【目次】
(冒頭の作品)
Tamagawa Shugetsu
江戸近郊八景之内 玉川秋月
Autumn Moon on the Tama River
Artist:Utagawa Hiroshige (Japanese, Tokyo (Edo) 1797–1858 Tokyo (Edo))
Period:Edo period (1615–1868)
Date:ca. 1838
Culture:Japan
Medium:Polychrome woodblock print; ink and color on paper
Dimensions:9 3/8 x 14 3/8 in. (23.8 x 36.5 cm)
Classification:Prints
もじのすけです。
1 前回までの記事
今回は、前々回、前回の記事からの続きです。
とは言っても今回からの記事を読んでもわかるように書いていますので、そのままお読みください。お時間のある時は、前々回や前回の記事もどうぞ。
前々回の記事はこちらです。
前回の記事はこちらです。
前回までの記事では、誤解を生むメールの例をもとに誰が悪いのかを検討しました。
この例は、「脳を創る読書」(酒井邦嘉 著 実業之日本社 2011)のP126、P127に挙げられた例です。
これまでの記事を読んでいない方向けに、例を示します。
AさんがBさんやCさんその他の仕事関係の人に、以下のようなメールを一斉に送信したとします。
例の案件ですが、次の日程で会議は可能ですか?
①11日10:00~11:00
②12日10:00~11:00
③14日10:00~11:00
本日中にご返事ください。
(註 太字化はもじのすけの加工です)
Bさんは、書かれた3つの日程のすべてで会議を行なうという意味に受け取って、「全て出席します」と返事した。
Cさんは、「3回分の会議を一度に決めるつもりだろうか? それとも、3つの選択肢の中から1つを選べという意味だろうか。メールをくれた人はいつも一言足りない人だから、きっと”次の日程のいずれか”と書くつもりで間違っただけではないか・・・」と考えて、「いずれでも可能です」と返信した。
その後しばらくして、またAさんから次のようなメールが届いたとする。
都合のよい人が一番多かった②の案にします。
ご出席ください。
(註 太字化はもじのすけの加工です)
このAさんからメールが来たらどんなことが判明するのでしょうか。
酒井先生は以下のように書いておられます。
Cさんは、自分の想像が正しかったことを知る。
Bさんは、それでも自分の誤読に気づかずに、「3回の会議を計画しておきながら、1回ですまそうとするのは朝令暮改でけしからん。Aさんはいつも勝手に物事を決める独善的な人だ」と怒り出してしまうかもしれない。
会議だけでしか顔を合わせない(風通しの悪い)間柄では、こうした些細な行き違いによって、誤解が誤解を生みエスカレートしやすい。
こんな例ですが、みなさんは、誰が悪いと思いますか?
誤解を生むメールを書いたAさん。
文字面どおりに読んだBさん。
文字面(文章)を信用せず、Aさんの性格を加味して読んだが、他の人には注意を呼びかけなかったCさん。
前々回は、Aさん、Bさん、Cさんのそれぞれの立場で、悪いと思われるところや言い分を検討しました。
前回は、世渡り上手なのはCさんであって、AさんとBさんではない、ということをお話ししました。そして、社会で生きていくためには、文字を読むときの「想像力」と「心づかい」が重要な要素になっていることをお話ししました。
今回は、この時代を生き抜くためには「想像力」と「心づかい」よりももっと重要なことがある、という話をしたいと思います。
その、もっと重要なこととは、
「つかれない」 です。
2 この時代を生き抜くために ~つかれない~
時間に余裕のある方は、前々回の記事の 「 4 誰が悪いのか」のところをもう一度見てください。実はそこに今回の結論を導き出すヒントが書いてありました。
前々回の記事
該当部分はこちら
該当部分では、Aさん、Bさん、Cさんが自分の行動について語った「言い分」を分析しました。
その中に、共通して使われたキーワードがあります。
それは「つかれてしまう」です。抜粋して再掲します。
・Aさん「この書き方はしかたがない」
誤字脱字もそうだけれど、常に正確無比な文章を書くとなるととても気をつかってつかれてしまう。
・Bさん「書いたまま読んで何が悪い」
いちいち疑って読んでいたらつかれてしまう。
・Cさん「私は上手に読んだ」
え、私がAさんに、紛らわしくなっていることを注意すればよかったって?Aさんは急いでいるようだったし、そんなことをいちいち指摘してたら細かくてうるさい人に思われるし、つかれてしまう。
私たちが暮らしているこの社会は、情報化が進み、スピードが上がり続けています。私たちが日々の生活を送る中で、文字の並び(文章)を読むときの「想像力」と「心づかい」を要求される場面が増えています。というか増えすぎています。
そんな暮らしの中で「つかれている」人も多いことでしょう。心身がしんどくなる人もいることでしょう。
私はネット依存症ですので、自信をもって「目と頭がつかれている」と断言できます!
私は、現代の情報化社会を「下りエスカレーター」にたとえ、その情報化社会の中で暮らしている私たちのことを「下りエスカレーターを逆向きに昇る人」にたとえています。
そして、私たちの暮らしの状態を以下のように説明することにしています。
私たちは下りエスカレーター(社会の変化のスピードとストレス)を逆向きに昇っています。駆け足でがんばって昇り続けています。
ところが、その下りエスカレーターのスピードは、毎日ちょっとずつ速くなっています。毎日ちょっとずつなので、みんなはだんだん速くなっていることを実感していません。そうこうするうちにも、下りエスカレーターのスピードは速くなっていきます。
がんばって昇れていた人にもだんだん疲れの色が見えはじめます。みんな心のどこかで「しんどくなってきた」と思っています。うまく休憩する人もいれば、マジメに昇り続けているうちに気力体力を使い果たし、倒れる人も出ています。
下りエスカレーターはまだまだ速くなっていきます。私たちがこのまま駆け足で昇り続けることだけ考えていると、いずれほとんどの人は倒れてしまいます。
(「現代を生き抜く文字の知恵」(もじのすけ著 ほらふき書房)より)
今日の暮らしでは、気づかいが要求されるタイミングがどんどん増えています。「想像力」と「心づかい」が大事だとしても、四六時中気をつけるなんて、心身がもたないことでしょう。
そんなことを考えると、他人の目を全然気にしないほうがラクに生きていけるかもしれません。
今回の例では、Aさんが誤解を生むメールをBさんCさんや他の人に一斉に送りました。
このAさんが他人の目を全然気にしないなら、今後も誤解を生むメールをせっせと送り続けることになるでしょう。
BさんやCさんが他人の目を気にしないとなると、たとえば、Bさんが自分の読み方が時々ズレても気にしないとか。CさんがAさんの読みにくいメールに返事をして、自分の想像があっていたことに満足し、後は他人がどう読もうと気にしないとか。
みなさんのまわりにもそんな人がいませんか。
たしかにその人が「他人の目を全然気にしない」ことによってその人はストレスフリーで生きていけるかもしれません。
ですが、その反面、まわりの人に気をつかわせて、まわりの人がストレスフルになっているかもしれません。
また、本人としては意識していないのに、まわりの人をストレスフルにしてトラブルを引き起こしてしまい、結局本人がストレスフルになる。
現代ではそんな人も多いように思います。
「他人の目を気にするのも、しないのもストレスフルだと!じゃあどうしたらいいんだ!」と叫びたくもなります。
じゃあ、どうするか。
ちょうどよい加減で他人の目を気にするためには、どの程度がよいのでしょうか。
私ならこう答えます。
「つかれない程度に」
書き手ならばどうか。
他人である「読み手の読み取り方」を想像して、誤解を生みにくい文章を書くという心づかいをする。ただし「つかれない程度に」
もっとも、読み手側がもっている知識や経験は人によって違います。そこから読み方が異なってくる可能性があります。書き手としてはどんなに注意をして文章を作っても、完全に誤解を生まないように書くのは不可能でしょう。
そうすると書き手には限界がありますから、読み手が気をつけることも、解決方法としては大事になってきます。
では読み手ならばどうか。
文字を読むときに、読み手が他人である「書き手の意図」を想像して、場合によっては「自分以外の他の読み手にとっての読みやすさ」にまで想像をめぐらせて読むことも必要でしょう。
そして書き手の文章が分かりにくければ、「書き手の顔を立てつつ、書き手や他の読み手にわかるようにさりげなく確認する」という心づかいをする。
ただし「つかれない程度に」
結局は「想像力」「心づかい」を意識する場面のバランスの問題だと思います。
もともと「想像力」「心づかい」を意識しない人には関係の無い話でしょうが、全く意識しないという人も少ないことでしょう。
情報量が増え、ただでさえ気をつかうことが増えた昨今、全てのことにがんばりすぎると倒れてしまいます。
この時代を生き抜くためには、「つかれない」ようにするのが一番です。
自分が「やった方がいい」「これならできる」と感じた場面で「つかれない」程度に「想像力」と「心づかい」を発揮していくのがよさそうです。
3 おまけ
今回は思いがけず長文になってしまいました。
せっかくなので長文になったついでに、「もじのすけは、自分の体系にしたがってお話ししているのです!」というアピールをしておこうと思います。
今回は、活字を主体とする現代の業務連絡について、誤解を生むメールを例に挙げました。そして、対処法として「つかれない」程度に「想像力」と「心づかい」を発揮するという対処法を検討しました。
では、みなさん、最後に1つだけ質問にお付き合い下さい。
もし今回の例が「メール」でなくて「お手紙」のケースだったら?
つまり、Aさん、Bさん、Cさんは「お手紙」だったら、どんな態度をとっていたでしょうか?
Aさんは「お手紙」なら、もっと丁寧に書いていたかもしれませんね。
Bさん、Cさんも「お手紙」なら、もっと丁寧に読んだり、対応したかもしれませんね。
「お手紙」の読み書きと、メールの読み書きは違います。
メールの文字は、電子媒体上で大量に流通しています。それを読む人は短時間で大量に読んで処理しなければなりません。1通ごとに見ればメールは「お手紙」より気楽です。ですが、大量のメールの処理となると話が違ってきます。
お手紙を読み書きするケースと違って、メールの読み書きで「つかれる」と感じてしまうのは、メールの文字(文章)を大量に処理する上に、さらに「想像力」と「心づかい」が要求されているからでしょう。
その意味では、今回の「想像力」「心づかい」「つかれない」のお話は、流通量(読む量・書く量)が激増しつづける 電子媒体上の活字 についてのお話でした。
私がよく使う「文字の歴史の流れ」図でいうと、(3)③電子媒体上の活字(活字の表示の電子媒体)に接するときの意識 のお話でした。右下の黄色い部分です。
この図を初めて見た方もおられることでしょう。
初めて見ると何のことかよくわからないことでしょう。
これは、日本の歴史の中で、文字と媒体が発達してきた経過を、もじのすけが独自にまとめた図です。
それぞれの場面の説明はこちらです。スタートは飛鳥時代からです。
お時間のある方はごらんください。
(1)①手書き文字が書かれた紙
文字と媒体の関係 (1)①手書き文字の紙 - もじのすけ の文字ブログ
(1)②手書き文字の紙の写し
文字と媒体の関係 (1)②手書き文字の紙の写し - もじのすけ の文字ブログ
(3)①活字が直接印字された紙
文字と媒体の関係 (3)①活字が直接印字された紙 - もじのすけ の文字ブログ
(3)②活字の紙の写し
文字と媒体の関係 (3)②活字の紙の写し - もじのすけ の文字ブログ
(3)③活字の表示の電子媒体
文字と媒体の関係 (3)③活字の表示の電子媒体 - もじのすけ の文字ブログ
(1)③手書き文字の表示の電子媒体
文字と媒体の関係 (1)③手書き文字の表示の電子媒体 - もじのすけ の文字ブログ
「文字と想像力」シリーズは長文の堅い記事の連続でした。
長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。
次は軽い話題にしたいと思います。
それでは、おつかれさまでした。
Book of Chinese Designs, taken from the originals of Persia, of the Indies, of China and of Japan
Artist:Jean Antoine Fraisse (French, active ca. 1680–1739)
Publisher:Philippe-Nicolas Lottin (French, 1685—1751) , Paris
Published in:Paris
Date:1735
Medium:Woodcut, engraving, pen and ink
Dimensions:Overall: 21 3/4 x 16 x 1 3/4 in. (55.2 x 40.6 x 4.4 cm)
Classifications:Books, Ornament & Architecture
上杉謙信の手書き文字から作った
「けんしんフォント」無償公開中
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↓
http://mojinosuke.hatenablog.com/entry/2017/04/06/130000
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