もじのすけ の文字ブログ

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文字について考えたことをつづっています

手書き文字と活字の違い(19) ~文章を書くAIにどう対応すべきか~

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【目次】

 

 

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もじのすけです。

 

 

活字の情報量の増大のお話は、

手書き文字と活字の違い(13) ~活字が表す情報②~ - もじのすけ の文字ブログ

から延々と続いてきました。

 

「この話は、いつ終わるのか?」

と思っている方も多いでしょう。

 

 

前々回の記事の最後は

「ゴールが

 だんだん近づいてきました。」

と言っていました。

 

前回の記事の最後では

「ようやくゴールが

 見えてきました。」

と言いました。

 

ウソにならないように

ちょっとずつ

言い回しを変えております。

 

ゴールが見えてきているのは

たしかですよ(笑)。

 

今回の記事は前回の記事のおさらいから。

さっそく始めましょう。

 

 

1 おさらい 

 

まず、

手書き文字と活字の違い(18) ~文字が媒体から離れるという話~ - もじのすけ の文字ブログ 

の記事をおさらいです。

 

1 大多数の文字や音楽の流通は、

  本やCDという

  媒体から離れてきている。

 

2 ごく一部の

  本の出版やCDの販売は、

  作者や作品に対する

  「社会的信用の付与」の

  意味がある。

   

3 大多数の媒体から離れた情報は、

  1文、1曲、場合によっては

  サビだけの1フレーズという

  短縮化傾向があり、

  この傾向は今後も進む。

 

4 そして、短文として、大量に流通し、

  今後も流通が拡大する活字の文章。

  その文章を、

  AIのように人間以外が作成したら、

  一体どうなっていくのか?

  区別がつくのか?

 

以上です。 

 

こうしてまとめてみると

大したことがなさそうに見えますが、

実際は深刻な問題です。

 

 

今回の記事では、

AI(人工知能)が文章を作成したとき

われわれ人間は

どう対処していけばよいのか。

 

人類の壮大な問題を

このニッチな文字ブログで

考えてみたいと思います。

 

 

2 振り返り

 

文字がなかったところから

ある瞬間に

文字がある状態になることを

「文字の出現性」といいます。

この点は、以下の記事で説明しました。 

手書き文字と活字の違い(14) ~活字が表す情報③~ - もじのすけ の文字ブログ

【50記事目】手書き文字と活字の違い(15) ~文字の出現性~ - もじのすけ の文字ブログ

 

そして、

文字が出現するとき、

文字は誰かに出現させられている。

この性質を「文字の客体性」といいます。

 

文字が出現する瞬間を見た場合、

文字を出現させている主体は誰か?

という点を検討したのが

以下の2つの記事でした。

手書き文字と活字の違い(16) ~文字の客体性 主体は誰か?~ - もじのすけ の文字ブログ

手書き文字と活字の違い(17) ~文字の客体性 活字の主体は誰か?~ - もじのすけ の文字ブログ

 

 

この2つの記事の結論をまとめて

振り返っておきましょう。

 

1 文字の出現の主体は?

 

  今のところ、ほとんどの場合は

  人間でしょう。

 

2 AIが活字を出現させることは?

 

  ありえるでしょう。

  ただ、現時点では、

  AIは人間の設定したプログラムの枠内で

  いわば人間の道具として動いている

  といえます。

 

ということで、

今のところ、文章は人間が作っている

といってよさそうです。

 

ただし、「今のところは」

という留保がついています。

 

 

3 AIが文章を書く世界

 

 3-1 AIの文章があふれかえる

 

この振り返りをふまえて、

今回の記事では、

以下の問題を検討していきましょう。

 

3 AIが文章を作り出したらどうなるか?

 

 

活字の文章だと本当に厄介です。

 

活字の匿名性からすると

活字を見ただけでは、

AIが書いたのか人間が書いたのか、

区別ができません。

 

みなさんもイメージしてみてください。

 

みなさんが、

作成者が明示されていない

活字の文章を読んだとき、

誰が書いたかわかりませんよね。

 

これまでなら、

読む方としては、

活字の文章は人間が書いたもの

ということを

当然の前提にしていたと思います。

 

ところが、これからは、

みなさんが読んでいる

・ネットニュースの記事

・SNSのメッセージ

ツイッターコメント

これらの中に

AIが作った文章が

まぎれ込んでくることになります。

 

AIは休むことなく

文章を作り続けます。

おそらく、

ネット上では、AI作成の文章が

圧倒的な物量であふれかえる。

 

そして

AI作成の言葉(活字)の一部は、

ネット上だけでなく

紙や物に印字されることでしょう。

 

こうして、

ネットほどではなくとも

現実世界でもAI作成の言葉(活字)が

あふれかえるでしょう。

 

 

 3-2 書き手からみたAIの文章

 

書き手の立場になって

もう少し想像してみましょう。

 

AIがどこかで発生した言葉を拾い、

コピペして組み合わせて文章を作る。

あるいは、

AIが自動生成機能で言葉を作成して

文章を作る。

 

 

ネット上の匿名記事は、

人間が書いたか機械が書いたか

わからない。

その記事へのコメントも

機械が書いたかもしれない。

 

ツイッターでも

AIが発言内容を

自動作成・自動投稿する。

(いわゆるbotが発達)

 

LINEでも

結構な分量の複数の文章を

ユーザーが選択し、

それを自分のコメントとする。

 

「あけ」→

「あけましておめでとうございます。」

の分量増加版みたいなものです。

 

カルタのように一文字書いたら、

その字から始まる

気の利いたある程度の量の文章が

複数出てきる。

ユーザーはその中から1つを選ぶ。

 

 

それどころか、

ユーザーが文章の選択すらせずに、

そのユーザー名義で

AIが自動でコメントしてくれる。

 

 

 

 

こんな感じになると思います。

 

 

 

書き手としては、

コピペの組み合わせすら不要になるので

楽チンではあります。

 

文章の完全自動生成・配信なら

スパムメールの進化版

とも言えそうです。

 

一見して怪しい雰囲気が感じられる

今のスパムメールとは異なり、

ある程度意味のある文章が

大量に自動作成・配信されることも

ありそうです。

 

 

 

 3-3 読み手からみるAIの文章

 

次は、読む立場になって

もう少し想像してみましょう。

 

みなさんが 

「この人はなんかいいこと言うな。」

「センスがあるな。」と思って

読み続けていたブログ、ニュース、

SNSメッセージが

AIの自動作成文だった。

 

嬉しくなるようなメッセージを

送ってきたのがAIだった。

 

 

今まで、親しいメッセージを

やり取りをしてきた相手がAIだった。

 

しかも、

AIが相手であるという事実に

みなさんは気づかない。

 

こんな出来事が起きたとき、

みなさんは

嬉しいですか?どうですか?

 

 

 

私は嬉しくないです。

イヤです。

 

 

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4 文章を書くAIへの対策

 

 

AI作成の文章が

圧倒的な分量で世間に流通する 。

 

そんな状態を

ただ嫌がるだけではしょうがないので、

どうしたらよいのか、

対策を考えてみましょう。

 

 

 4ー1 対策1 たたかう

 

まず考えられる対策は

「AI作成の文章が

 ネットに流通することがないよう、

 何らかの手を打つ。」

です。

 

つまり、

「AIの文章が流通しないように戦う」

ということです。

 

この対策はうまくいくでしょうか?

 

 

 

・・・これは無理でしょう。

 

そもそも圧倒的な物量の

AI作成の活字を

抑えることはできません。

 

万が一抑えることができたとしても、

たとえば何らかのテーマで

AIが詳細に分析したものを

AIが報告書として提出してきたら?

 

また、

AI作成の気の利いた文章が

たくさんあって、どれでも

自由に使ってよいと言われたら?。

 

人間は、無視できないでしょう。

 

みんなAI作成の文章を

利用するでしょう。

 

科学技術の進歩は止められません。

 

 

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Tomoe Gozen Killing Uchida Saburo Ieyoshi at the Battle of Awazu no Hara

(石川豊信作)

Artist:Ishikawa Toyonobu (Japanese, 1711–1785)
Period:Edo period (1615–1868)
Date:ca. 1750

Ishikawa Toyonobu | Tomoe Gozen Killing Uchida Saburo Ieyoshi at the Battle of Awazu no Hara | Japan | Edo period (1615–1868) | The Met

 

 

 

 

 4ー2 対策2 あきらめる

 

文章を書くAIへの

次に考えられる対策は、

「あきらめる」です。

  

「あきらめる」のは

現実的な対策かもしれません。

 

 

AIが作ろうが人間が作ろうが

よいものはよい、悪いものは悪い、

という観点で

文章を受け入れればよい。

 

 

そんなスタンスで

あるがままを受け入れるのも

よいかもしれません。

 

 

また、 

AIの文章を読むときには、

AIを擬人化・キャラクター化して

受け止めるのも一つかもしれません。

 

ドラえもんを想定すると、

わかりやすいかもしれません。

例えば、

ドラえもんが作成した

(ことになっている)文章を読むとき。

 

「ブログばっかり読んでいたら

 だめだよ。早く寝ないと。」

ドラえもんに言われた(書かれた)ら

どんな印象を持つでしょうか。

 

私なら、

書かれたとおりに

意見を受け入れてもいいな

とも思えてきます。

 

その意味では、

つまり、AIを擬人化したりして、

「あきらめてAI作成の文章でも

 素直に受け容れる」

という対策も現実的に思えます。

 

 

ですが、この対策には欠点があります。

そもそも

みなさんが活字を見たときに、

AIが書いたか、

人間が書いたかの区別がつかない、

というところです。

 

私だったら、

ある活字の文章が目の前にあって、

これはドラえもんのコメントだ

と言われても困ります。

 

ドラえもんの中の人が書いたのか、

AIが書いたのか、

そこがわからないと、

感情移入しにくいです。

 

その他にも、

AIが作成した圧倒的な量の文章を

人間作成の物と区別しないまま

朝から晩まで

スマホやパソコンで見続ける

としたら、

ちょっと危ない感じがします。

 

みなさんはどうでしょうか。

 

少なくとも私は、

人間作成の文章とAI作成の文章の

区別をしないままに

「あきらめる」という対策を

とりたいとは思いません。

 

 

 

 

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南宋 佚名 蘆鷺圖 團扇
Egrets in Water Reeds

Artist:Unidentified Artist
Period:Song dynasty (960–1279)
Date:late 12th century
Culture:China

Unidentified Artist | Early spring landscape | China | Song dynasty (960–1279) | The Met

 

 

 

 

 4ー3 対策3 区別をつける

 

AIをドラえもんのように擬人化したり、

文章の良し悪しで判断する、

という方法も

ある程度合理的だと思います。

 

ただ、さきほど挙げたように、

区別ができないと、

対応のしようがありません。

 

そこで、

どうやったら、

人間が書いたか、AIが書いたか、

その区別ができるか。

 

その点を後の記事で

具体的に考えたいと思います。

 

 

手書き文字と活字の違い(13) ~活字が表す情報②~ - もじのすけ の文字ブログ

から続いてきたシリーズ、

「活字の情報量を増やす」話が

ようやくゴールへと進んできました。

 

 

おつかれさまでした。

 

 

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冨嶽三十六景 上総の海路 (葛飾北斎作)

At Sea off Kazusa (Kazusa no kairo), from the series Thirty-six Views of Mount Fuji (Fugaku sanjūrokkei)

Artist:Katsushika Hokusai (Japanese, Tokyo (Edo) 1760–1849 Tokyo (Edo))
Period:Edo period (1615–1868)
Date:ca. 1830–32

Katsushika Hokusai | At Sea off Kazusa (Kazusa no kairo), from the series Thirty-six Views of Mount Fuji (Fugaku sanjūrokkei) | Japan | Edo period (1615–1868) | The Met

 

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