【目次】
こんにちは。もじのすけです。
1 はじめに
今回は、
なぞってみたシリーズの第7弾です。
皆さんに考えていただくため、
今回も、第4弾~第6弾の
あの人の字をなぞってみた(2) - もじのすけ の文字ブログ
あの人の字をなぞってみた(3)【クイズ編】 - もじのすけ の文字ブログ
と同じく、
有名人の名前は伏せています。
今回と次回は2週連続として、
今回がクイズの問題と解答まで進み、
次回に、なぞってみた感想を
お話ししたいと思います。
皆さんも
お時間があれば、
今回の問題の書状を
プリントアウトして
なぞってみて下さい。
紙の上の手書き文字をなぞってみると、
正解がわかった後に
実感がこみあげてくると思いますよ。
プリントアウトが面倒という方や
全部のなぞりがちょっと、という方は
画面で文章の一部をなぞってみても
いろいろとわかるかもしれません。
ぜひ、文字をなぞりながら、
クイズに答えてみてください。
その前に恒例のご注意を2つ。
2 文字なぞり遊びのおさらい
問題に入る前に、
毎度のことですが、一応文字なぞり遊びの
おさらいをしておきますね。
段取りは以下のとおり。
1 有名人の公開された手書き文字を
紙にコピーする。
2 紙上の手書き文字をなぞる。
3 なぞってその人の性格を感じる。
以上終わり。
あっさりするほど簡単です。
3 文字なぞり遊びの注意点のおさらい
続いて、権利関係で
知っておくべきポイントは
以下のとおり。
公開された手書き文字と
それを載せている媒体
(出版物、HPなど)が、
適法に公開されたものであれば、
誰の手書き文字であっても
それを紙にコピー(複製)して、
自分でなぞって楽しむ限りでは、
著作権法上適法です
(私的使用のための複製
著作権法30条)。
この結論だけは知っておいてください。
4 この書を書いた有名人は誰?
4-1 問題
それでは、早速見てみましょう。
この書を書いたのは誰でしょうか。
(出典の引用は本文末に記載。
題名、署名は画像外)
どうでしょうか。
1行目に題名と署名があったのですが、
答えになってしまうので、
外しました。
カタカナもあるし、
フリガナまで付いているし、
業界までは
すぐにわかりそうですね。
でも、
カタカナがかえって
読みにくいかもしれません。
4-2 ヒント1
文字から読み取れる情報をもとに
ヒントを。
阿弥陀仏について書いています。
阿弥陀仏がありがたいと
いうことが書いてあると
いってよいでしょう。
どう見ても仏教の書ですね。
4-3 ヒント2
阿弥陀仏を信仰の主な対象にする
仏教の宗派は限られています。
ですが、
関係者が極めて多いため、
問題はそのうちの誰か、
ということでしょう。
これまでよく出てきた
室町時代ではない、
とだけ言っておきます。
4-4 ヒント3
たて書きで活字にしてみました。
読んでみてください。
世法イ弥南
ノ身マ陀無
盲ノニ成阿
冥光十仏弥
ヲ輪劫ノ陀
テキヲコ仏
ラワヘノ
スモタカ
ナナマタ
リクヘハ
リ
(もじのすけ勝手訳。誤訳御免)
阿弥陀様が成仏されて、
今で10劫を経られました。
世の迷える人を照らしています。
最初の行は省略していますが、
「(題名) 〇〇 作」となります。
・・・どうでしょうか。
「劫」はとても長い時間です。
落語「寿限無」の中の
「五劫のすり切れ」
という言葉があります。
ご存知の方は、
とてつもない時間の長さであることに
気づかれることでしょう。
その二倍の時間のようです。
寿限無 - Wikipedia の中の
「五劫のすり切れ」の解説です。
本来は「五劫の摺り切れず」が正しい。言い回しのために「ず」が省略されてしまうことがあるらしい。天女が時折泉で水浴びをする際、その泉の岩の表面が微かに擦り減り、それを繰り返して無くなってしまうまでが一劫とされ、その期間はおよそ40億年。それが5回擦り切れる、つまり永久に近いほど長い時間のこと。別の落語では、天女が三千年に一回、須弥山に下りてきて羽衣で一振りして、須弥山がなくなるまでが一劫である。
これだと10劫はおよそ400億年前です。
地球の年齢 - Wikipedia を見ると
45.4 ± 0.5億年 (4.54 × 109 年 ± 1%)であると推定されている
ということだそうです。
10劫は
地球誕生より前の話のようです。
宇宙の年齢 - Wikipedia を見ると
最近の観測によると (137.99 ± 0.21) 億年であるとされる
ということで、
10劫は
宇宙誕生よりも前の話となります。
不真面目な比較検討は
この辺りで止めておきましょう。
今回の書状に書いてあるのは、
阿弥陀様が成仏されてから
気が遠くなるほどの長い時間が
経っているということのようです。
でも、表現だけでは、なかなか
人物を特定できないかもしれませんね。
4-5 ヒント4
ここからは
文字以外からの外部情報も
ヒントにします。
これを書いた人は
このとき、75歳!
75歳で、
濃く、そしてしっかりとした字を
書いているので、
かなり気力、体力のある人ですね。
4-6 ヒント5
時代は鎌倉時代です。
鎌倉時代で75歳は長寿でしょう。
しかもまだまだ体力が
ありそうな字です。
本文はカタカナが多く、
漢字の全部の右側にフリガナ、
難しそうな単語の左側には意味、
を添えています。
読むのが苦手な人でも
読んだり、読み上げやすいように
配慮しているのだと思います。
かなり親切な人のようです。
4-7 最終ヒント
この表紙画像に顔が出ています。
左の上の方のお坊さんは、
南無妙法蓮華経の旗を掲げているので、
今回の人とは違います。
今回の人は
雪国に住む時代もありました。
5 正解
正解は、
浄土真宗の宗祖とされる
でした。
「安城御影」(西本願寺蔵) Wikipedia「親鸞」より。
親鸞(しんらん、承安3年4月1日 - 弘長2年11月28日 [注釈 5])は、鎌倉時代前半から中期にかけての日本の僧。浄土真宗の宗祖とされる[注釈 6]。
法然を師と仰いでからの生涯に渡り、「法然によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教え[1]」を継承し、さらに高めて行く事に力を注いだ。自らが開宗する意志は無かったと考えられる。独自の寺院を持つ事はせず、各地に簡素な念仏道場を設けて教化する形をとる。親鸞の念仏集団の隆盛が、既成の仏教教団や浄土宗他派からの攻撃を受けるなどする中で、宗派としての教義の相違が明確となり、親鸞の没後に宗旨として確立される事になる。浄土真宗の立教開宗の年は、『顕浄土真実教行証文類』(以下、『教行信証』)が完成した寛元5年(1247年)とされるが、定められたのは親鸞の没後である。
(中略)
注釈
1 グレゴリオ暦換算…本願寺派や高田派では、西暦の生没年をグレゴリオ暦に換算し、承安3年4月1日(1173年5月21日) - 弘長2年11月28日(1263年1月16日)とする。
(中略)
5 生没年月日の西暦表記については注意を要するため、生年月日については「誕生」の節を、没年月日については「入滅」の節を参照のこと。
6 浄土真宗の宗祖(開山とも)と定めたのは、本願寺三世覚如である。
(親鸞「聖人」か「上人」かは
色々議論があるところのようですが、
今回は歴史上の人物として
敬称略とさせていただきます。)
今回の画像の全体像と釈文はこれです。
いずれも
「書の日本史〈第3巻〉鎌倉/南北朝」(今井庄次編)
(平凡社 初版 昭和50年)P156、157
釈文は菊池勇次郎氏のものを
引用させていただきました。
なお、本文・釈文ともに文中の一部に
現在では不適切とみられる表現がありますが、
文書の内容を検討するため、
そのままの記載を引用しております。
全ての文字がしっかり書いてあり、
読みやすいといえば
比較的読みやすいですね。
おそらく
原文の用語を厳密に
理解しようとするのであれば、
用語を1つ1つ調べないと
わからないとは思います。
ですが、
親鸞の気持ちとしては、
それをしなくてもいいように
わかりやすく書いたのだと
思います。
親鸞といえば、
まず浮かぶのは、
南無阿弥陀仏の念仏。
その心は測り知れませんが、
なぞってみると、
性格の特徴くらいは見えてきます。
6 次回の予告
次回は、
親鸞の字をなぞってみた感想を
書いていきたいと思います。
この記事を読まれた皆さんも
お時間があれば
ぜひ事前になぞってみてください。
「75歳だった
生身の親鸞が
迫ってくる」
という実感があるかも?
75歳の方が迫ってくる状況も
なかなかのものですが・・・。
昔の75歳と言えば、
今でいえば、
100歳オーバーの方の
イメージなのではないかと思います。
どんな性格の雰囲気が出ているのか。
歴史書、宗教書だけでは感じられない
親鸞の直筆の醍醐味を
ぜひ味わってみてください。
今回はここまでとします。
おつかれさまでした。
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