【目次】
(冒頭の作品)
Gaikoku shashin kagami no zu
Foreigners Employing a Camera
Artist:Utagawa Yoshikazu (Japanese, active ca. 1850–1870)
Period:Edo period (1615–1868)
Date:11th month, 1860
Culture:Japan
Medium:Polychrome woodblock print; ink and color on paper
もじのすけです。
今日は、「文字の威力」が及ぶ範囲という話をしたいと思います。
この話をしようと思ったきっかけは、息子(小1)の誕生日プレゼントにカメラを買ったことでした。
1 息子の誕生日プレゼント ~カメラ~
息子(小1)の誕生日が近づいてきたある日、誕生日プレゼントに何がほしいか、彼に聞いてみました。
息子「野球のグローブがいい。」
うん、子どもらしくていい。
いやちょっと待てよ。
ちかごろの風潮で、家の近所の公園はどこもキャッチボール禁止です。やわらかいボールでもダメなようです。
唯一のキャッチボールできる公園は、大きいお兄ちゃんたちの練習場になっていてど素人の息子が安心してキャッチボールできるスペースはありません。
私は「どうしようかな。」と思案し始めました。
すると、そんな空気を察してか、息子は妥協案を出してきました。
「WORLD ORDERのライブ映像がいい。」
ご存じない人のためにご説明しますと、元格闘家の須藤元気氏が参加したりしなかったりのダンスユニットです。
「ほとんどの曲はYouTubeで見ることができるし、現に見せているし。」「ライブ映像もこの前買ったし・・・。」と、これまた思案を続けてしまいました。
煮え切らない態度の私を見て、息子は更なる手を繰り出してきました。
息子「カメラがほしい。電車に乗ったら記念に撮りたい。」
私「むむむ新しい視点・・・。撮り鉄か。行動系でしかも後で調べるし・・・。参りました。」
ということで、カメラに決まりました。
誕生日は過ぎてしまったのですが、昨日、カメラがようやく届きました。
こちらです。
正直、小1の子どもには高すぎるとも思いました。ですが、息子は品質を見る性格で、物を大事するので、子どもにひよりすぎない本格仕様のカメラを思い切って買いました。
息子は大喜び。ブルーの仕様も気に入ったようです。
今朝から、さっそく充電の仕方、付属品の付け方を学び、説明書をじっくり読んでいました。図を見て分からないところがあったようで、私に聞いたりしていました。
そして充電をセットして、用事のために家を出て行きました。
2 虎視眈々とねらう姉
こうなると、気をつけないといけない存在が1人います。
姉(小4)です。
姉は、弟が家を出た後、弟の机に置いてあった説明書を読み込んでいました。おそらくカメラの機能は調べ尽くしたものと思われます。
そして、居間で充電しているカメラを見つめています。見つめ続けています。
こういう状況を「虎視眈々」というのでしょうね。
私は「カメラは〇〇のものだから、それもまだ手に入れたばかりだから、決して触ってはいけないし、何をするにも〇〇の許可をもらわないといけないよ。」と伝えました。
姉「わかってる!」
・・・心配です。
その後、私も家を出ましたので、カメラがどうなっているのかは分かりません。
おそらく触ることまではしていないでしょう。
弟の机にあった説明書を熟読していますし、弟も姉の物を使わせてもらうことがあるので、これからひと悶着起きないか、心配ではあります。
そうなったときに落ちるのが妻のカミナリ。子どもたちだけで収まるようには思えません。恐らく私の頭上にも落ちるでしょう。
「弟がまだ小さいのにこんな立派な物を買うから、姉も気になる」
「弟は他のことがおろそかになる」
「壊れたら大変なことになる。」
という火を噴くような叱責の嵐。容易に想像がつきます。
3 対応策はネーム入れ
文字ブログなのに、ここまで「文字っぽい話」がなかったと思います。エッセイブログ風に書いてみました。
ですが、ここからはれっきとした文字の話です。
要するに、
妻の叱責に対する準備を進めているのが、今回の記事なのです。
妻の叱責に備えるため、文字を使って必死に考え始めているのです。
こんなことに読者のみなさんを巻きこんですみませんが、しばらくおつきあいください。
対応策は色々と考えています。
①「姉も気になる」対策
息子がカメラをしまう場所は机の引き出しとなりました。置き場所を図や文字で書くことになると思います。こうすれば、カメラをしまうときには、姉の目から離れます。
②「カメラ以外のことがおろそか」対策
息子に、カメラ以外のことで何か約束事を決めてもらい、カメラを扱うことと連動してもらいます。約束事は口で言っても忘れるので、紙に文字で書いてもらう予定です。こうすれば、カメラのために、目に見える約束事を意識して守ることでしょう。
③「壊れたら大変なことになる」対策
物理的には、保護フィルムを買いました。ケースも買おうと思います。
そして、①「姉も気になる」対策、③「壊れたら大変なことになる」対策の両方を兼ねる基本的な対策として、
カメラに息子の名前を入れよう(ネームを入れよう)
と思います。
姉は、緩い共有、緩いレンタルを虎視眈々と狙っているでしょうけれど、息子の名前がバッチリ入ったカメラであれば、弟の優位を認め、ご意向をうかがわざるをえません。
息子も自分の名前が心地よく入ったカメラであれば、よりカスタマイズされた物として大事に扱ってくれることでしょう。
刻印をつくって押すか、刻むように打ち付けるか、彫るか、シール的に名前を書いて貼るか、息子のマークを決めてそれを貼り付けるか、はたまた直接書き込むか。
文字の作り方は色々です。
息子の名前の文字が、自分自身と姉に一定の影響力を与える。
その意味で、気になるのが「文字の威力」です。
カメラに入れられた息子の名前の文字は、物のどの範囲まで威力があるのでしょうか。
4 文字の威力の範囲
実は「文字の威力」は以前の記事で検討したことがあります。
「吉田松陰の『留魂録』」や、「耳なし芳一」などの例を挙げて、文字の威力の範囲を検討しました。
その記事はこちらです。
この記事では、
・「留魂録」という書類の中で吉田松陰の文字がどこまで威力を及ぼすのか
・一休宗純の書の字は掛け軸のどこまで及ぶのか
・夏目漱石の「坊っちゃん」の原稿用紙の字は原稿用紙のどこまで及ぶのか
・「耳なし芳一」の芳一の身体に書かれたお経。その威力がどこまで届くのか
という視点で「一文字の範囲」と「文字の威力の範囲」を検討しました。
結論だけ書いておきます。
もじのすけの考えをまとめると以下のとおり。
(1)1文字の範囲は「だいたいその1文字よりもやや広い四角形」
(2)文字の威力は全文で考える。「余白」を含む書状全体に及ぶ
そうやって考えると、「どこまでが文字か」という問題と「文字の威力がどこまで及ぶか」という問題は分けて考えるべきだと思います。
みなさんがもじのすけの結論と同じかどうかは分かりません。
おそらく、人によってけっこう違うと思います。友人に聞いても、仕事の同僚に聞いても、娘に聞いても、それぞれ違っていました。
この点は、いずれ整理して記事にしたいと思っています。
以前の記事の話はこれくらいにして、今回の記事に戻りましょう。
今回の記事で問題にしたいのは
「カメラに入れた息子の名前の文字は物のどこまで威力を持つのか」です。
私の答えは、「そのカメラ(とストラップなどの付属品)まで」です。
みなさんはどのように思われますか。
カメラに入った息子の名前(「もじたろう」としておきましょう。)の文字は、カメラが息子の持ち物である、ということを示しているのだと思います。
その意味で、カメラに入った「もじたろう」の文字は、カメラと付属品までが威力の限界だと思います。
つまり、簡単な問題だったかもしれませんが、
カメラに入った「もじたろう」の文字は、カメラと付属品にまで及ぶ。
という結論に至りました。
5 カメラでなければどうなるか
それでは「もじたろう」の文字が入るのがカメラじゃなかったらどうでしょうか。
たとえば一軒家の門の表札に「もじたろう」の文字が入っていたらどうでしょう。
私なら、表札の「もじたろう」の文字を見て、家の周りの門や塀とその内側の家までが「『もじたろう』の家だ」と感じます。
つまり、「もじたろう」の文字の威力の範囲は、門や表札だけにとどまらないのです。
皆さんはいかがでしょうか。多分私と同じ感覚ではないかと予想しています。
カメラと付属品の場合だけを考えると、文字の威力は「物理的に一体」のところにまで及ぶようにも見えます。
ですが、それだと表札の場合が説明できません。門の表札と内側の家とでは「物理的に一体」とは言えないでしょう。
この表札の場合も考えると、文字の威力は「機能的に一体」のところにまで及ぶように思います。
さらに考えてみましょう。
表札の「もじたろう」の文字は、隣の一軒家の門、塀、その中の家を指すとは思えません。つまり「物理的に一体」でも「機能的に一体」でもないところには及ばない。
分譲マンションで考えてみましょう。マンション入口の表札に「もじたろう」の文字が書いてあったときには、1つ1つの部屋まで威力が及ぶでしょうか。
マンション全体からみれば1つ1つの部屋は「物理的に一体」ですが、1部屋ごとに持ち主が違うため「機能的に一体」とはいえないでしょう。
こんなときはどうなるでしょうか。
時と場合によりそうです。「もじたろう」の文字がマンション全体を指す名称に見えたら、文字の威力は1部屋1部屋を含み「物理的に一体」のマンション全体に及ぶでしょう。他方、「もじたろう」の文字が1室の持ち主の名前にすぎないように見えたら、間違った場所に設置された表札のように見えて、落書き同様の扱いをされて、威力の範囲はゼロでしょう。
そうやって考えてみると、時と場合にもよりますが、大まかにいうと、名前の文字は「物理的に一体」か「機能的に一体」の範囲まで文字の威力が及ぶといえそうです。
6 名前でなければどうなるか
もじのすけの妄想は続きます。
それでは、カメラに入った文字が「もじたろう」ではなく、「うんこ」だったらどうでしょうか。
「うんこ」の文字の威力はどこまで及ぶのでしょうか。
私の感覚では、「うんこ」という汚いもののイメージは物全体を汚す印象を与えるので、「もじたろう」のときと同じく、カメラと付属品にまで及びます。
ですが、違う考えの人もいるでしょう。
単なる落書きだと考えて「うんこ」の文字を気にしない人もいるでしょう。その人の場合は「うんこ」の威力が及ぶ範囲はゼロでしょう。
「うんこ」と書いてあるところ部分だけが気になる人もいるでしょう。その人の場合は
「うんこ」の威力が及ぶ範囲は、「うんこ」の文字かその周辺くらいでしょう。
色々ありそうです。
みなさんはどのように考えましたか。
少なくとも、「文字の威力」は、文字の並び(つまり言葉)の影響を受けていると言えそうです。
もじのすけの妄想はまだまだ続きます。
よく考えると「うんこ漢字ドリル」だと、私でも汚さを感じません。
「うんこ漢字ドリル」の場合には「うんこ」の文字の威力が本のどこにも及んでいない。つまり「うんこ」の文字の威力が及ぶ範囲は私でもゼロです。
そうすると、「文字の威力」は、「本のレイアウト」や「うんこ」の文字に使われる「フォント」などさまざまな要素からも影響を受けているようです。
しつこく妄想を続けます。
「文字の入れ方」でも「文字の威力」が及ぶ範囲は違ってきますでしょうか。
たとえば、文字を書いたシールを貼る、活字をテプラで作って貼る、文字を彫る、文字の刻印を打つ、文字をシャーペンで書く、文字をボールペンで書く、文字を水性ペンで書く、文字を油性マジックで書く・・・。
私の場合は同じです。文字の入れ方では変わりません。
「ネーム入り」カメラなら「カメラと付属品」まで。
一軒家の門の表札なら、門、塀、その中の家まで。
カメラに書かれた「うんこ」も「カメラと付属品」まで。
みなさんはどうでしょうか。
7 まとめ
「文字の威力」は物のどの範囲まで及ぶか。
検討の結果
・名前の文字の場合は大まかに「物理的に一体」か「機能的に一体」のところまで
・文字の並びの言葉(例 もじたろう、うんこ)によって、読む人が感じる威力の範囲が違う
・文字の入った媒体のレイアウト、文字のフォントによっても「文字の威力」の範囲が違ってきそう
・ひょっとしたら文字の入れ方によっても違うかもしれない(未確認)
という結論になりました。
今思い出したのですが、「活字」と「手書き文字」でも違うかもしれません。別の機会に検討しましょう!
ということで、文字の威力を増すべく息子とよく相談します。
そして息子のカメラには丁寧に彼の名前を入れたいと思います。私自身の保身のためにも。
おつかれさまでした。
Water Lilies; The Photographer
Artist:John Dillwyn Llewelyn (British, Swansea, Wales 1810–1882 Swansea, Wales)
Date:1853–56
Medium:Salted paper print
上杉謙信の手書き文字から作った
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