【目次】
(冒頭の作品)
Les Secondes Oeuvres, et Subtiles Inventions De Lingerie du Seigneur Federic de Vinciolo Venitien, page 23 (recto)
Designer:Federico de Vinciolo (Italian, active Paris, ca. 1587–99)
Publisher:Jean Le Clerc , Paris
Dedicatee:Catherine de Bourbon (French, 1558–1604)
Date:1603
Medium:Woodcut
Dimensions:Overall: 9 7/16 x 6 1/2 in. (24 x 16.5 cm)
Classifications:Books, Prints, Ornament & Architecture
もじのすけです。
1 前回の記事
前回の記事はこちらです。
前回の記事では、誤解を生むメールの例をもとに誰が悪いのかを検討しました。
この例は、「脳を創る読書」(酒井邦嘉 著 実業之日本社 2011)を参考にして、そのP126、P127に挙げられた例です。
前回の記事を読んでいない方向けに、例を示します。
Aさんの誤解を生む一斉送信メールはこちらです。
例の案件ですが、次の日程で会議は可能ですか?
①11日10:00~11:00
②12日10:00~11:00
③14日10:00~11:00
本日中にご返事ください。
(註 太字化はもじのすけの加工です)
Bさんは、書かれた3つの日程のすべてで会議を行なうという意味に受け取って、「全て出席します」と返事した。
Cさんは、「3回分の会議を一度に決めるつもりだろうか? それとも、3つの選択肢の中から1つを選べという意味だろうか。メールをくれた人はいつも一言足りない人だから、きっと”次の日程のいずれか”と書くつもりで間違っただけではないか・・・」と考えて、「いずれでも可能です」と返信した。
その後しばらくして、またAさんから次のようなメールが届いたとする。
都合のよい人が一番多かった②の案にします。
ご出席ください。
(註 太字化はもじのすけの加工です)
このAさんからメールが来たらどんなことが判明するのでしょうか。
酒井先生は以下のように書いておられます。
Cさんは、自分の想像が正しかったことを知る。
Bさんは、それでも自分の誤読に気づかずに、「3回の会議を計画しておきながら、1回ですまそうとするのは朝令暮改でけしからん。Aさんはいつも勝手に物事を決める独善的な人だ」と怒り出してしまうかもしれない。
会議だけでしか顔を合わせない(風通しの悪い)間柄では、こうした些細な行き違いによって、誤解が誤解を生みエスカレートしやすい。
こんな例ですが、みなさんは、誰が悪いと思いますか。
誤解を生むメールを書いたAさん。
文字面どおりに読んだBさん。
文字面(文章)を信用せず、Aさんの性格を考慮して読んだCさん。
それぞれの立場で悪いと思われるところや、言い分を検討しました。
前回の記事の最後では、誰が一番世渡り上手なのか、の結論だけをご紹介しました。
今回は、
・誰が一番世渡り上手なのか
・それ以外の人も世渡り上手か、その理由は
・誤解を生むメールにどう対応していけばよいのか
について、検討していきたいと思います。
2 世渡り上手の視点で見てみる
Aさん、Bさん、Cさんの中で、一番世渡り上手なのは誰でしょうか。
2-1 世渡り上手はCさん
Cさんでしょう。
想像力を駆使して感情的なトラブル発生を回避していますし。
ここは争いがないでしょう。
それでは、後の2人はどうでしょうか。
2-2 Aさんは世渡り上手ではない
Aさんは世渡り上手とは言えません。
Aさんは、自分が誤解を生むメールを書いたことに気づいていません。
Aさんは、Bさんの回答「全て出席します。」とCさんの回答「いずれでも可能です。」とが違っているのを見たはずです。
そのときに気づいたらよかったのかもしれません。「あれ『全て出席』って?Bさんはズレたことを言ってるけど?あれ?」と。
しかし実際には、その後もAさんは一斉に「②に決定した」という連絡メールを送ってしまっています。Aさんは自分の不手際に気づいていません。
もしかするとAさんは、Bさんのように読んだ人から、後になって叱られるかもしれませんね。「全部かと思ったよ!わかりにくいよ!」と言われたりして。
ですが、大人の世界では、Bさんのように読んだ人はイラつきつつも、黙ったままでいることが多いでしょう。知らないうちにAさんとまわりの人の関係が悪化することも大いにありえますよね。その方が怖いですが・・・。((((;゚Д゚)))))))
要するに、Aさんは自分が誤解を生むメールを書いたことに気づいていません。
ということなので、Aさんは世渡り上手とはいえないでしょう。
2-3 Bさんも世渡り上手ではない
Bさんも世渡り上手とは言えません。
Bさんは、Aさんのまぎらわしい書き方に注意を払っていません。
そしてBさんは、文字どおりに読んだせいで、Aさんの言いたかったことが文字の並びとは違うという事実に気づいていません。
ひょっとすると、Bさんは後の「②の案にします」というAさんの回答を見て気づくかもしれません。つまり、Bさんは「え?②の『案』ってなんだ?3つ全部で会議をするはずでしょう?違うの?」と気づいたかもしれませんね。
でもBさんは自分の読み方に固執して、②の『案』という記載の意味を深く考えないで、予定変更があったのかと思うかもしれません。「Aさんは3つ全部開催の方針をいきなり変更して②の1回開催だけにしたのか!もう、ちゃんと説明してよ!」とだけ思ったりして。
さらに一歩進めて考えてみます。
もしBさんが自分の読み違いに気づいた上で「文字どおりに読んで何が悪い!」と開き直ったらどうでしょうか?
Bさんがそんな人だと、周りの人にとってはかなりやっかいですね・・・。「Bさんは結構うるさい人だなあ」と思われてしまいそうです。
でももっとやっかいなのは、Bさんが開き直るのではなく、単にAさんの意図を読み違えたことに気づかないときでしょう。
つまり、Bさんが「自分は文字どおりに読んでしまう傾向があり、Aさんの意図をまちがって読んでいた」と気づかずに、普通に暮らしているときでしょう。
今回の例では、Bさんに「文字どおりに読み、誤解する傾向がある」ことは、読み手であるBさん自身も、書き手であるAさんも気づいていません。
ですがそれ以上によくない状況になることもあります。
仮にBさんの「全て出席します。」というちょっとズレた返事がAさんにだけ送られたとしたらどうでしょうか。
AさんBさん以外の関係者、つまりCさんを含む他の読み手の誰もが、Bさんが文字以外のニュアンスを考慮しない傾向にある人だと気づかないままになります・・・。
そんな状態で別の機会に、CさんをはじめとするAさん以外の人がBさんに連絡することがあったら、どんな思いがけないトラブルが発生するかわかりません。
おそろしい・・・。((((;゚Д゚)))))))
いずれにしても、Bさんは読むときにAの意図を外してしまっているので、あまり世渡り上手とはいえませんね。
AさんもBさんも世渡り上手でない。
ではCさんはどうでしょうか。
2-4 Cさんの世渡り上手の理由
Cさんは世渡り上手だと思います。
いったい、どこが世渡り上手なのでしょうか。あらためて具体的に考えてみましょう。
まずCさんは、終始、安全なポジションにいますよね。
CさんはAさんの書き間違いの可能性も含めて、Aさんのメールの連絡内容を検討しています。その上で「いずれでも可能です」という回答をしています。
もしAさんが①②③全部の日程で開催するつもりだったとしても、「いずれでも可能です」と回答しておけば特に不都合は発生しません。
Cさんの強みは、Aさんが書き間違えたという想像力を働かせている点にあるでしょう。
また、他の読み手の中の誰かがAさんのメールを文字どおりに読んでしまう可能性があることに気がついている点にもあるでしょう。
その意味ではメールのやりとりで世渡り上手になる条件として、Cさんがもっているような
「想像力」
が必要となるでしょう。
さらに欲を言えば、Cさんはもう少し気をつかって、以下のような行動をとった方がよかったかもしれません。どれもこれもCさんからAさんやBさんたちに、Aさんの連絡内容を確認する工夫です。
・Aさんだけにこっそり書く、聞く
(Cさん)「あの~、①②③がどれか1つを選ぶ選択肢だと読んだのですが、合ってますか。私の読み違いだったらすみません」
と聞いて(書いて)、Aさんの連絡メールの意図を確認し、Aさんに修正を促す
・全員への返信メールを作る
(Cさん)「①②③はどれかを選ぶのかと思って、私は『いずれも可能です』と答えたのですが、自信がありません。私の読み違いで、全部開催の意味だったらすみません」
と書いて全員への返信メールを送り、全員に確認を促す
・Aさんの2つ目の「②の案にします」のメールの後に、全員への返信メールを作る
「①②③はどれかを選ぶのかと思って選んだのですが、ひょっとしたら①②③全部なのかもと思ってちょっと心配していました。②に決まって安心しました。②に出席しますね。」
と書いて全員への返信メールを送り、全員に確認を促す
など、いろいろ工夫の余地はありそうです。
その意味では、世渡り上手になるためには、他人の立場に立って考えるという「想像力」だけでは足りなさそうです。
誤解を生まないようにしたり、誤解が発生しかねない場合に、確認のコメントを入れたりして、実際に他人のために行動するという「心づかい」も必要なように思います。
2-5 「想像力」と「心づかい」
以上に見てきましたとおり、Aさん、Bさんは「世渡り上手」ではなく、Cさんは「世渡り上手」といえるでしょう。
「世渡り上手」がよいかどうかは別にしても、この社会で生きていくためには、文字を読むときの「想像力」と「心づかい」は、重要な要素になるでしょう。
3 この時代を生き抜くために
1つのメールの例から話がかなり進んでしまいました。今回私が言いたかったことは、次のようなことです。
文字の並び(文章)を書いたり読んだりするときに、誤解が生まれることがある。文字の並び(文章)から誤解がなるべく生まれないようにするためには、少なくとも読む側の「想像力」が必要である。世渡り上手がいいかどうかは別として、この時代を生き抜くためには、「想像力」と「心づかい」が必要になりそうだ。
たいそうな話になってしまいましたね。
今の時代は、メールや電子媒体での文字のやり取りを大量に処理する必要があります。
この時代を生き抜くために「想像力」と「心づかい」は大事です。
ですが、
「想像力」よりも「心づかい」よりも大事なことがある
ので、次回にその大事なことをお話ししましょう。
次回でこの「文字と想像力」のシリーズのお話を終わりにしたいと思います。
おつかれさまでした。
Boxing Match For 200 Guineas, Betwixt Dutch Sam and Medley, Fought 31 May 1810, on Moulsey Hurst Near Hampton
Artist:Thomas Rowlandson (British, London 1757–1827 London)
Publisher:Thomas Tegg (British, 1776–1846)
Date:June 5, 1810
Medium:Hand-colored etching
Dimensions:Sheet: 9 3/8 × 12 7/8 in. (23.8 × 32.7 cm)
Classification:
上杉謙信の手書き文字から作った
「けんしんフォント」無償公開中
【ダウンロードはこちら】
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http://mojinosuke.hatenablog.com/entry/2017/04/06/130000
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