もじのすけ の文字ブログ

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文字について考えたことをつづっています

文字と媒体の関係 (1)②手書き文字の紙の写し

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【目次】

(冒頭の作品)

Print

Artist:Katsushika Hokusai (Japanese, Tokyo (Edo) 1760–1849 Tokyo (Edo))
Period:Edo period (1615–1868)
Date:1820
Culture:Japan
Medium:Polychrome woodblock print (surimono); ink and color on paper

Katsushika Hokusai | Print | Japan | Edo period (1615–1868) | The Met

 

 

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もじのすけです。

 

 

1 はじめに

 

今回は 

「文字と媒体の関係」シリーズの

第2回目です。

 

前回の記事はこちら。

 

mojinosuke.hatenablog.com

  

 

 

ちなみに

今回は第2回目の記事なのに

タイトル番号が(1)なのは

間違いではありません。

 

前回の記事は(1)①、

今回の記事は(1)②です。

 

今後の分類のための記号として

使っていますので。

 

 

この

「文字と媒体の関係」シリーズですが

定期更新記事のときもあれば、

不定期更新記事のときもあります。

 

今日の文字の媒体の移り変わりに触れ、

例によって

新しいサービスの提言をします。

 

長いシリーズになると思います。

1回1回の記事は短くしようと思います。

また、随時

記事同士の関係図を作ろうと思います。

 

それでは第2回目を始めましょう。

 

 

 

 

2 現代の手書き文字の紙への写し

 

みなさんは、

手書き文字が写し(コピー)として

紙に印字された物といえば、

どんな物を想像しますか?

 

手書きの物が少なくなっている今日、

手書き文字が書かれた紙の種類も

その写し(コピー)の種類も

減っていると思います。

 

 

さて、どんな物があるでしょうか?

 

 

 

私なら、これです。

 

まず思い浮かぶのは、

ノートなどの手書き文書のコピーや

受信したFAXの紙です。

 

 

それ以外に思いつくのは、

各種申請書の控えです。

 

他に、

手書きの文字が入ったチラシ

くらいでしょうか。

 

あとは、 

あまり見かけませんが、

有名人のサイン色紙の

レプリカでしょうか。

 

 

 

 

 

3 手書き文字の紙の写しの始まり

 

次は歴史的に見てみましょう。

 

日本の歴史上で

手書き文字の紙の写しが

使われるようになったのは

いつ頃でしょうか。

 

 

 

 

現存する日本最古の写本は、

三経義疏」の中の「法華義疏

と思われます。

かの有名な聖徳太子の自筆

と伝えられています。

 

三経義疏 - Wikipedia

 

この 

法華義疏

皇室の所有物になっています。

 

ちなみに

皇室の所有物を

「御物」(ぎょぶつ)といいます。

 

ということで

法華義疏」は御物です。

 

法華義疏

7世紀前半の本であることは

学説上の争いがないそうですが、

聖徳太子の自筆とされる点は

学説に争いがあるようです。

 

 

三経義疏 - Wikipedia

御物『法華義疏』(巻第一の巻頭部分)
尾上八郎 - 和様書道史
法華義疏 伝聖徳太子御筆 帝室御物
パブリック・ドメイン
File:Lotus Sutra written by Prince Shōtoku.jpg
作成: 昭和9年12月22日発行

Wikipediaより)

 

三経義疏』(さんぎょうぎしょ)は、聖徳太子によって著されたとされる『法華義疏』(伝 推古天皇23年(615年))・『勝鬘経義疏』(伝 推古天皇19年(611年))・『維摩経義疏』(伝 推古天皇21年(613年))の総称である。それぞれ『法華経』・『勝鬘経』・『維摩経』の三経の注釈書(義疏・注疏)である。

 

法華義疏』は伝承によれば推古天皇23年(615年)に作られた日本最古の肉筆遺品となる。
一般に聖徳太子自筆とされている『法華義疏』の写本(紙本墨書、4巻)は、記録によれば天平勝宝4年(753年)までに行信が発見して法隆寺にもたらしたもので、長らく同寺に伝来したが、明治11年1878年)、皇室に献上され御物となっている。

    

この種の注釈書は当時の中国に多く見られる。

  • 法華義疏』は法雲476年 - 529年)による注釈書『法華義記』と7割同文で、これをもとにしたものであることが分かる。

(いずれもWikipediaより)

 

これらの記載が正しければ、

法華義疏」は

中国の「法華義記」の写本

といってよさそうです。 

 

法華義疏に続く

他の写本は以下のサイトに

記載がありました。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説  写本(写本)しゃほん 日本
(略)
 わが国における現存最古の写本は、聖徳太子筆と伝えられる『法華義疏(ほっけぎしょ)』4巻(宮内庁御物)であるが、これに続くものとしては686年(朱鳥1)の教化僧宝林筆の『金剛場陀羅尼経(こんごうじょうだらにきょう)』1巻(国宝)、706年(慶雲3)の『浄名玄論(じょうみょうげんろん)』巻6(国宝)、写経以外では707年の『王勃詩序(おうぼつしじょ)』(正倉院御物)が名高い。(略)[金子和正](略)出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例 

写本(しゃほん)とは - コトバンク より

 

このようにみていくと

写本が

始まっていったのは

7世紀(600年代)

といってよいでしょう。

 

前回の記事で述べましたが

手書き文字が直接書かれた紙の

本格的な流通も

7世紀(600年代)でした。

 

つまり、

手書き文字が直接書かれた紙の

本格的な流通の時期と

写本の流通が始まった時期が

同時期です。

 

これはなぜでしょうか。

 

考えてみてください。

 

 

 

ヒントは 

写しの技術の問題です。

昔は今とは違って

コピー機などはありません。

 

最初は、

写しを作ると行っても

手で書き写していたのですよね。

 

 

さあ

手書き文字の紙の原本の本格的な流通と

手書き文字の紙の写しの流通開始の

時期が同じ理由は?

 

どうでしょうか。

 

 

 

 

 

答えはこれでしょう。

 

 

手書き文字を書くという

手作業の手間としては、

原本を書くときも

写しを作るときも変わらないから。

 

 

手作業が変わらないので、

原本と写しのどちらも

道具である紙と墨と筆が発達した

7世紀(600年代)に

流通するのが自然ですよね。

 

 

 

 

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Paper cutter (part of a set)

Purveyor:Asprey (British, founded 1781)
Date:1851
Culture:British, London
Medium:Gilt bronze, malachite

Asprey | Paper cutter (part of a set) | British, London | The Met

 

 

4 手書き文字の紙の写しが本格的流通した時期

 

さきほどは、

手書き文字の紙の写しが

流通し始めた時期の話でした。

 

 

それでは、

手書き文字の紙の写しが

本格的に流通した時期

いつでしょうか。

 

これは

なんといっても

瓦版が流行した江戸時代でしょう。

 

説明はこちら。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

瓦版
かわらばん

 

江戸時代に、ニュース速報のため、木版一枚摺(ずり)(ときには2、3枚の冊子)にして発行された出版物。瓦版という名称は幕末に使われ始め、それ以前は、読売(よみうり)、絵草紙(えぞうし)、一枚摺などとよばれた。土版に文章と絵を彫り、焼いて原版とした例もあったという説もあるが不明確である。最古の瓦版は大坂夏の陣を報じたもの(1615)といわれるが明確ではない。天和(てんな)年間(1681~1684)に、江戸の大火、八百屋(やおや)お七事件の読売が大流行したと文献にみえ、貞享(じょうきょう)・元禄(げんろく)年間(1684~1704)には上方(かみがた)で心中事件の絵草紙が続出したと伝えられる。これが瓦版流行の始まりである。
 (略)

安政(あんせい)の地震(1855)の瓦版は300種以上も出回り、その後、明治維新に至る政治的事件の報道、社会風刺の瓦版が続出した。瓦版の値段は、半紙一枚摺で3~6文、冊子型は16~30文ほどであった。作者、発行者は絵草紙屋、板木屋、香具師(やし)などであろう。安政地震の際には、仮名垣魯文(かながきろぶん)、笠亭仙果(りゅうていせんか)などの作者や錦絵(にしきえ)板元が製作販売にあたってもいる。

 明治に入って瓦版は近代新聞にとってかわられるが、その先駆的役割を果たしたといえよう。[今田洋三]

小野秀雄著『かわら版物語』(1960・雄山閣出版) ▽今田洋三著『江戸の災害情報』(西山松之助編『江戸町人の研究 第5巻』所収・1978・吉川弘文館)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

瓦版(かわらばん)とは - コトバンク より

 

 

ここで、ひょっとしたら

こんな疑問を持った人が

いるかもしれません。

 

「瓦版は、手書き文字の版木を

 直接に紙の上に印字したもの。」

 

「それならば瓦版は原本でしょう?」

「瓦版は写しではないのでは?」

 

「原本であって写しではないなら

 今回の記事の話ではなく、

 前回の記事の話題ではないの?」

と考えた人がいるかもしれません。

 

みなさんは

この疑問についてどう思いますか。

 

 

 

結論から言います。

 

 

やはり、

瓦版は原本ではなく写し

でしょう。

 

この結論は 

瓦版の作り方から考えてみると

実感できるかと思います。

 

 

瓦版の作り方を単純化すると、

①絵師が絵を描く。これが原本

②絵を和紙に書き写す

 (下絵)これが写し

③彫師がひっくり返した下絵を

 版木に貼り、版木を彫る

④摺師が版木を紙に押しつけて

 色をつけて摺る 

⑤版画のできあがりこれが写し

となります。

 

 

多色刷りの場合は、

1色ごとに版木を準備します。

違ってくるところは下線部です。

原本と写しの関係は変わりません。

 

①絵師が絵を描く。これが原本

②絵を数枚の和紙に書き写す

 (下絵)これが写し

③彫師が下絵ごとにひっくり返して

 下絵ごとに別々の版木に貼り

 版木を彫る

④摺師が版木を1枚ずつ紙に押しつけて

 その度に色をつけて摺る 

⑤版画のできあがりこれが写し

 

となります。

 

というわけで 

最初に絵師が書いた

文字つきの絵が原本。

 

刷り上がった

文字つきの絵が写し。

となります。

 

版画の作り方については、

京都の木版画工房の

竹笹堂さんのサイトが

動画と文章で

一番わかりやすく説明されていました。

 

私の説明よりも、

動画を見た方が早いと思います。

 

竹笹堂さん

www.takezasa.co.jp

竹笹堂さんのサイト内動画です。

www.youtube.com

 

 

瓦版は複数のプロの精緻な技術の結晶。

このサイトを見て、そう実感しました。

 

このような緻密な工程を知ってしまうと

今後は、

浮世絵の版画から受ける印象が

変わってくるかもしれませんね。

 

 

 

 

ということで、

7世紀以降で、本格的に

手書き文字の紙の写しが発達したのは 

瓦版が流通した江戸時代

といえましょう。

 

他方、

奈良時代から江戸時代までは

手書き文字の紙の写しが

本格的に発達したとは

いえないでしょう。

 

奈良時代から江戸時代まで

手書きで写した写本はありましたが

写しの数量的に限界がありましたので。

 

 

 

 

5 現代も本格的に流通?

 

現代も、

コピー技術の発達により

手書き文字の紙の写し(コピー)が

かなり流通しているとは言えます。

 

ですが、

活字全盛の今日、

全体の文字文書の流通量の中では

手書き文字の紙の写しの流通量は

ハッキリ言って「少ない」でしょう。

 

すなわち、現代では

手書き文字の紙の写しは

僅かな割合で流通する

少数派になっていると

いえるでしょう。

 

 

 

(余談ですが)

 

もじのすけは、

仕事上の大先輩が

指にマメをつくりながら

鉄筆を使ってコピーを作っていた

時代の話を聞いたことがあります。

 

コピーを作るだけでも

何日もかかったとのことでした。

 

今の仕事のやり方とは

あまりにスピード感が違いますが、

とても味のある時代だと思います。

また

そこからのコピー技術の発達も

本当にすごいと思います。

 

機会があれば

このブログでも

コピー技術発達史を

振り返りたいと思います。

 

(以上余談終わり)

 

 

 

 

6 まとめ

 

以上、

ザックリとですが

手書き文字の紙の写しの

歴史の流れをまとめます。

 

 

手書き文字の紙の写しは、

615年頃の法華義疏に始まり、

江戸時代の瓦版で

本格的に流通しました。

 

現代では、

コピー技術の発達により

手書き文字の紙への写しが

かなり流通しています。

 

ですが活字全盛の今日、

文字文書全体の流通量は膨大です。

全体の流通量からすると

手書き文字の紙の写しは

少数派となっています。

 

以上がまとめでした。

 

 

図にするとこんな感じです。

 

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矢印(→)は

全体の文書の流通の中で

矢印の先の流通量が増えたことを

示します。

 

今回であれば

(1)①から(1)②への矢印の時期は

瓦版が流通した

江戸時代でしょう。

 

 

 

この話の続きとしては、

「活字が直接印字された紙」の話を

したいと思います。

 

今回は長めになってしまいました。

おつかれさまでした。

 

 

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Artist:Katsushika Hokusai (Japanese, Tokyo (Edo) 1760–1849 Tokyo (Edo))
Period:Edo period (1615–1868)
Date:ca. 1801
Culture:Japan
Medium:Polychrome woodblock print (surimono); ink and color on paper

Katsushika Hokusai | Print | Japan | Edo period (1615–1868) | The Met

 

 

 

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