【目次】
(冒頭の作品)
Scarab Inscribed with Hieroglyphs
Period:Middle Kingdom
Dynasty:late Dynasty 12–13
Date:ca. 1850–1640 B.C.
Geography:From Egypt, Memphite Region, Lisht North, Cemetery, debris, MMA excavations
Medium:Glazed steatite
Dimensions:L. 1.8 × W. 1.2 ×H. 0.7 cm (11/16 × 1/2 × 1/4 in.)
1 はじめに
もじのすけです。
今日は、
勝海舟の花押について
お話ししたいと思います。
2 勝海舟の人となり
勝海舟とはどんな人でしょうか。
幕末は日本の歴史の中でも人気の時代です。
勝海舟は、その時代で避けては通れない
重要な人物です。
男前ですね。
勝海舟の
人物像についての解説はたくさんあるので、
詳しくはそちらに譲りましょう。
この記事ではちょっとだけ解説します。
新政府軍の西郷隆盛と会談して
として有名です。
これにより
「江戸150万人の民の命が救われた」
と言われています。
その後の会津での惨状や
逆に西南戦争での薩摩の惨状を考えると
決してオーバーな表現ではなさそうです。
ちなみに勝海舟の評価はこんな感じです。
「勝氏へ初めて面会し候ところ実に驚き入り候人物にて、どれだけ知略これあるやら知れぬ塩梅に見受け申し候、英雄肌で、佐久間象山よりもより一層、有能であり、ひどく惚れ申し候」
「今にては日ノ本第一の人物勝麟太郎という人に弟子になり・・・」
栗本鋤雲
「羞恥心を知らない者」
「勝は有害な人間である。我は彼を除かんと欲す」
「やせ我慢をせぬもの」
三浦梧楼
「勝海舟、機智の人であったろうが、俺は好かぬ人であった」
(Wikipediaより)
評価は賛否両論ですね。
豪傑系の人には好かれ、
真面目系の人には嫌われていたようです。
みなさんは勝海舟に
どんなイメージをもっていますか。
私がもっている勝海舟のイメージは、
自伝的談話集「氷川清話」の中の
彼の談話を見て作られました。
「氷川清話」はこの本です。
この本は結構面白いですよ。
勝海舟が同時代人をほめたりけなしたり。
意外な人も出てきます。
幸田露伴についても
勝海舟がコメントしています。
勝海舟は
コメントしているうちに興に乗って
ときどき漢詩を作っているのですが、
正直あんまり上手くないです。
私の勝海舟の印象は、
「頭が良くてキザな江戸のおっさん」
です。
キザで自分の頭の良さを
ひけらかす感じが鼻につく。
でも正直で本音をズバズバ言うので、
憎めない。
こんな感じです。
現代の有名人の誰に似ているかというと、
永六輔さんです。
(永さんファンの方、すみません)
お顔はこちら。
3 勝海舟の花押
勝海舟の人物紹介だけで
かなり回り道をしました。
魅力的な人物なので仕方がありません。
それでは、気を取り直して、
勝海舟の花押を見てみましょう。
こちらです。
(平凡社 初版 昭和51年)P203
これは、何と書いてあるのでしょうか。
これだけでわかる人はすごいです。
おそらく「麟」です。
もじのすけは「すごい」のでしょうか。
今頃気づきましたか。そのとおりです。
・・・といいたいところですが、
種明かしをしましょう。
よく似ている花押を思い出しただけです。
単なる記憶だのみです。
それでは
勝海舟の花押とよく似た花押。
その花押はいったい誰の花押でしょうか。
歴史上の超有名人です。
「麟」の花押と言えば・・・。
勘の良い方はもう気づいたかも?
4 あの人の花押
勝海舟の花押によく似た花押
それはこちらです。
(平凡社 初版 昭和51年)P246
見比べてみましょう。
よく似た人の花押 と 勝海舟の花押
似てますでしょう。
さあ、この超有名人。誰でしょうか。
勝海舟よりもはるかに有名です。
その人とは・・・
織田信長 でした。
紙本著色織田信長像(狩野元秀画、長興寺蔵)
5 なぜ似ているのか
なぜ花押が似ているのでしょうか。
織田信長の花押「麟」
織田信長の花押は、
麒麟(きりん)の「麟」の草書体
だと言われています。
麒麟は世の中が治まったときに
表れる空想上の動物だそうです。
「麟」の花押でも
天下泰平を願ったのでしょうか。
ネット上ではそう言われていますよね。
次に勝海舟の花押「麟」
勝海舟の花押もよく似ているので
おそらく「麟」でしょう。
さきほど引用した
坂本龍馬の言葉を思い出してみてください。
「今にては日ノ本第一の人物勝麟太郎という人に弟子になり・・・」
勝海舟は自分の名前から
「麟」の一文字を取り出したのでしょう。
(もじのすけ説)
6 名前でない花押の意味
それでは織田信長は
なぜ自分の名前でもない「麟」の字を
花押に使ったのでしょうか。
ネット上では、あちこちで
織田信長の花押は
麒麟の「麟」の草書体だと
言われています。
歴史ファンの人も
織田信長の花押は「麟」の字だと
当然のように思っていることでしょう。
でもそれは
本当なのでしょうか。
私は織田信長の花押を見ても
「麟」とは分かりません。
本当に
織田信長の花押は「麟」なのでしょうか。
今回の記事で私は、
実体験からこのように考えました。
①「書の日本史」の本で
勝海舟の花押を見た
↓
似ていると思った
↓
③織田信長の花押が「麟」だから
①の勝海舟の花押も「麟」だ
↓
多分花押は「麟」で合っている。
↓
「よし!これは間違いない!」
と思いました。
自然な流れですよね。
ところが!
ところがですよ!
この私の思考の流れは
間違っている
のです。
私が
①「書の日本史」の本で
勝海舟の花押を見た、のは確かです。
そして
確かに似ています。
それでは、
一体どこが間違っているのか?
次回の記事では
偉大なる先人の業績をたどり、
何が正しくて何が間違っているのかを
探求していきたいと思います。
おつかれさまでした。
(冒頭の作品)
Arrowhead (Yanonē) Maker:Signed on the tang of the blade by Seijiro (Japanese,18th century)
Date:16th–19th century
Culture:Japanese Medium:Steel
Dimensions:L. 10 3/4 in. (27.3 cm); L. of head 3 1/8 in. (7.8 cm); W. 1 5/16 in. (3.4 cm); Wt. 2.05 oz. (59 g)
Classification:Archery Equipment-Arrowheads
上杉謙信の手書き文字から作った
「けんしんフォント」無償公開中
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http://mojinosuke.hatenablog.com/entry/2017/04/06/130000
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