【目次】
(冒頭の作品)
Jōkisen zenzu(蒸気船全図)
Complete Picture of a Steamship off Kanazawa
Artist:Utagawa (Gountei) Sadahide (Japanese, 1807–1878/79)
Period:Edo period (1615–1868)
Date:19th century
Culture:Japan
Medium:Triptych of polychrome woodblock prints; ink and color on paper
Dimensions:Image (a): 14 1/8 x 9 3/8 in. (35.9 x 23.8 cm)
Image (b): 14 1/8 x 9 1/4 in. (35.9 x 23.5 cm)
Image (c): 14 1/8 x 9 1/4 in. (35.9 x 23.5 cm)
Classification:Prints
もじのすけです。
今回はなぞってみたシリーズです。
明治維新の立役者、
吉田松陰 の字を
ご紹介したいと思います。
吉田松陰の字は
以前の記事でご紹介しました。
こちらです。
吉田松陰はこんな人です。
吉田 松陰(よしだ しょういん)は、日本の武士(長州藩士)、思想家、教育者。山鹿流兵学師範。一般的に明治維新の精神的指導者・理論者・倒幕論者として知られる。私塾「松下村塾」で、後の明治維新で重要な働きをする多くの若者に思想的影響を与えた。
吉田松陰は、長州藩(今の山口県)で私塾である松下村塾で教えていました。教えた期間は決して長くはないのですが、塾のお弟子さんも有名人ばかりです。
久坂玄瑞、高杉晋作、入江九一、伊藤博文、山県有朋、前原一誠、品川弥二郎などなど。そうそうたる顔ぶれですね。
この中では若手の部類に入る伊藤博文も山県有朋も、明治政府では総理大臣を何度も務めています。
もじのすけは、最近、家族で国会議事堂見学に行きました。
国会議事堂内には、伊藤博文、大隈重信、板垣退助の3体の巨大な銅像があります。
伊藤博文の像は威厳がありました。その威厳も師匠である吉田松陰あってのことですから、私としてはひときわ感慨深いものがありました。
それでは吉田松陰の説明はこれくらいにして、文字なぞりに入っていきましょう!
ちなみに、
ここからはむやみに改行して、
気軽さを演出しています。
それでは
恒例の「文字なぞり」の注意点を
2つ挙げます。
最初に目を通しておいてください。
1 文字なぞり遊び
毎度のことですが、一応文字なぞり遊びの
おさらいをしておきますね。
段取りは以下のとおり。
1 有名人の公開された手書き文字を
紙にコピーする。
2 紙上の手書き文字をなぞる。
3 なぞってその人の性格を感じる。
以上終わり。
あっさりするほど簡単です。
2 文字なぞりの注意点
続いて、権利関係で
知っておくべきポイントは
以下のとおり。
公開された手書き文字と
それを載せている媒体
(出版物、HPなど)が、
適法に公開されたものであれば、
誰の手書き文字であっても
それを紙にコピー(複製)して、
自分でなぞって楽しむ限りでは、
著作権法上適法です
(私的使用のための複製
著作権法30条)。
この結論だけは知っておいてください。
3 吉田松陰の「留魂録」
本題に戻ります。
今回採り上げるのは、
の一文です。
「留魂録」の詳しい説明は
別の記事にしたいと思います。
プリントアウトできる方は、
できるだけプリントアウトして
紙の字をなぞってみてください。
「そんな時間はないよ。」という方は、
なぞってみるのも一興です。
「え、見るだけじゃダメなの?」
という方が一番多いと思います。
手軽さと時間を重視するのであれば
もちろん見るだけでもいいですよ!
(譲歩しすぎ?)
ただし、「なるほど!」感は
確実にうすまります。
そこは覚悟しておいて下さい。
それでは、こちらが
吉田松陰の自筆文書、
「留魂録」の出だしです。
「書の日本史〈第7巻〉幕末維新 」(今井庄次編)(平凡社 初版 昭和50年)P118、119
右ページの歌を拡大してみましょう。
「身ハたとひ武蔵の野辺に
朽ぬとも留置まし大和魂
十月念五日 二十一回猛士」
【釈文】
「身はたとえ武蔵の野辺に朽ちぬとも
留め置かまし大和魂
十月二十五日 二十一回猛士」
釈文は奈良本辰也(「書の日本史〈第7巻〉幕末維新 」(今井庄次編)(平凡社 初版 昭和50年)P118、119)より
【もじのすけ勝手訳。誤訳御免】
「私の身はたとえ武蔵の野辺に朽ちたとしても(私の)大和魂は留め置きたい。
十月二十五日 二十一回猛士」
(註 「二十一回猛士」は吉田松陰の
ペンネームです。)
なぞるのをためらうほどの
思いのこもった歌です。
正直、畏れ多いです。
この歌は、吉田松陰が、
処刑される数日前に詠んだ
実質的な辞世の句です。
もじのすけとしては、
そのような歌の字をなぞることには
心理的な抵抗があったので、
ためらいました。
ですが結局実行することにしました。
「人の辞世の歌を
なぞるなんてけしからん!」
という人もおられることでしょう。
私が実行に至った理由は
こちらに書きましたので
ごらんください。
みなさんはお好きなやり方でどうぞ。
なぞるもよし。見るもよし。
私は
紙にプリントアウトして、
ペンで2回、シャーペンで1回、
なぞりました。
再掲しておきます。
4 吉田松陰の字の特徴
4-1 右上がり
吉田松陰の字の明らかな特徴は
なんと言っても
「右上がり」
という点でしょう。
いくつかの例をごらんください。
「留魂」
「大和魂」の「和魂」
がいずれも右上がりです。
他にも
「留置」
「二十一回猛士」
どれも「右上がり」です。
全体的にも右上がりです。
吉田松陰の他の手紙を読んでも
この右上がりは明白な特徴として
表れています。
4-2 1文字1文字が横長
次にご紹介する
吉田松陰の字の特徴は
1文字1文字が
横長ということです。
「和」
特に「のぎへん」が横長です。
「に」
「魂」
「回」
全体
4-3 トメ・ハネ・ハライが適当
吉田松陰の字は、
トメ・ハネ・ハライが
けっこう適当
になっています。
「身」
最後から二画目。
ハネがありません。
個人的には
「そこははねて~」
と言いたくなります。
また、
最後の一画が「右上→左下」ではなく
逆に「左下→右上」になっています。
つまりハライが逆。
(参考)
同様にハネがないものとして
「朽」
個人的には
「最後のそこははねて~!」
とウズウズしてしまいます。
次はこちら。
「辺」
「刀」のハネが微妙
「しんにょう」のハライがない
「に」
右の「こ」の部分が
はねない。しっかりとめない。
「そこはとめたり、はらったり
していただきたい!」
と言いたくなってしまいます。
4-4 直線的で堅い
右上がりと横長とも関連しますが、
吉田松陰の字の特徴として
「直線的で堅い」
というところもあると思います。
「野」
直線的でスマートな印象です。
とぎ澄まされた感じで、
かっこいいですよね。
「辺」
「辺」の「刀」の部分は
丸く小さく書くことも
可能だったはずです。
ですが、カチッとしています。
「しんにょう」のハライも
最後の真っ直ぐ部分が長いです。
全体的に見ても
滑らかな曲線があまりありません。
5 まとめ
いかがでしたでしょうか。
吉田松陰の字は、
・右上がり
・横長
・トメハネハライが適当
・直線的で堅い
という特徴があります。
(1)その特徴に表れた吉田松陰の性格
書くことになった経緯
(3)このような書き方をした理由
これらについては順を追って
次回以降に検討したいと思います。
おつかれさまでした。
叭々鳥図屏風
Mynah Birds
Artist:Unidentified Artist Japanese
Period:Momoyama (1573–1615)–Edo (1615–1868) period
Date:early 17th century
Culture:Japan
Medium:Pair of six-panel folding screens; ink, color, and gold on paper
Dimensions:Image (each screen): 61 x 142 1/8 in. (155 x 361 cm)
上杉謙信の手書き文字から作った
「けんしんフォント」無償公開中
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