もじのすけ の文字ブログ

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文字について考えたことをつづっています

あの人の字をなぞって考えたこと

【目次】

 

 

前回の記事の有名人

(まだ読んでいない人のために、

 名前は伏せておきます。)

の手書き文字をなぞってみて

いろいろと考えました。

 

前回の記事

mojinosuke.hatenablog.com

 

今回はそれらの考えをまとめて、

お話ししたいと思います。

 

具体的な話もありますが、

全体的にはやや抽象的な話になります。

 

二言で言えば、

「昔の人にとっての

 筆と身体の一体化を、

 現代でも、鉛筆・ペン、

 キーボード・マウスとの一体化で

 実現できないか?」

「文字の情報量は

 毛筆>硬筆>活字である。

 何とかして活字の情報量を

 増加できないか?」

です。 

 

 

1 筆が身体と一体化している 

 

前回の記事の書はこれです。

 

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(以後の画像の引用元の表示は、

 前回の記事の後半を参照。) 

 

 

まず感じたのは

筆が身体と一体化

していることです。

 

そこには、

「生活の中の筆書き」があり、

現代の達筆な人でさえ

どこまで修練しても

同じレベルに至るのは

難しいと思います。

 

もちろん、現代でも

子どものときから

書道を続けておられる方は、

生活に密着しているとも思えます。

 

しかし、この書とは何かが違う。

 

 

 

それは何か。

 

 

 

おそらく、

前回の有名人の時代は、

読む人も

同じように筆で書く人である、

つまり

「書く人も読む人も

 書が生活になじんでいる。」

ということだろうと思います。

 

書く方も読む方も

筆の書が読める中で、

筆で書き、それを読む。

今は、

書を読みにくいと感じる人が

ほとんどでしょう。

 

これは今となっては

どうしようもないくらいの

違いだと思います。

 

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2 鉛筆・ペンと身体との一体化

 

ですが、

悲観することでもないと思います。

 

現代でも

小さいときから、筆でなくても、

鉛筆、ペンを使う機会は

ありますよね。

 

その意味では、

鉛筆・シャーペン・ボールペン

などの硬筆は

私たちの生活に密着している

と思います。

書くにしても。読むにしても。

 

また

電子媒体の発達につれて

使用機会が減ってきたとはいえ、

鉛筆、ペンは、

教育の基礎になっています。

今後もなくならないと思います。

 

そして 

筆の手書き文字の情報量は

昔の時代の方が圧倒的に多いですが、

手書き文字の情報量の大部分は、

書き手が自分の手で書くこと自体に

あると思います。

 

(手書き文字の情報量については、

手書き文字と活字の違い(2) - もじのすけ の文字ブログ

手書き文字と活字の違い(3) - もじのすけ の文字ブログ

を参照。)

 

 

そうだとすれば、

現代であっても、

生活に密着した鉛筆、シャーペン、

ペンを使って

自分の手で書くと、

文と文字に生活感が出ると思います。

 

 

 

3 スマホ・キーボードと身体との一体化

 

筆と身体の一体化について、

別の視点で考えてみましょう。

 

現代では、 

スマホやキーボード、マウスと

身体が一体化している人は

たくさんいると思います。

 

その意味では、 

全く違う発想ですが、

スマホやキーボードと身体とを

一体化する視点で

新しい物を考えるのも

面白いと思います。

 

 

 

そういうわけで

ちょっと考えてみました。 

 

巷には、

タイピングソフトで、

色んなゲームと組み合わせたものが

ありますよね。

それなら、

キーボードとマウスを

キャラクターや芸能人と組み合わせる

ということも考えられます。

 

例えば

北斗の拳

ラオウキーボードとか。

キーボードのタッチを

物理的に異常に重くしたものです。

他には、

異常に重く感じる

ラオウマウスとか。

 

通常は矢印や手の形をしている

マウスポインタ

ラオウの画像に変える

専用ラオウマウスポインタ画像も

付いていると

一体感が増すかもしれません。

 

他には

ぶよぶよしていて、

かき分けないとホイールが出てこない

ハート様マウスとか。

 

左右逆の配置のキーボードで、

聖帝サウザーボードとか。

打ちにくいことこの上ないですが。

 

(夏になると)ヒンヤリして、

時々勝手に

こっちに語りかけてくる言葉が出てくる

稲川淳二

怪談キーボード

怪談マウスとか。

 

 

ガンダム

シャア専用マウス。

過去に非公式の物が

存在したようですが、

スクロールか移動が

3倍速いマウスとか

どうでしょう。

 

 

どれも機能的ではないので、

あまり売れるとは

思えませんが・・・。

 

 

もう少しまじめに

汎用性のある物を考えてみます。

 

自分のお気に入りの芸能人の

手書き文字が印字された

キーボードはどうでしょうか。

例えば

AKBキーボード

ジャニーズキーボード

などは、

比較的実現しやすいと思います。

おまけで、

CDでその人の

限定マウスポインタ画像を

つけるとかして。

 

 

ともあれ

自分の普段使っている物を

好みの物にカスタマイズする

という意味では、

生活が豊かになりそうですね。

 

 

・・・話が逸れてきました。 

 

前回の記事の有名人の手書き文字を

なぞって考えたことを

もう少し続けます。

 

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4 手書き文字の感情伝達・非独立

 

前回の記事の有名人の字をなぞって、

次に感じたのは、

文を書いている間にも

感情が揺れ動いている

ということです。

 

現代だと

展覧会などで書を見ても、

丁寧さや

字の形へのこだわりは

伝わってくるのですが、

感情の変化が乏しく

(無いとは言いません。)

かなり平坦な印象です。

 

ところが、

前回の書の中では

書き手である有名人は、

1つの書の中で、

様々な表情・感情を見せています。

 

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また、

一字一字を見ていく中で、

・文字の大きさが一定でない

・周りの文字のすぐそばまで

 食い込んでいる肉薄している

という点に気づきました。

どの一字をとっても、

ほとんどの場合

別の字が映り込んでしまうのです。

「暮」

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「失」

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特に「漁」「一」は、

つながっているので、

切り離せません。

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活字の場合、

一字一字が独立して、

その一字のスペースに

他の文字の線が入ってくることは

決してありません。

 

前回の記事の有名人の書を見て、

手書き文字が

一字一字独立するのではなく、

そのときそのときの

上下左右の文字、文章、

紙、姿勢などと調和した

ジャズのアドリブのような存在

であることを

強く印象づけられました。

 

ある方が、

「書は絵と音楽の間にあり、

 絵よりも音楽に近い。」

と言っておられたことを

思い出しました。

 

時と場合によりますが、

一般的には

そのとき限りのもの

という点で、 

絵<書<音楽

のように思いました。

 

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5 活字で対抗できないか

 

先ほど述べたとおり、

手書き文字、

特に筆の手書き文字には

・感情伝達機能

・非独立性(個性)

があります。

 

これらは、現代人にとっては、

筆では真似できないものだ

と思います。

他方、

使い慣れた鉛筆やペンなら

ある程度は表現できると思います。

ですが、

線、濃淡の豊かさなどで、

筆のレベルまでは

太刀打ちできないと思います。

 

 

鉛筆などの硬筆がダメでも、

現代人が一番使い慣れているのは

活字ですよね。

それならば、

筆の文字の感情伝達機能には、

私たちが使い慣れている活字で

対抗できるのでしょうか。

 

しかし、

活字の場合は、

一文字全体が

一度に表示されるため、

書き順が問題になりません。

その結果、

「手書き文字の身体性・時間性」

(手書き文字には、書き手が

 身体を使っている様子や

 書く時間が表れていること)

についていけていません。

 

この点は

手書き文字が圧倒的な情報量の

コミュニケーションであるとして、

以前に説明しました。

手書き文字と活字の違い(3) - もじのすけ の文字ブログ

 

 今までの話をまとめると、

1 毛筆の手書き文字

2 鉛筆などの硬筆の手書き文字

3 活字

の性質は以下のとおりです。

(1)1、2は非独立、3は独立

(2)感情伝達機能は

   1毛筆>2硬筆>3活字

 

 

そうすると、

活字では、

感情伝達には限界があり、

1毛筆や2硬筆の手書き文字には

かなわないのでしょうか。

 

 

6 活字の表現伝達機能の増量

 

現代人としては、

毛筆の手書き文字には

かなわないとしても、

手書き文字全般の

感情伝達機能に対しては、

活字でもう少し

肉薄してみたいところです。

 

何らかの形で

活字に身体性・時間性を

取り込めれば、

肉薄できるかもしれません。

 

あるいは、

活字は、編集や修正、

文章量の増加が容易ですよね。

それならば、

文章量増量、誤字脱字減少、

という点で感情表現をすると

対抗できるのかもしれません。

 

毛筆・硬筆の文字と活字。 

もう少し、

新しい視点で、活字の

感情伝達機能の増加、

せめて情報量の増加、

を考えてみたいと思います。

 

いつの間にか、だんだん堅い話に

なってしまいました。

歴史にするか

次回も堅くするか緩くするかは

気分次第です。

 

おつかれさまでした。

 

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