もじのすけ の文字ブログ

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文字について考えたことをつづっています

上杉謙信の字をなぞってみた

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【目次】

 

 

1 上杉謙信推し宣言 

こんにちは。もじのすけです。

 

突然ですが、

ここに宣言します。

 

このブログ、

半年は、

上杉謙信推し

で行きます。

 

つまり

上杉謙信公にスポットを当てる

記事を書いたり、

記事のどこかで

上杉謙信公に関するものごとを

紹介する機会を多めにします。

 

理由は記事を続ける中で

明らかにしていきます。

(今後「公」は省きます。)

 

鼻息荒く、

むやみに何かをしたくなったので、 

とにかく地面のタイルに

1文字書いてみました。

 

冒頭の写真の「毘」の文字は、

もじのすけが地面書道の

スポンジ筆で書きました。

毘沙門天の「毘」の字です。

上杉謙信の旗印に使われた

1文字ですね。

 

旗印の書き方とは違いますが、

そこはご容赦を。

また、そのうち

気分も落ち着いてきますので、

温かい目で見守ってやって下さい。

 

以上で

上杉謙信推し」宣言は終わりです。

 

 

2 上杉謙信女性説と「雪花の虎

 

さて、 

今回は、なぞってみたシリーズ第8弾

上杉謙信の字をなぞってみた」です。

 

名前を伏せたクイズ形式ではなく、

記事のタイトルどおり直球です。

 

これまでの直球型のなぞってみた、は、

第1弾 豊臣秀吉の字をなぞってみた。 - もじのすけ の文字ブログ

第2弾 織田信長の字をなぞってみた。 - もじのすけ の文字ブログ

第3弾 夏目漱石の字をなぞってみた。 - もじのすけ の文字ブログ

でした。

 

今回も直球型で

上杉謙信の字をなぞってみたいと思います。

 

上杉謙信と言えば、

この絵の印象が強いでしょう。

 

上杉謙信像(上杉神社蔵)

Uesugi Kenshin.jpg

 

上杉 謙信(うえすぎ けんしん) / 上杉 輝虎(うえすぎ てるとら)は、戦国時代の越後国(現在の新潟県上越市)の武将・戦国大名。後世、越後の虎や越後の龍、越後の獅子、軍神と称される。
上杉家の下で越後国守護代を務めた長尾氏出身で、初名の長尾 景虎(ながお かげとら)でもよく知られている。兄である晴景の養子となって長尾氏の家督を継いだ。

(中略)

後に室町幕府の将軍・足利義輝より偏諱(「輝」の1字)を受けて、最終的には上杉 輝虎(うえすぎ てるとら)と名乗った。謙信は、さらに後に称した法号である。

内乱続きであった越後国を統一し、戦や政だけではなく、産業を振興して国を繁栄させた。他国から救援を要請されると秩序回復のために幾度となく出兵し、49年の生涯の中で武田信玄北条氏康織田信長越中一向一揆蘆名盛氏能登畠山氏、佐野昌綱、神保長職、椎名康胤らと合戦を繰り広げた。特に5回に及んだとされる武田信玄との川中島の戦いは、後世たびたび物語として描かれており、よく知られている。さらに足利将軍家からの要請を受けて上洛を試み、越後国から北陸路を西進して越中国能登国加賀国へ勢力を拡大したが志半ばで死去した。

 (画像、説明は上杉謙信 - Wikipediaより)

 

戦国大名と言えば、勢力拡大。

ところが、

上杉謙信はむやみに勢力拡大を

ねらっていたわけではなく、

戦国大名としては

異色の存在だったようですね。

 

その影響からか、

上杉謙信女性説まで

出現しているようです。

上杉謙信女性説 - Wikipedia

上杉謙信女性説(うえすぎけんしんじょせいせつ)は、昭和43年(1968年)に小説家八切止夫が提唱した越後国戦国大名上杉謙信が実は女性であったのではないかとする仮説である。

 

ちなみに、

東村アキコさんのマンガ『雪花の虎』は

上杉謙信女性説に基づいて

描かれたマンガです。

本日(2017年3月2日現在)では、

4巻まで出ています。

hi-bana.com

 

ちなみに 

もじのすけは、

寝床についた後に

このマンガの存在を知ってしまい、

電子書籍で4巻を即購入。一気読み。

不覚にも寝不足になってしまいました。

 

1巻の試し読みが、結構長いので

読めば雰囲気がわかると思います。

 

お試し版でも出てくるのですが、

歴史解説の部分が特徴的です。

この歴史解説部分だけ

コマ割りを上下2つにしています。

 

上半分は通常の解説。

 

下半分は歴史が苦手な人用の

ワープゾーン。

ゆるい感じで要約をしています。

要約は間違っていないけど

大ざっぱで笑えます。

 

上下に分けた画像はこちらにあります。

matome.naver.jp

 

ちなみに、

上半分は活字で「真面目さ」を

下半分は手書き文字で「ゆるさ」を

意識的に演出しています。 

これは、分析すべき点がありそうです。

これは別の機会に検討しようかと

思い始めています。

 

 

・・・。

かなり脱線してしまいました。

 

話を元に戻しましょう。

 

 

 

上杉謙信は、女性説も出るくらい、

その性格が注目される戦国大名です。

 

上杉謙信は、

どんな人物だったのか。

手書き文字をなぞることによって、

検討していきましょう。

 

 

 

 

3 上杉謙信の字をなぞるにあたって

 

ここで問題となるのは、 

上杉謙信の手書き文字が、

どれなのか断言しにくい点です。

(もじのすけは素人ですので、

 考証学的な特定はできません。)

 

そこで、今後は、

上杉謙信の字と言われている文を

いくつも採り上げて、

手書き文字をなぞってみます。

 

タイトルや見出しは

上杉謙信の字をなぞってみた」と

書くこともありますが、

①本当に書き手は上杉謙信なのか、

上杉謙信はどんな性格だったのか、

を並行して

探っていきたいと思います。

 

今回の記事では、

ひらがなから、スタートしましょう。 

 

その前に、

恒例のお約束事2つを

読んでください。

 

 

4 文字なぞり遊びのおさらい

 

問題に入る前に、 

毎度のことですが、一応文字なぞり遊びの

おさらいをしておきますね。

 

段取りは以下のとおり。

1 有名人の公開された手書き文字を

  紙にコピーする。

2 紙上の手書き文字をなぞる。

3 なぞってその人の性格を感じる。

以上終わり。

あっさりするほど簡単です。

 

 

 

5 文字なぞり遊びの注意点のおさらい


続いて、権利関係で

知っておくべきポイントは

以下のとおり。

 

公開された手書き文字と

それを載せている媒体

(出版物、HPなど)が、

適法に公開されたものであれば、

誰の手書き文字であっても

それを紙にコピー(複製)して、

自分でなぞって楽しむ限りでは、

著作権法上適法です

(私的使用のための複製

 著作権法30条)。

 

この結論だけは知っておいてください。

 

 

6 上杉謙信の字をなぞってみた① ~「いろは折手本」~

 

それでは、

上杉謙信の手書き文字とされる書を

なぞってみましょう。

 

今回の書は読めないとは言わせませんよ。

 

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上越市史 別編1 上杉氏文書集一 別冊(編集:上越市史編さん委員会 発行:上越市。平成15年)P146 上杉謙信いろは折手本)

(原本は米沢市上杉博物館蔵) 

 

いろは歌です。

まずもって字が美しい。

 

読めない字がいくつかある

とは思いますが、

そこはいろは歌から推測してください。

最後に「京」の字が書いてありますが、

理由はわかりません。

 

それでは、なぞってみましょう。

画面上でなぞってもいいですが、

せっかくの美しい手書き文字ですし、

印刷してなぞってみた方が

よいと思いますよ。

 

話がかわりますが、

先日、京都文化博物館で開かれている

「戦国時代展」に行ってきました。

 

この展示では、

上杉謙信のものとされる

書状がありました。

 

今回、

いろは歌のひらがなをなぞって、

特徴をおさえていた

御利益がありました。

 

展示されていた書状の

ひらがな部分を見ると、

この「いろは折手本」の書き手と

同一人物の字かどうか、

一瞬で結論が出ました。

 

十分に検討して、このブログでも

見解を明らかにしたいと思います。

 

さて、

今回の「いろは折手本」では

私は、その特徴を見つけようと

他の書と比べたりした上で、

延べ数時間にわたり

見続けました。

そのうえで「いろは折手本」を

3回なぞってみました。

 

 

そこまでしなくても、

なぞってみて

自分の手書き文字との違いを感じるのが

一番手っ取り早いと思います。

今回は、特徴を挙げていきましょう。

 

 

7 上杉謙信の字とされるひらがなの特徴

 

再掲します。

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 7-1 女性の手書き文字?

まずわかることは何でしょうか。

字が美しいということです。

女性の手書き文字にも見えます。

ところが、

どの行の字でも

力強く、字が大きく

書かれたものがあり、

男性の字のようです。

1行目の「ろ」 2行目の「り」

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「ろ」は、しっかりと力強く、

「り」は、幅が広い。

 

3行目よ、な 4行目ゐ、の

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「よ」「な」「ゐ」は最後まで太い。

「の」は大きい。

 

5行目け  6行目あ、き、し

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「け」は太く、大きい。

「あ」は右側の盛り上がりが大きい。

「き」も大きい。

「し」も右への展開が大きすぎる。

 

ちなみに、偉そうに言うと、

この書き手の美しい字の中で

「き」が一番下手に見えました。

それでも、もじのすけの文字より

はるかに美しいですが。

 

最終行の「ひ」「せ」

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「ひ」は大きい。

「せ」は最後まで太くしっかり。

 

 

どうでしょうか。

最初の行から最後の行まで

力強い字が入っていると思います。

これは女性の字ではないように

思われます。

 

参考までに、女性の字の典型として、

豊臣秀吉の奥さんの

北の政所「ねね」、淀君「茶々」の

手書き文字を挙げておきます。

比べてみてください。

 

今回のいろは折手本。

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北の政所

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「書の日本史〈第5巻〉安土桃山・江戸初期」(今井庄次著 平凡社 1975年)

P104、P105

 

淀君 

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「書の日本史〈第5巻〉安土桃山・江戸初期」(今井庄次著 平凡社 1975年)

P107

 

 

どうでしょうか。

今回の「いろは折手本」の字は、

明らかに女性の字とは

字の太さが違うでしょう。

 

いろは歌として

一字ずつ丁寧に書いた

という事情を考慮しても、

字の大きさ、力強さからして

男性の手書き文字と思われます。

 

 

 7-2 特徴1 はにほたの右上がり

 

「いろは折手本」に戻りましょう。

は、に、ほ、た、に特徴があります。

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それにしても字が美しい・・・。

どの字も書き出しが軽やか。

 ・・・っと、見とれてしまいました。

 

気を取り直して、

は、に、ほ、た、を見てみましょう。

 

どうでしょうか。

特徴がわかりますか。

 

どの文字も右側が上がっています。

 

この特徴を

「はにほたの右上がり」

名付けておきましょう。

 

 

 7-3 特徴2 ちらの右上がり

ち、ら、はどうでしょうか。

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「ら」が美しい・・・。

「ち」の横線は太いけど、

最初のタメが全く無い。軽やか。

最後のカーブも美しい・・・。

・・・また見とれてしまいました。

 

どうでしょうか。

特徴が見えてきましたか。

 

「ち」も「ら」も

カーブが右上に湾曲しています。

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この特徴を

「ちらの右上がり」

名付けましょう。

 

 7-4 特徴3 まの横線上昇

「ま」の字を見てください。

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二本目の横線の書き終わりが

真上に上がっています。

これを

「まの横線上昇」

名付けておきましょう。

 

 7-5 特徴4 さすの反り返り

ほかにも、「さ」「す」の字に

大きな特徴があります。

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さ、すの横棒が

大きくしっかりと反っています。

これを

「さすの反り返り」

名付けておきます。

 

 7-6 特徴5 ぬわあの右盛り

これらを見てください。

「ぬ」「わ」「あ」 

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右側が盛り上がっているのが

わかりますか。

これを

「ぬわあの右盛り」

名付けておきましょう。

 

 7-7 特徴6 のの左膨張

之も大きな特徴です。

「の」を見てください。

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「の」の右側の膨らみが大きいです。

これを

「のの左膨張」

名付けましょう。

 

 

 7-8 特徴7 ひの右直下降

「ひ」にも特徴があります。

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「ひ」の右の最後を見てください。

大きく下に下降しています。

これを

「ひの右直下降」

名付けたいと思います。

 

 

 

8 まとめ

以上に見てきましたとおり、

上杉謙信の字とされるひらがなは、

軽やかでうつくしいですが、

男性の字であると思われます。

 

そのほかに、

「はにほたの右上がり」

「ちらの右上がり」

③「まの横線上昇」

「さすの反り返り」

「ぬわあの右盛り」

「のの左膨張」

「ひの右直下降」

の特徴が見られます。

 

基本的には、この字の特徴をもとに、

上杉謙信の字とされる他の文書の字と

見比べていきたいと思います。

(場合によっては他文書を補充しますが)

 

興味のある皆さんは

ネット上にある

上杉謙信の字とされる文書をみて

この特徴が当てはまるか

試してみてください。

 

その見比べや上杉謙信の性格探求は

次回以降ということにします。

 

ご存知の方も多いと思いますが、

最後に、おまけとして、

上杉家文書「伊呂波尽手本」について

解説を入れておきます。

 

 

9 おまけ ~伊呂波尽手本~

 

今回のいろは折手本とよく似たものとして、

上杉家文書「伊呂波尽手本」(国宝)

があります。

 

この手本は、

いろは、の順にそって、

「い」と読む種々の漢字を2行、

「ろ」と読む種々の漢字を2行、

というように2行ずつ

色々な漢字を並べています。

 

この手本は、

次のような逸話と共に知られ、

一般に、上杉謙信の直筆とされています。

 

伊呂波尽手本の画像はこちら。 

yonezawa.info

 

上杉謙信の逸話はこちら。

上杉謙信 - Wikipedia より。

性格・行動

甥の喜平次(後に養子となる景勝)に宛てて身の上を案じる手紙を頻繁に送るなど、子煩悩な一面をみせている。特に関東在陣中の永禄5年(1562年)2月13日には、当時8歳だった喜平次に習字の手本として自ら『伊呂波尽手本』(いろは文字)を書いて送っている。手紙の本文も叔父らしい情け深いものだった[42][要高次出典]

 

ちなみに、この高次出典としては、

Wikipediaには記載がありません。

そこで、

もじのすけが持っている本で

高次出典を補充するとしたら

以下のようなものがあります。

 

相田二郎「日本の古文書 上」(岩波書店 昭和24年)P538、P539には、景勝宛ての手紙が掲載されています(相田先生は永禄7年と記載しています)。

 

また、上述の上越市史 別編1 上杉氏文書集一 別冊P35に写真 、本冊P154に永禄5年の物として同様の手紙の釈文が載っています。

【写真】

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この本文の右側や行間に

書かれている小さな字は

「追而書(おってがき)」

といいます。

付け足しの文章です。

下の釈文では,

おってがきは、

最初の2行に書かれています。

【釈文】

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(釈文の最初の2行分だけ

 もじのすけ勝手訳。誤訳御免。)

 

「繰り返しになりますが、

細やかな度々にわたるお便りを

喜んでおります。

(喜平次=上杉景勝の)字が

上達しているので、

お手本を差し上げます。

以上(註:おって書き部分は

ここまで、という意味)」

 

なんだか、上杉謙信

まだまだ子どもの上杉景勝に向けた

温かいまなざしが

伝わってきそうですね。

 

このように

お手紙の追而書(おってがき。

釈文では最初の2行)には、

上杉謙信が喜平次(上杉景勝)宛てに

「手本」を送るとの内容が

書かれています。

 

このときの「手本」が、

「伊呂波尽手本」の書

だと言われています。

 

そこに、

今回の「いろは折手本」も

入っているのかどうかは

はっきりしません。

 

相田先生は、先述の書籍の記載の中で、

入っていることを前提として

解説をしています。

他の資料をみれば

判明するのかもしれませんが、

本当のところはわかりません。

 

この点について

結論をご存知の専門家の方は、

ぜひ教えてください。 

 

ちなみにこの上杉謙信のお手紙ですが、

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「いろは折手本」の字と

いくつかの点で似ています。

並べておきます。

紙の生地が濃い文字はお手紙。

紙の生地が薄い文字は「手本」です。

 

③「まの横線上昇」

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「ぬわあの右盛り」の「あ」

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「のの左膨張」

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「ひの右直下降」

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が見られます。

 

ということで、

上杉謙信の署名と

花押が入っている

このお手紙の書き手と

「いろは折手本」の書き手とは

同一人物だと思われます。

 

 

今回はここまで。

 

おつかれさまでした。

 

 

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(激戦地七尾城頂上)  

 

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 http://mojinosuke.hatenablog.com/entry/2017/04/06/130000

 

   

 

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