじいちゃん、早く正直になって」などと書いた用紙を床に置いて、踏み絵ならぬ、踏み字を強要。

 

ご本人が再現した

踏まされた文字の画像は

こちらにありました。

同志社大学教授 浅野健一氏のHP

http://www1.doshisha.ac.jp/~yowada/kasano/FEATURES/2008/200805_2.html

その画像の記載を文字にしておきます。

(リンク切れ)

 

(実際は縦書きです)

「〇〇(もじのすけ註:父の名)

 お父さんは、

 そういう息子に

 育てた覚えはない」

 

「〇〇(もじのすけ註:義父の名)

 元警察官の娘を

 そういう婿に

 やった覚えはない」

 

「沖縄の孫

 早くやさしい

 じいちゃんに

 なってね.」

 

これを踏まされたそうです。 

みなさんはどう思われたでしょうか?

 

私はこの話を聞いたときに、

ひどいと思い、

とてもショックを受けました。

 

そして、

これが事実なら全くとんでもない話だ、

と思いました。

 

 

 

 2-3 踏み字は何がショッキング?

今回、 

踏み字事件を挙げたのは、

取調べをした警察の関係者を

非難したいからではありません。

その点はここでは議論しません。

 

踏み字事件を挙げたのは、

・なぜ社会的な反響があったのか

・なぜショックを受けるのか

という点を検討したいからです。

 

 

まず、自分で考えてみました。

 

自分が踏むことを強要される場面を

いろいろと想像してみました。

 

「〇〇(もじのすけ註:父の名)

 お父さんは、

 そういう息子に

 育てた覚えはない」

 

もし、踏まされた文字が

警察官が書いた手書き文字ではなく、

活字だったらどうでしょうか?

 

みなさんはどう思われますか。

 

・・・私なら

ショックを受けたと思います。

活字より手書き文字の方が

もっとショックですが。

 

それでは

踏まされた文字に名前が無かったら、

どうでしょうか?

手書き文字なら?

 

「お父さんは、

 そういう息子に

 育てた覚えはない」

 

・・・キツいです。

書いている内容からして、

発言した人(父)を

特定できるのでやはりキツいです。

 

それでは、 

名前が無くて、活字だけなら

どうでしょうか?

 

「お父さんは、

 そういう息子に

 育てた覚えはない」

 

・・・ やっぱり嫌です。

私は、文字を踏むのは嫌ですから。

前回の記事前々回の記事を参照。)

 

ですが、正直なところ、

名前が書いてなくて、

活字のセリフだけなら、

踏まされても、だいぶ気が楽です。

そんなにショックは受けません。

 

発言者が特定できますが、

名前も無いし、活字だし。

けっこう我慢できそうです。

(それでも嫌ですが。)

 

反対に、

名前があるか、手書き文字か

その両方だと、かなりの苦痛です。

その人の身体、

特に顔を踏むような気がして、

とても耐えられません。

(名前が無くて活字でも

 僅かながらその感じがあります。)

 

「〇〇(もじのすけ註:父の名)

 お父さんは、

 そういう息子に

 育てた覚えはない」

 

この文字の情報は、

①名前だけしかなくても

 その人(〇〇さん)を

 表す情報です。

②発言だけしかなくても

 その人の音声情報を載せています。

③②の音声情報の「音声」。

 その音声を人間が発するのは

 通常は口からです。

 

その結果、

私は、文字を踏んだとき、

名前だけでも、手書き文字だけでも、

その両方ならなおのこと、

その人の身体か顔を

踏んだような気持ちになるのです。

 

「お父さんは、

 そういう息子に

 育てた覚えはない」

 

この発言部分を踏んだ場合でも、

発言者の身体とは離れた

マンガの吹き出し部分みたいなもの

だけを踏んだ、

とは思えないでしょうか。

 

・・・思えないし、

そんな風に割り切れません。

 

その意味で、

手書き文字(厳密には文字一般)には、

①文字に表された情報の存在感が

 残っている

と思います。

 

 

 2-4 ①情報? ②書き手? 

ひょっとすると

ここで、こんな疑問をもった方が

おられるかもしれません。

「今までの話は、

 ①文字に表された情報の存在感

 ではなくて、

 ②書き手の存在感

 の話じゃないの?」

 

うーん。

違うと思いますが、

すぐには説明できないので、

ちょっと検討してみましょう。

 

今回の踏み字事件をよく考えてみると、

書き手 = 警察官  です。  

他方で、

文字から読み取れる発言者

 = 父、義父、孫  です。

 

つまり、

書き手(警察官)≠ 発言者(父など)

です。

 

そして、

容疑者とされた人は

目の前で警察官が書いた様子を見て

警察官=書き手  発言者=父」

を知っています。

 

言葉にすると

「発言内容の文字を

 発言者ではない警察官が書いた」

という事実を知っています。

 

ここで考えてみて下さい。

 

もし、今回の話が

②書き手の存在感の話だとするならば、

踏み字事件では、

警察官の存在感が問題となります。

 

今回の踏み字事件は

容疑者とされた人が

書き手である警察官の存在感を感じて

字が踏めないという気持ちだったのに

踏まされて苦痛だった、

という話ではありませんよね。 

 

むしろ、容疑者とされた人が

②書き手の存在感

(警察官の存在感)を

感じたのであれば、

思いっきり踏んづけてしまえ!

となるのが自然な感情でしょう。

 

でも、

「〇〇(もじのすけ註:父の名)

 お父さんは、

 そういう息子に

 育てた覚えはない」

これを思いっきり踏みますか?

・・・普通は踏めないでしょう。

 

その意味で、これは、

書き手(警察官)の存在感

の話ではないでしょう。

 

逆に、

こんな場合を考えてみてください。

 

もし、「〇〇(父の名前)」の名前部分が

「〇〇(警察官の名前)」だったら

どうでしょうか。

 

容疑者とされた人は

「父の名をかたる〇〇め!

 こうしてくれる!

 こうしてくれる!」と

思いっきり踏んづけたかもしれません。

 

その意味で、

やはり踏み字事件は、

①文字に表された情報の存在感

の問題でしょう。

 

 

また、

踏み字事件から離れて

別の観点から考えてみましょう。

 

神仏の名前や、

「富士山」「日本」

「ウンコ」と書かれた

文字(特に手書き文字)を

踏めますか?

もし踏めるとしても

わざわざ踏みにいきますか?

 

踏まないでしょう。

 

踏まない理由は、明らかに

書き手とは無関係ですよね。

 

やはり、ここまでの話は、

②書き手の存在感の話ではなく、

①文字に表された情報の存在感の話

だといえるでしょう。

 

 

 

f:id:mojinosuke:20170207201102j:plain

踏み字事件は

 事情聴取のときの話です。

 容疑者とされた人は

 逮捕されていません)

 

 

3 まとめ

 

今回は、

手書き文字には、

①文字に表された情報の存在感が

 残留している

というお話でした。

 

もともと、

文字は何らかの情報を表すものです。

言いかえると、

文字は何らかの情報を説明している

とも言えます。

これは、

手書き文字と活字の違い(5) ~文字の私事性・公共性①~ - もじのすけ の文字ブログ

の中で書いた、

文字の説明機能 

といってよいでしょう。

 

その意味では

今回の、

文字に①情報の存在感が残る

という話について、

「なんだ、もじのすけは

 当たり前のことを

 言っているだけじゃないか。」

と感じた方がいるかもしれません。

 

しかし、

文字による

情報の表し方、説明の結果として、

「表された情報(物や概念)の

 音声情報を読み手に伝える」

というだけでなく、

「あたかも、その文字の場所に

 その情報のイメージ(映像)が

 存在するかのような印象

 読み手に与える」

 という状況が生じます。

 

例えば、

紙に書かれた「富士山」の文字を

読んだら、

まるでその紙に「富士山の情景」が

存在するかのように

感じることでしょう。

 

これこそが

①文字に表された情報の存在感

が残留したもの

だと思います。

 

 

今回は

踏み字事件というハードな事件を

ご紹介した上に、

最後には、

ちょっと哲学っぽい

難しげな感じになってしまいました。

 

 

次回は、

②手書き文字の書き手の存在感

の話をしたいと思います。

これが

手書き文字の残留性の最後の話

となります。

 

そして、次回に、できる限り、

①情報の存在感②書き手の存在感

を利用した遊び方を

お話ししたいと思います。

やるやる詐欺状態ですが)

 

堅苦しい話が続きますので、

どこかで不定期の緩い話を

入れようと思います。 

 

長文にお付き合いいただき

ありがとうございました。 

 

f:id:mojinosuke:20170207105750j:plain

 

  page top ↑

 

 

 上杉謙信の手書き文字から作った

 「けんしんフォント」無償公開中

  【ダウンロードはこちら】

        ↓
 http://mojinosuke.hatenablog.com/entry/2017/04/06/130000

 

   

定期的に読んでいただけると嬉しいです。 

↓↓↓