【目次】
1 前回の記事の振り返り
こんにちは。もじのすけです。
前回の記事
手書き文字と活字の違い(8) ~文字を踏めますか? 手書き文字の残留性①~
では、
①活字
②手書き文字
③手描き絵
の3つを踏めるかどうかについて、
もじのすけの家族のそれぞれの見解を
紹介しつつ、
みなさんに考えていただきました。
問題の画像を再掲します。
家族の見解は以下のとおりです。
結論だけを表にして再掲します。
検討過程を知りたい方や
思い出そうという方は、
前の記事
手書き文字と活字の違い(8) ~あなたは文字を踏めますか? 手書き文字の残留性①~
を先にご覧ください。
踏める・踏めない表
①活字 | ②手書文字 | ③手描き絵 | |
(1)も | ☓ (外国☓) |
☓ (悪戯☓) (外国☓) |
☓☓ (悪戯☓) |
(2)妻 | 〇 (外国〇) |
☓ (悪戯〇) (外国△) |
☓☓ (悪戯〇) |
(3)娘 | △ (外国〇) |
△ (悪戯〇) (外国〇) |
△ (悪戯〇) |
(4)息 | △ (外国〇) |
△ (悪戯〇) (外国〇) |
△ (悪戯〇) |
(△:書き手の気持ちしだい
記載の雰囲気しだい)
(外国:読めない言語)
(悪戯:いたずら書き)
それでは、
家族それぞれの
踏める・踏めない基準を
挙げていきたいと思います。
2 踏める・踏めないの基準
みなさんの
踏める・踏めないの基準は何でしたか?
踏める・踏めないの基準を
家族からしつこく聞き取りましたので、
参考にしてください。
それでは、見ていきましょう。
基準についての考えの部分は
文の体裁を変えています。
2-1 (1)もじのすけの場合
①活字 | ②手書文字 | ③手描き絵 | |
(1)も | ☓ (外国☓) |
☓ (悪戯☓) (外国☓) |
☓☓ (悪戯☓) |
(2)妻 | 〇 (外国〇) |
☓ (悪戯〇) (外国△) |
☓☓ (悪戯〇) |
(3)娘 | △ (外国〇) |
△ (悪戯〇) (外国〇) |
△ (悪戯〇) |
(4)息 | △ (外国〇) |
△ (悪戯〇) (外国〇) |
△ (悪戯〇) |
自分で考えてみたら、こんな感じでした。
要は、文字かどうか と 手書きかどうか。どちらか一つでも満たせば踏めない。
①活字も②手書き文字も③手描きの絵も、基本的には大事なものと感じる。ただ大事とする理由はちょっとずつ違う。
文字自体に価値があると思う。だから、①活字は踏めない。読めない外国語であっても文字に価値があると思うので踏めない。
②手書き文字と③手描きの絵には、書いた人の気持ちがどうかという以上に、まるで書いた人の身体の一部が残っているような気がする。だから踏まない。一般的には、②手書き文字より③手描きの絵の方が、書くのにより時間がかかって残っている感があるので、ますます踏みたくない。
「クソ」「アホ」の②手書き文字とか、ウンコの③手描きの絵のように、いたずら書きであっても、書いた人の身体の一部が残っているかのように思えるので、踏まない。書いた人やその人の物に関わりたくないという意味で、踏まない。
踏む・踏まないの基準は「文字かどうか」と「手書きかどうか」。どちらか一つでも満たせば踏めない。
(もじのすけ註)
もじのすけは、
絵や文字は常に踏まないのか、というと
そうではありません。
例外はあります。
では一体どんなときに踏めるのか。
というと、こんな場合です。
絵であれば、
手描きっぽくない絵や
手描きではない絵。
例えば
・マンホールの絵
・横断歩道の自転車のマーク など
これらは踏めます。
他には、活字であれば、
絵・デザインの一部となった活字
例えば
・マンホールのふたの絵の中の活字
・自動改札機の手前の床案内表示の
中の活字
・ホームの乗車位置案内表示の
枠と何かの色で囲まれた活字
(でも、枠に囲まれただけの
活字は踏めない) など
です。
これらは踏めます。
2-2 (2)妻の場合
①活字 | ②手書文字 | ③手描き絵 | |
(1)も | ☓ (外国☓) |
☓ (悪戯☓) (外国☓) |
☓☓ (悪戯☓) |
(2)妻 | 〇 (外国〇) |
☓ (悪戯〇) (外国△) |
☓☓ (悪戯〇) |
(3)娘 | △ (外国〇) |
△ (悪戯〇) (外国〇) |
△ (悪戯〇) |
(4)息 | △ (外国〇) |
△ (悪戯〇) (外国〇) |
△ (悪戯〇) |
妻の考えを聞いてみたら、こんな回答でした。
要するに書いた人のちゃんとした念(気持ちが)が残っているかどうか。
①活字には、書いた人の念(気持ち)が残っているような気がしない。だから、①活字は踏める。読めない外国語であっても踏める。
②手書き文字や③手描きの絵には、書いた人の念(気持ち)が残っているような気がする。
だから、②手書き文字や③手描きの絵は踏めない。②手書き文字よりも③手描きの絵の方が時間をかけて気持ちがこもっているような気がするので、一層踏めない。
②手書き文字や③手描きの絵でも、いたずら書きなら、ちゃんとした気持ちが入っていなくて悪意を感じるので、逆に「踏んじゃえ。」と思って踏める。読めない外国語の手書き文字は、ちゃんとした気持ちが入っている雰囲気があると感じない限り、踏める。
要は、書いた人のちゃんとした念(気持ち)が残っているかどうか。
2-3 (3)娘(小2)の場合
①活字 | ②手書文字 | ③手描き絵 | |
(1)も | ☓ (外国☓) |
☓ (悪戯☓) (外国☓) |
☓☓ (悪戯☓) |
(2)妻 | 〇 (外国〇) |
☓ (悪戯〇) (外国△) |
☓☓ (悪戯〇) |
(3)娘 | △ (外国〇) |
△ (悪戯〇) (外国〇) |
△ (悪戯〇) |
(4)息 | △ (外国〇) |
△ (悪戯〇) (外国〇) |
△ (悪戯〇) |
(△:書き手の気持ちしだい)
娘の考えを聞いてみたら、こんな回答でした。
気持ちが読み取れたときで、書いた人が踏んでもいいという気持ちだとわかったら、踏める。
気持ちが読み取れなければ踏める。
時と場合による。書いた人の気持ちを読み取って決める。
書き手が踏んでほしいと指示する気持ちのもの(今回の足跡の表示など)や、書き手が踏んでもいいような気持ちのもの(いたずら書きなど)は踏める。①活字も②手書き文字も③手描きの絵も同じ。
③手描きの絵は書いてあることが読める。だけど、①活字も②手書き文字も読めないときがある。読めないときは、書いた人の気持ちがわからないので、踏んでもいいやと思って、踏める。外国語は読めないから踏める。
要は、気持ちが読めるかどうかと読めたときに踏んでもいいと思えるような書き手の気持ちが読み取れるかどうか。
(もじのすけ註)
妻と娘は、どちらも
「気持ちを読み取る」を
問題にしますが、
その意味が若干違うようです。
娘の場合は、
書き手の
踏んでよいかどうかの意図
を基準にするようです。
妻は、
書き手の
ちゃんとした気持ちが
残っているかどうか
を基準にするようです。
2人の違いは、
今回の足跡の絵を踏めるかどうか
で表面化します。
妻の場合は、
ちゃんとした気持ちの絵と感じます。
そして、
描き手の踏んでほしいとの意図に反し、
踏めなくなってしまいます。
これに対し、
娘の場合は、
描き手の踏んでほしいとの意図を
読み取ります。
そのまま、その意図にしたがって、
踏めることになります。
2-4 (4)息子(5歳)の場合
①活字 | ②手書文字 | ③手描き絵 | |
(1)も | ☓ (外国☓) |
☓ (悪戯☓) (外国☓) |
☓☓ (悪戯☓) |
(2)妻 | 〇 (外国〇) |
☓ (悪戯〇) (外国△) |
☓☓ (悪戯〇) |
(3)娘 | △ (外国〇) |
△ (悪戯〇) (外国〇) |
△ (悪戯〇) |
(4)息 | △ (外国〇) |
△ (悪戯〇) (外国〇) |
△ (悪戯〇) |
(△:書き手の気持ちしだい)
息子の考えを聞いてみたら、こんな回答でした。
(もじのすけが)何を言っているのかよくわからない。それより早く遊んでほしい。
(もじのすけ註)
仕方がないので、遊びながら推測しました。
姉と同じ結論ですから、読めるかどうかと読めたときに踏んでもいいと思えるような書き手の気持ちが読み取れるかどうか。
2-5 みなさんの基準
いろいろな意見がありましたが、
みなさんの基準はいかがでしょうか?
参考までに、
もう一度表を出しておきますね。
踏める・踏めない表
①活字 | ②手書文字 | ③手描き絵 | |
(1)も | ☓ (外国☓) |
☓ (悪戯☓) (外国☓) |
☓☓ (悪戯☓) |
(2)妻 | 〇 (外国〇) |
☓ (悪戯〇) (外国△) |
☓☓ (悪戯〇) |
(3)娘 | △ (外国〇) |
△ (悪戯〇) (外国〇) |
△ (悪戯〇) |
(4)息 | △ (外国〇) |
△ (悪戯〇) (外国〇) |
△ (悪戯〇) |
(△:書き手の気持ちしだい
記載の雰囲気しだい)
(外国:読めない言語)
(悪戯:いたずら書き)
3 踏める・踏めないの基準のキーワード
以上をまとめると、
文字や絵を
踏める・踏めないの基準は、
人によって違うようです。
もじのすけの家族の意見は
バラバラ。
ですが、
基準はしっかりと存在しました。
今回は、さらに
手書き文字に注目してみます。
手書き文字については、
どの性質を見て、
それぞれの基準を決めているのかを
キーワードにしてみました。
3-1 (1)もじのすけの場合
活字だと
文字自体の価値を感じて踏めない。
手書き文字と手描きの絵だと
書き手の気持ち以上に
身体の一部が残った感じがして踏めない。
手書き文字に限ってネーミングするなら
「手書き文字の分身性・残像性」
3-2 (2)妻の場合
活字にはほぼないが、
手書き文字と手描きの絵だと、
書き手のちゃんとした念が残って踏めない。
手書き文字に限ってネーミングするなら
「手書き文字の残念性」
3-3 (3)娘・(4)息子の場合
書き手の意図が読めなければ踏める。
意図が読めたときは、
書き手の意図しだい。
踏んでよい意図なら踏める。
踏んではダメな意図なら踏めない。
手書き文字に限ってネーミングするなら
やはり
「手書き文字の残念性」
となります。
ちなみに、
私が知人に聞いてみたところ、
妻・娘と同じ感覚の人が圧倒的多数で、
もじのすけ派は、私一人でした。
私の
「手書き文字の分身性・残像性」
という感覚は、
で指摘した、
手書き文字の時間性・身体性から影響を受けているようです。
手書き文字の時間性・身体性。
聞きなれない方が多いと思います。
私が勝手に
ネーミングしただけなので
の中で説明したものを再掲します。
手書き文字の時間性
活字と違って、手書き文字には一文字一文字に時間の流れが表れていて、そこに大変な数の決断と気持ちの流れが表れている。
手書き文字の身体性
つまり、手書き文字には、「書く人」の「書く」動作が表れている。
手書き文字には、
これらが濃厚に残っているので、
私としては、もはや
書き手の身体の一部が
残っているかのように
感じてしまうのです。
「手書き文字の時間性・身体性
→ 手書き文字の分身性・残像性」
という流れです。
しかし、
身体の一部が残る、
とまで感じるのは
圧倒的少数派のようです。
あまりに寂しいので、
もじのすけ派の方は
何らかのリアクションをいただけると
嬉しいです。
どさくさまぎれですが、
よかったら読者登録もお願いします。
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私の感じ方は、
ノイジーマイノリティ状態ですが、
めげずに、
手書き文字を踏まない理由として
妻・娘派と私派の
キーワードを統一すると
「手書き文字の残留性」
となります。
ようやく
タイトルのキーワードが
出てきました(笑)。
ここで疑問が生じてきます。
今回、
文字を踏める・踏めないの話から
「手書き文字の残留性」
の話に発展しました。
では、
手書き文字に残留しているのは、
・書き手の念
・身体の一部のような雰囲気
だけ、なのでしょうか。
手書き文字には、
他にも何か「残留」しているのではないか?
もう少し検討してみたいと思います。
また、
この手書き文字の残留性を
利用した遊びなどについて、
もう少し考えてみたいと思います。
(次回にするかは不明です。)
それでは今回はここまで。
おつかれさまでした。
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