もじのすけ の文字ブログ

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もじのすけ の文字ブログ

文字について考えたことをつづっています

久しぶりの手書き文字

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【目次】

 

 

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もじのすけです。

 

1 上杉謙信の手書き文字は後回し

 

前回の記事 はこちら。

mojinosuke.hatenablog.com

 

前回の記事では、

(1)上杉謙信が「謙信」と名乗った

   現時点で最古の願文と

(2)上杉謙信いろは折手本

を紹介しました。

 

そして、(1)と(2)のひらがなを見比べて、

同じ人(上杉謙信)の字といえるかどうか

検討することになっていました。

 

 

(1)の願文はこちら。

2つに分けて表示します。

右側。

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出典は「書の日本史 第4巻 室町/戦国」

(初版 平凡社 昭和50年 今井庄二編 初版)P275、P276。

原本は上杉家文書なので、

米沢市上杉博物館

だと思います。

 

 

続いて左側。

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(2)のいろは折手本は、

こちらを見てください。

3月9日の記事上杉謙信の字です。

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上越市史 別編1 上杉氏文書集一 別冊(編集:上越市史編さん委員会 発行:上越市。平成15年)P146 上杉謙信いろは折手本)

(原本は米沢市上杉博物館蔵) 

 

(1)と(2)の字は

似ている文字が無くないのですが、

はっきり言って少ないです。

違う特徴の文字の方が多い。

 

(1)の願文は、

元亀元年(1570年)12月13日、

上杉謙信越中に向け出陣する前に

本拠地である春日山城内の看経所に

納めたものだと言われています。

 

実は、もじのすけは、明後日、

上越市に家族で観光に行きます。

春日山城跡にも行く予定です。

 

14時に行われる

越後上越上杉おもてなし武将隊

皆さんの演武を楽しみにしています。

 

看経所がどこにあったのか、は

まだわかっていません。

毘沙門堂護摩堂か?

それとも

本丸の屋敷の中の一角だったのか?

 

せっかく行くので、

とにかく現地で何かを感じ取ってから、

(1)の願文と

(2)の「いろは折手本」を

比較してみようと思います。

文字の情報と文字以外の情報とは

分けて検討しようと思います。

 

というわけで、

上杉謙信の手書き文字の検討は後回し!です。

 

もしみなさんが

上杉謙信に興味があって、

まだ2つの文書の文字を

なぞっていなかったら

一部でもいいので、

ぜひなぞってみて下さいね。

けっこうダイレクトに

上杉謙信の人柄が伝わってくるので

面白いですよ。

 

 

2 久しぶりの手書き文字

 

それでは、

今回は、だいぶ趣が変わりますが、

手書き文字を書くことの意義について、

最近のもじのすけの例を挙げて

書いてみたいと思います。

 

 2-1 ネット依存者の手書き文字

私は、最近、仕事が忙しくて

ネット依存が進んでいました。

 

日中の仕事のスケジュールも整理せず、

とにかく目の前の仕事をこなしていたら、

あっという間に1日が過ぎていく。

 

結構な量の仕事をしたとは思うのですが、

ネットを時々見たりして、

「ながら」でやっていたので、

集中していたかと言われると

集中していない。

ネットが気になって仕方がない。

 

そんな中、今日は、

久しぶりに早起きができたので、

カフェでコーヒーを飲みながら

スケジュールと仕事の時間割を

手で書きました。

 

普段よく使うペンを

職場に置き忘れていたので、

いつもと違って

ボールペンで書きました。

いつもと違う指の感触、

いつもと違う手書き文字たち。

全体の雰囲気も違い、

私自身の気分も違ってくる。

 

・・・ん?

久しぶりに書いたせいか、

書き間違いが多い。

今日の日付(4月20日)を書くのに、

なぜか「5月」と書いてしまう。

1文字目からして書き間違い。

明らかに頭と身体の連動ミスです。

 

これがもし筆だったら、

線の太さも間違えそうです。

筆で花押を書こうと思ったら、

相当書いて感覚を取り戻さないと

直線すら書けないことでしょう。

 

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   上杉謙信の花押

 

・・・これを書くのは無理そう。

 

 

 

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書の日本史〈第9巻〉古文書入門,花押・印章総覧,総索引

平凡社 初版 昭和51年)P214より。

 

・・・ゼッタイ無理無理。

 

私には

花押を書く自信はありません。

 

花押一つとっても、

現代人と昔の人では、

身体の使いこなし具合が

違ったのだなと思います。

 

私の場合、

忙しくて、手書き文字を

書いていませんでした。

その結果、

ボールペンの1文字目からして

間違えました。

 

このことで、

「私は、忙しいときには、

 自分が身体を持った人間である

 ことさえ忘れている。」

という事実に気づきました。

 

 

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 2-2 手書き文字を書くときの思考

 

みなさんは、

画面を見てネットをしているとき、と

手書き文字を書いたとき、と

で思考構造が変わりますか?

 

私は変わります。

今日、手書き文字を書いてみて、

あらためて感じました。

 

私の場合は、

それぞれこんな感じです。

 

まずは、 

①画面を見てネットをしているとき。

 

私の頭の働き方はこんな感じです。

 

ものごとA → 何も思わない。

ものごとB → おもうことB

ものごとC → おもうことC

ものごとD    →    何も思わない。

 

・・・大体こんな感じ。

思考構造が、1層か2層くらいです。

「短絡的」ともいえます。

 

 

それでは、

②手書き文字で書くとき、

はどうでしょうか。

 

私の場合は

例えばこんな感じです。

 

ものごとA → おもうことA

          ↓

おもいついたことC  → おもうことD

          ↑      ↓

ものごとB → おもうことB  ・・・

                  ↓

     ・・・   →   ・・・  →    ・・・

 

こんな感じで

思考が複層構造になるのです。

これは、

手書き文字を書いている間に、

別のことを思いついたり、

「ものごと」や「おもうこと」の関係を

時間をかけて、

考えるからだと思います。

 

最初の方の記事

「活字離れ」は読み方の問題 - もじのすけ の文字ブログ

でお話ししましたとおり、

画面で文字を読むより

紙で読んだ方が、

能動的に読めると思います。

 

そして、

手書き文字と活字の違い(3) - もじのすけ の文字ブログ

でお話ししましたが、

紙に自分の手書き文字で言葉を書く、

ということには、

以下の意味があります。

まず、

その言葉に関して、

自分が身体を使って

膨大な情報量のものを書いた

ということになります。

それと同時に

その自分の手書き文字の言葉が

目に入り、

膨大な情報量のものを読む、

ということにもなります。

 

つまり、

手書き文字を紙に書けば、

時間をかけて、

自分との間で、

膨大な情報量のコミュニケーションを

行っていることになります。

 

その結果、

手書き文字を書いている間に、

新しいことがらを連想したり、

「ものごと」や「おもうこと」の関係を

時間をかけて、

考えることができるのでしょう。

 

手書き文字を書く場合の

私の思考構造例をもう一度書きます。

 

ものごとA → おもうことA

          ↓

おもいついたことC  → おもうことD

          ↑     ↓

ものごとB → おもうことB    ・・・

                   ↓

     ・・・   →   ・・・  →      ・・・

 

このトーナメントみたいな構造は、

「自分なりの」思考構造です。

このような思考構造の作成は、

「自分なりの」思考の整理とも

いえるでしょう。

 

私は、この「自分なりの」という点に

能動性・クリエイティブさがあり、

重要な意味があると思っています。

 

 

 2-3 自分の身体を意識する?

以前の記事で

・考え事をするときは

 キーボードで文字を打つより

 手書きで文字を書いた方がよい、

・手書き文字の時間性・身体性が影響し、

 言葉をじっくり味わえる

という話をしました。

それがこちらです。

mojinosuke.hatenablog.com

 

人によって違うでしょうが、

私の場合は、

①画面でネットを閲覧

 < ③キーボードで文字打ち

    < ②手書き文字を筆記

の順で、

能動的・クリエイティブになります。

 

この順は、

自分の身体を感じる量

の順

とも言えます。

 

私の場合、

①画面でネットを見るときは

まるで自分がマウスポインタであるか

のように思っています。

つまり、

①画面でネットを見るときは

私は自分の身体が無いものとして

行動しているのです。

 

安易な一般化はできませんが、

私と同じように感じる人は

結構存在すると思っています。

 

昨日、久しぶりに繁華街を歩いたら、

歩きスマホの人が多く、

何度もぶつかりそうになりました。

歩きスマホをしていた人は、

自分の身体の幅がないかのように

思っていたと思います。

 

私もネット依存症なので、

無意識のうちに歩きスマホをして

気づかぬうちに、ぶつかりそうに

なっているかもしれません。

 

 

「傍若無人」が進み、

自分の身体すら存在しない

「全若無人

になっているのではないか。

そんな気がしています。

 

このように考えると、

歩きスマホ、ネット依存は、

単に画面に気を取られている、

というだけの現象ではなさそうです。

 

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 2-4 身体意識を取り戻す

 

以上にお話ししましたとおり、

少なくとも私の場合、

ネット依存・スマホ依存は、  

自分の身体の存在への意識を、

すなわち身体意識を、

失うきっかけになっています。

 

そして、これは

私だけに起きる現象とは思えません。

 

ネット依存・スマホ依存から

身体意識を取り戻し、我に返る。

 

そのためには、

運動するのもよいでしょう。

ストレッチやマッサージをするのも

よいと思います。

 

ですが、

頭にあることをメモして、

そのメモに書き加えてみる、

という方法もアリだと思います。

 

意外に

「手書き文字を書く」という

ちょっとした動作も

効果がありそうです。

 

 

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