【目次】
(冒頭の作品)
Igirisu fune
English Ship
Artist:Utagawa Yoshitora (Japanese, active ca. 1850–80)
Period:Edo period (1615–1868)
Date:2nd month, 1862
Culture:Japan
Medium:Polychrome woodblock print; ink and color on paper
Dimensions:Image: 14 x 9 3/4 in. (35.6 x 24.8 cm)
Classification:Prints
もじのすけです。
今回はなぞってみたシリーズの続きです。
明治維新の立役者、吉田松陰 の字をなぞって分析をしたいと思います。
吉田松陰の字は以前の記事でご紹介しました。 こちらです。
そして、吉田松陰の字の特徴は、こちらの記事で説明しました。こちらです。
mojinosuke.hatenablog.com
吉田松陰はこんな人です。よくご存じない方はこちらの説明をどうぞ。
吉田 松陰(よしだ しょういん)は、日本の武士(長州藩士)、思想家、教育者。山鹿流兵学師範。一般的に明治維新の精神的指導者・理論者・倒幕論者として知られる。私塾「松下村塾」で、後の明治維新で重要な働きをする多くの若者に思想的影響を与えた。
吉田松陰は、長州藩(今の山口県)で私塾である松下村塾で教えていました。教えた期間は決して長くはないのですが、塾のお弟子さんも有名人ばかりです。
久坂玄瑞、高杉晋作、入江九一、伊藤博文、山県有朋、前原一誠、品川弥二郎などなど。そうそうたる顔ぶれですね。
この中では若手の部類に入る伊藤博文も山県有朋も、明治政府では総理大臣を何度も務めています。
日本の歴代首相の顔ぶれを見ると、山口県出身者は9人。吉田松陰の薫陶を受けた伊藤博文に始まり、長州藩の流れは、脈々と続いていますね。
首相経験者
伊藤博文(初代・第5代・第7代・第10代内閣総理大臣、初代貴族院議長)
山縣有朋(第3代・第9代内閣総理大臣)
桂太郎(第11代・第13代・第15代内閣総理大臣、拓殖大学創立者)
寺内正毅(第18代内閣総理大臣)
田中義一(第26代内閣総理大臣)
岸信介(第56代・第57代内閣総理大臣):熊毛郡田布施町(出生地は山口市)
佐藤榮作(第61代・第62代・第63代内閣総理大臣、ノーベル平和賞受賞):熊毛郡田布施町
菅直人(第94代内閣総理大臣):宇部市(本籍地は岡山県久米郡福渡町、選挙区は東京7区(中選挙区制時代)→東京18区・比例東京ブロック)
安倍晋三(第90代・第96代・第97代・第98代内閣総理大臣):長門市(本籍地。出生は東京都)
それでは吉田松陰の説明はこれくらいにして、吉田松陰の字をなぞってわかる性格分析に入っていきましょう!
一応、「文字なぞり」の注意点を2つ挙げます。最初に目を通しておいてください。
1 文字なぞり遊び
段取りは以下のとおり。
1 有名人の公開された手書き文字を
紙にコピーする。
2 紙上の手書き文字をなぞる。
3 なぞってその人の性格を感じる。
以上終わり。
あっさりするほど簡単です。
2 文字なぞりの注意点
続いて、権利関係で知っておくべきポイントは以下のとおり。
公開された手書き文字とそれを載せている媒体(出版物、HPなど)が、適法に公開されたものであれば、誰の手書き文字であってもそれを紙にコピー(複製)して、自分でなぞって楽しむ限りでは、著作権法上適法です(私的使用のための複製 著作権法30条)。
この結論だけは知っておいてください。
3 吉田松陰の「留魂録」
本題に戻ります。今回も採り上げるのは、吉田松陰の「留魂録」の一文です。
それでは、こちらが吉田松陰の自筆文書、「留魂録」の出だしです。
「書の日本史〈第7巻〉幕末維新 」(今井庄次編)(平凡社 初版 昭和50年)P118、119
右ページの歌を拡大してみましょう。
「身ハたとひ武蔵の野辺に
朽ぬとも留置まし大和魂
十月念五日 二十一回猛士」
【釈文】
「身はたとえ武蔵の野辺に朽ちぬとも
留め置かまし大和魂
十月二十五日 二十一回猛士」
釈文は奈良本辰也(「書の日本史〈第7巻〉幕末維新 」(今井庄次編)(平凡社 初版 昭和50年)P118、119)より
【もじのすけ勝手訳。誤訳御免】
「私の身はたとえ武蔵の野辺に朽ちたとしても(私の)大和魂は留め置きたい。
十月二十五日 二十一回猛士」
(註 「二十一回猛士」は吉田松陰の
ペンネームです。)
4 吉田松陰の字からわかること
吉田松陰の字の特徴からわかることを検討していきましょう。
4-1 右上がり
吉田松陰の字の明らかな特徴は「右上がり」という点です。
「留魂」
「大和魂」の「和魂」
がいずれも右上がりです。
他にも
「留置」
「二十一回猛士」
どれも「右上がり」です。
全体的にも右上がりです。
右上がりの字の特徴から、吉田松陰の何が感じられるでしょうか。
それは、勢いのある性格、書き急ぐ性格でしょう。 全体を通して、ひたすら右上がりになっています。誤字もなく、どんどんと書き進めている様子が伝わってきます。
性格としてせっかちなのか、もともとの頭の回転が速いのか。それとも両方か。
とにかく、先へ先へと急ぐタイプであることは間違いなさそうです。
とくに「魂」の右肩上がりの勢い、「二十一回猛士」の右肩上がりぶりには、勢いと共に鬼気迫るものが感じられます。
4-2 1文字1文字が横長
次にご紹介する吉田松陰の字の特徴は、1文字1文字が横長だということです。
「和」
特に「のぎへん」が横長です。
「に」
「魂」
「回」
全体
この文章は漢字が多いので、書き急ぐのであれば、続け字にして、小さく縦長に書けば良いはずです。しかし、実際には1つ1つ横長に書いています。決して上手な字ではありませんが、1文字1文字の字を独立させて書いています。
吉田松陰が、気が急きながらも、1つ1つの漢字に意味をこめて書いている様子が伝わってきます。漢文に親しみ、学んだ人の特徴だと思われます。
4-3 トメ・ハネ・ハライが適当
吉田松陰の字は、トメ・ハネ・ハライがけっこう適当になっています。
同様にハネがないものとして「朽」
次はこちら。「辺」
「刀」のハネが微妙
「しんにょう」のハライがない
「に」
右の「こ」の部分が
はねない。しっかりとめない。
これも、先へ先へと書き急ぐ雰囲気が伝わってきます。かなり急いでいるようです。
急ぐ雰囲気からは一本気なところが感じ取れます。続け字にせず、1文字1文字を書き分けているところに生真面目さを感じさせます。
ですが、トメ・ハネ・ハライが結構適当ですので、一本気ながら隙も多い人物であったことがうかがえます。
ここで特徴的な文字を一つご紹介したいと思います。
「身」の字。最後の一画が「右上→左下」ではなく逆に「左下→右上」になっています。つまりハライが逆。
(参考)
私自身はハライについて「逆に書いているな。そんなクセがあったのだな。」としか思っていなかったのですが、前回の記事で、森麻理子( id:morimariko)様からのご指摘がありました。
「身」のハライが逆ということになぜか感動しました。処刑される数日前ということが関係しているような気がしてきました。また、「魂」の文字が他に比べて大きいところに吉田松陰の「魂」を感じる文字に思いました!
処刑をイメージすると、書き順どおりに払う動作は、まるで刀で「首を斬る」(切腹の介錯をする)動作のようにも思えます。
吉田松陰は、この留魂録を書いている時は、自身が処刑されることについてほぼ諦めていますが、処刑が確定したわけではありませんでした。そうすると、縁起が悪いという理由で、下から上に払った可能性は十分にあります。
なるほどと唸るご指摘でした。森麻理子様ありがとうございます。
4-4 直線的で堅い
右上がりと横長とも関連しますが、吉田松陰の字の特徴として「直線的で堅い」というところもあると思います。
「野」
直線的でスマートな印象です。
とぎ澄まされた感じで、
かっこいいですよね。
「辺」
「辺」の「刀」の部分は
丸く小さく書くことも
可能だったはずです。
ですが、カチッとしています。
「しんにょう」のハライも
最後の真っ直ぐ部分が長いです。
全体的に見ても
滑らかな曲線があまりありません。
横長の特徴のところでも書きましたが、吉田松陰は、字を1つ1つ直線的に書いています。決して上手な字ではありませんが、1文字1文字独立させて書いています。
吉田松陰が、気が急きながらも、1つ1つの漢字に意味をこめて書いている様子が伝わってきます。これも漢学を学んだ人の特徴だと思われます。
5 まとめ
いかがでしたでしょうか。
吉田松陰の字は、
・右上がり
・横長
・トメハネハライが適当
・直線的で堅い
という特徴があります。
吉田松陰は、書き急ぎながらも、漢学を学んだ人らしく、1文字1文字を大事にして伝えようとしています。内容を大事にしていたことが伝わってきます。
トメハネハライが適当なことから、隙のある人物であると感じさせます。その一方で、誤字が全然無いところを見ると、気持ちをこめて書いている事が伝わってきます。
とくに「魂」や「二十一回猛士」の書きぶりを見ると鬼気迫るものがあります。
そもそも「留魂録」という題名の書を鬼気迫る勢いで書いて、処刑についてナーバスになって、いったい吉田松陰は誰に何を伝えたかったのでしょうか。
そして、今、私たちが目にしている吉田松陰の文字、すなわち「留魂録」の書はどうやって私たちの目に届いたのでしょうか。
そんな疑問がわいてきます。
今回は、(1)字の特徴に表れた吉田松陰の性格 についてお話ししました。
これに対して、
(3)このような書き方をした理由
についてはまだお話ししていません。
これらについては順を追って、次回以降に検討したいと思います。
おつかれさまでした。
東都芝浦之風景
View of Shibaura, from the series Eastern Capital (Tōto, Shibaura no fūkei)
Artist:Utagawa Yoshitora (Japanese, active ca. 1850–80)
Period:Edo period (1615–1868)
Date:6th month, 1863
Culture:Japan
Medium:Sheet from a triptych of polychrome woodblock prints; ink and color on paper
Dimensions:13 x 28 1/8 in. (33 x 71.4 cm)
Classification:Prints
https://www.metmuseum.org/art/collection/search/55256
上杉謙信の手書き文字から作った
「けんしんフォント」無償公開中
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http://mojinosuke.hatenablog.com/entry/2017/04/06/130000
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