もじのすけ の文字ブログ

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文字について考えたことをつづっています

手書き文字と活字の違い(11) ~書き手の存在感 手書き文字の残留性④~

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【目次】

 

こんにちは。もじのすけです。

堅苦しい話が続いていますが 

今回が

手書き文字の残留性

の説明の最後になります。

 

非常に長いです(約9900字)。

 

お時間のあるときに

もう少しだけ、おつきあい下さい。

 

(*もじのすけ註

 説明をさらに加えるため

 平成29年2月20日、22日に

 加筆しました。)

 

まずは、前回までのおさらいから。

 

1 前回までのおさらい

 

 1-1 手書き文字の残留性

【目次】

1 前回までのおさらい 
 1-1 手書き文字の残留性
 1-2 ほかに残留しているもの
2 ②書き手の存在感
3 まとめ

 

前々回の記事では、

手書き文字が、

書き手の気持ち(念)を残す話をしました

手書き文字の残念性)。

また、

まるで書き手の身体の一部

残っているかのように感じさせる話をしました

手書き文字の分身性・残像性)。

 

そして、

手書き文字の残念性

手書き文字の分身性・残像性

まとめて、

手書き文字の残留性

と、名付けました。

 

これが

今回のシリーズのタイトルです。

 

そして、

前回の記事では、

ほかに残留しているものとして、

①文字で表された情報の存在感

②書き手の存在感

を挙げました。

 

その上で、

①情報の存在感について、

踏み字事件(志布志事件)をもとに

文字による情報の表し方、説明の結果として、「表された情報(物や概念)が読み手の頭の中だけでなく、まるで、その文字が書いてある場所に存在するかのような印象」を読み手に与えています。

 

例えば、文字の「富士山」を見たら、まるでそこに「富士山の情景」が存在するかのように。

 

これこそが①文字に表された情報の存在感が残留したもの

 と説明しました。

 

 1-2 ほかに残留しているもの

【目次】

1 前回までのおさらい 
 1-1 手書き文字の残留性
 1-2 ほかに残留しているもの
2 ②書き手の存在感
3 まとめ

 

今回は、

手書き文字には、

書き手の気持ち

身体の一部

①文字で表された情報の存在感

のほかに、

②書き手の存在感 が残っている、

というお話をしたいと思います。

 

 

 2 ②書き手の存在感

 

 2-1 手書き文字の書き手の存在感

【目次】

1 前回までのおさらい
2 ②書き手の存在感
 2-1 手書き文字の書き手の存在感
 2-2 活字の匿名性
 2-3 手書き文字の特定可能性
 2-4 存在感・匿名性・特定可能性の関係
 2-5 ②書き手の存在感の威力
 2-6 分身性・残像性との比較
3 まとめ

 

②書き手の存在感は

文字に関して言えば、

手書き文字に特有のものです。

 

以前の記事

手書き文字と活字の違い(4) ~文字の方向性~ - もじのすけ の文字ブログ

では、

もじのすけの息子(5歳)が

自分に向けて忘れないように、

手書き文字を書いた話をしました。

 

これが、その手書き文字です。

おくすり かみのけ といれ おふろ。

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そして、息子が寝た後に、

私が帰宅しました。

私は、食卓の上に置いてあった紙の

この手書き文字を見て、

息子が書いている様子を想像し、

ほっこりしました。

 

この場合、息子は自分に向けて

注意書きを書いています。

つまり、

息子の手書き文字が指向する方向は

明らかに息子自身でした。

それなのに、その方向にいない

私が勝手にほっこりした

という話でした。

http://mojinosuke.hatenablog.com/entry/2016/11/24/140000#5現代の手書き文字の指向性

 

その記事の中で、

私は、

自分がなぜ勝手にほっこりしたのか、

について考えました。

手書き文字と活字の違い(3) - もじのすけ の文字ブログ

では、手書き文字の良さして

・暖かみがある

と書きました。

この「暖かみ」に関連しそうです。

 

また、

手書き文字と活字の違い(3) - もじのすけ の文字ブログ

では、

手書き文字の身体性のお話や、

手書き文字を読む人が

「書く人」を意識するというお話を

しました。

これらの点にも関連しそうです。 

と書きました。

そして、

結論として、

要するに、

手書き文字は

指向性を持っているが、

同時に身体性を持ち、

読み手に「書く人」を意識させる

ということだと思います。

 

そして、

その手書き文字が

向けられていない人にも、

書き手(今回は息子)という

「人の存在」を感じさせる。

その結果、私はほっこりした、

ということでしょう。

と書きました。

 

この「人の存在」のことを

今回の記事で

端的にキーワードにすると

手書き文字の

書き手の存在感

になると思います。

 

したがって、

手書き文字には、

書き手の存在感が残留しています。 

 

 

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 2-2 活字の匿名性

【目次】

1 前回までのおさらい
2 ②書き手の存在感
 2-1 手書き文字の書き手の存在感
 2-2 活字の匿名性
 2-3 手書き文字の特定可能性
 2-4 存在感・匿名性・特定可能性の関係
 2-5 ②書き手の存在感の威力
 2-6 分身性・残像性との比較
3 まとめ

 

 

それでは

活字の場合はどうでしょうか。

活字には、

書き手の存在感が残留しているのか。

 

手書き文字と比べる意味で

検討してみましょう。

 

活字は、

手書き文字とは明らかに違います。

 

活字だと、

書き手の存在感はほとんど無い。

 

例えば、

みなさんが小説で物語を読むときを

想像してみてください。

みなさんが、

活字で書かれた物語小説を読むとき、

作者の顔や性格の雰囲気は

意識していないと思います。

きっと

そんなことより、物語の情景に

入り込んでいることでしょう。

 

ところが、

もし、その物語小説が

作者の手書き文字で書いてあったら

どうでしょうか。

急に作者の顔や雰囲気が前面に現れ、

気になってくることでしょう。

 

例えば、

夏目漱石の字をなぞってみた。 - もじのすけ の文字ブログ

でご紹介した本などは、

夏目漱石の顔が

ちらついてしまいます。

shinsho.shueisha.co.jp

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直筆で読む「坊っちやん」 (集英社新書 ヴィジュアル版 6V)

 の68ページの一部です。)

 

普段、私たちは

活字の小説しか読みませんが、

手書き文字の小説を見ると、

それまで無意識になっていた事実が

浮かび上がってきます。

 

それは、

「手書き文字とは違い、活字は、

 書き手の存在感をあえて

 消そうとしている。」

ということです。

 

その結果、

活字の場合には、

書き手の存在感がほぼ無い、

という状態になる。

 

この活字の性質を

「活字の匿名性」

ネーミングしたいと思います。

 

 

ここで 

注意していただきたいのですが、

活字の匿名性は、

活字に個性がない

という意味ではありません。

 

みなさんもご存知のとおり、

活字の書体には様々な種類があり、

個性的なものがたくさん存在します。

その中でも、

手書きの風合いによる個性がある

活字の書体もあります。

 

例えば、HG創英角ポップ体。

これについて書体の個性が無い、

という人はいないでしょう。

 

(以下脱線)

ちなみに、

HG創英角ポップ体

製作のいきさつについては、

以下の記事をご覧下さい。

portal.nifty.com

(以上脱線終わり) 

 

今回私が指摘したいのは、

書体が個性的かどうか

という話ではありません。

 

指摘したいのは、

活字だと、

読みやすさを追及し、

書き手の存在感が無いか、

ほとんど無く、

書き手が特定できない。

つまり、

活字は匿名性をもっている

ということです。

 

そして、

HG創英角ポップ体のような

個性的な書体でさえ、

活字である以上、

具体的な書き手の存在感が

無いか、ほぼ無く、

書き手を特定できず、

匿名性がある、ということです。

 

長々と書きましたが、

言いたいことは要するに、

活字は誰が書いたかわからず、

活字には

②書き手の存在感がほぼ無い

ということです。

活字の匿名性

 

 

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 2-3 手書き文字の特定可能性

【目次】

1 前回までのおさらい
2 ②書き手の存在感
 2-1 手書き文字の書き手の存在感
 2-2 活字の匿名性
 2-3 手書き文字の特定可能性
 2-4 存在感・匿名性・特定可能性の関係
 2-5 ②書き手の存在感の威力
 2-6 分身性・残像性との比較
3 まとめ

 

 

先ほどまで説明しましたとおり

活字には匿名性があります。

 

それでは、手書き文字は

活字の匿名性の反対の性質を

もつのでしょうか。

検討してみましょう。

 

匿名の反対語は、一般的には、

記名・顕名(けんめい)

といわれています。

でも、

常にそうだといえるでしょうか。

手書き文字は、

記名・顕名といえるでしょうか。

 

具体例として、

みなさんが

差出人の記載がない

手書き文字の手紙を見たとしましょう。

その情景を想像してみてください。

 

その手書き文字が

知っている人の文字であれば、

誰が書いたかわかるかもしれません。

 

ですが、

手書き文字だけを見て

「これはあの人の字だ!」

とわかるケースは

多くはないでしょう。

 

むしろ、

手書き文字だけを見ても、

書いた人が誰かもわからない、

名前もわからない、

「誰だろう?」

と思うのが普通でしょう。

 

したがって、

手書き文字は

記名・顕名(けんめい)と

まではいえないと思います。

 

もっとも、

手書き文字には、隠していても

書き手のクセが表れています。

そうすると、

手書き文字には、

「書き手が誰か」を

特定する手がかりがあり、

特定できる可能性があります。

 

もちろん、一般的には、

その特定可能性は

決して高くないと思います。

似たような手書き文字を書く人は

少なくないでしょうから。

 

ですが、

手書き文字が、

書き手を特定できる可能性を

もっているということ自体は、

特徴的な性質だといえるでしょう。

 

このような手書き文字の性質を

「手書き文字の特定可能性」

とネーミングしたいと思います。

 

 

 2-4 存在感・匿名性・特定可能性の関係

【目次】

1 前回までのおさらい
2 ②書き手の存在感
 2-1 手書き文字の書き手の存在感
 2-2 活字の匿名性
 2-3 手書き文字の特定可能性
 2-4 存在感・匿名性・特定可能性の関係
 2-5 ②書き手の存在感の威力
 2-6 分身性・残像性との比較
3 まとめ

 

 

今回の記事だけでも

新しいキーワードが

いくつも出てきました。

みなさんの頭の中も

こんがらがってきたかと思います。

 

 

そこで、このあたりで、

今回の記事の説明を

いったん整理してみましょう。

 

今回の記事では

2-1で、手書き文字の書き手の存在感

2-2で、活字の匿名性

2-3で、手書き文字の特定可能性

を説明しました。

 

これらはいったい

どんな関係にあるのでしょうか。

 

活字から見てみましょう。 

 

活字は書き手の存在感を消しています。

読み手にしてみれば、

活字だけを見ても

書き手が誰かを特定できません。

これを活字の匿名性と名付けました。

したがって、

活字:匿名性

(=書き手の存在感ほぼ無し)

 

次に手書き文字を見てみましょう。

 

手書き文字には

(書き手の)特定可能性があるので、

読み手は、

特定の誰かが書いている、という

印象を受けます。

そのときに、

手書き文字の書き手の

何らかの存在感   

意識されることになります。

 

まとめるほどでもないですが、

以上をまとめると、こんな感じです。

 

(1)活字の匿名性

  = 活字自体からは

    書き手を特定できない。

   → 書き手の存在感ほぼ無し。

(2)手書き文字の特定可能性

  = 手書き文字は

    書き手の特定可能性あり。

   → 書き手の何らかの存在感が

     ある。

 

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 2-5 ②書き手の存在感の威力

【目次】

1 前回までのおさらい
2 ②書き手の存在感
 2-1 手書き文字の書き手の存在感
 2-2 活字の匿名性
 2-3 手書き文字の特定可能性
 2-4 存在感・匿名性・特定可能性の関係
 2-5 ②書き手の存在感の威力
 2-6 分身性・残像性との比較
3 まとめ

 

 

手書き文字の書き手の存在感には

こんな威力があります。

 

認知症にかかっている

おばあさんがいるとします。

病気で入院し、

その病気が治ったとします。

そして、

おじいさんのいる自宅では

もう暮らせないので、

周囲の人の話し合いの結果

老人ホームに

行くことになったとします。

 

このような場合

おばあさんは、認知症が進んでいて

老人ホームへの引越しのことが

うまく理解できないかもしれません。

「おじいさんのいる自宅に帰らず

 なぜ老人ホームに行くのか」

と混乱してしまうかもしれません。

 

こんなときに有効な手段があります。

それは、

「おじいさんからおばあさんへ

 お手紙を書いてもらう。」

ということです。

 

おばあさんは、認知症のため、

おじいさんのお手紙の内容が

ほとんどわかりません。

ですが、

おじいさんのことは覚えています。

 

おばあさんは、

おじいさんのお手紙を持てば、

・ちゃんとおじいさんが

 見てくれている

・今の自分の状態も引越のことも

 おじいさんは知っている

と感じて安心することでしょう。

(もちろん時と場合によります。)

 

 

「お手紙の内容にかかわらず、

 手書き文字に表れる、

 書き手の存在感だけで

 読み手を安心させる。」

 

これって、

すごいことだと思いませんか。

 

書き手の存在感が残っている

という

手書き文字の威力を感じます。

 

・・・いいお話ですね。

 

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 2-6 分身性・残像性との比較

【目次】

1 前回までのおさらい
2 ②書き手の存在感
 2-1 手書き文字の書き手の存在感
 2-2 活字の匿名性
 2-3 手書き文字の特定可能性
 2-4 存在感・匿名性・特定可能性の関係
 2-5 ②書き手の存在感の威力
 2-6 分身性・残像性との比較
3 まとめ

 

 

こんないい話をしているときに、

以下の疑問を

思いついてしまいました。

 

手書き文字の分身性・残像性

書き手の存在感

同じ話ではないのか、

という疑問です。

 

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松村真宏 「仕掛学」P76 東洋経済新報社 2016年)

この「免許先頭」が床に直接に

手書き文字で書かれていた場合を

想定してください。

 

以下、自問自答が続きます。

 

前々回の記事のときに、

 もじのすけは、

 床にある手書き文字が踏めない

 と言い、その理由として

 身体の一部が残った感じ

 (手書き文字の分身性・残像性

 を挙げていたよね。」

 

「今回は

 手書き文字に

 書き手の存在感がある

 とか言ってる。

 さっきの話とは

 別の話かのように書いているけど

 結局は同じ話じゃないの?」

 

 「もじのすけの妻子は

 手書き文字の残念性を基準に

 床の手書きの文字を

 踏める、or 踏めない、

 としていた。

 この基準は

 書き手の存在感とは

 全く別の概念でしょう。」

「だから、

 もじのすけの妻子の立場で

 前々回の残念性の話は、

 今回の書き手の存在感の話と

 別だというのはわかる。」

 

「ところが、もじのすけは

 問題がありそう。

 ・身体の一部が残った感じ

 (手書き文字の分身性・残像性)と

 ・書き手の存在感 

 同じ話みたいな感じがする。

 それなのに別の話とか言っていて、

 矛盾してないか?」

 

うーむ。

自問自答のくせに厳しい。

思わずうなってしまいます。

このままでは、

今回の記事を書いた意味は無かった、

という結論になってしまいそうです。

 

ですが、何かが違います。

ここからは言い訳ターンです。

 

手書き文字の分身性・残像性は、

身体の一部が残っている感じです。

 

これに対し、

もじのすけが言う

書き手の存在感は、

書き手の身体全部・人格・雰囲気全体が

残っている感じです。 

 

ここまではすぐに言えました。 

ここで用語も整理しておきます。

 

手書き文字には

書き手の何らかの存在感が

残留しています。

この

「書き手の何らかの存在感」

一般的な意味での

「書き手の存在感」

といってよいでしょう。

 

ですが、

このブログでは、

あえて

「書き手の存在感」とはせず、

「書き手の何らかの存在感」とし、

さらに整理します。

 

「書き手の何らかの存在感」

(=一般的な意味での

  「書き手の存在感」)

は、2つの場合に分かれます。

(1)一方は身体の一部の残留

 ・・・手書き文字の分身性

(2)他方は身体の全部の残留

 ・・・書き手の存在感 

  (もじのすけの言う

   ところの

   「書き手の存在感」)

という関係になると思います。

 

問題はここからです。

 

それじゃあ、どうして

片方は一部・もう片方は全部

と思うのか。

何が違うのか。

 

2つの感じ方の違いについて、

2日間考えました。

そして、

私の中では一応結論が出ました。

 

その違いは、

「手書き文字や文章から

 読み取れる書き手を

 私が知っているかどうか。」

です。

 

ご説明します。

 

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松村真宏 「仕掛学」P76 東洋経済新報社 2016年)

この「免許先頭」が手書き文字で

床に直接書かれていたら

どうでしょうか。

私の場合は、手書き文字は踏めません。

その理由は、

書き手の身体の一部

残っていると感じるからです。

 

どうして手書き文字に

書き手の身体の一部が残っていると

感じるかというと

その床の手書き文字の

書き手が誰かを私が知らないからです。

 

他方、

私が、息子の自己宛ての備忘メモを

見たときや

自分宛ての知人の手紙を読んだときは、

書き手の身体の一部にとどまらず、

身体の全部・雰囲気が

残っている印象を受けます

(書き手の存在感)。

 

それは、

私が書き手を知っているので

書き手の顔や全身や雰囲気が

浮かんでくるのでしょう。

 

つまり区別の基準は、

「手書き文字や文章から

 読み取れる書き手を

 私が知っているかどうか。」

です。

 

以上をもとに

先ほどの軽いまとめに加筆すると

(1)活字の匿名性

  = 活字自体からは

    書き手を特定できない。

   → 書き手の存在感が

     ほぼ無い。

 

(2)手書き文字の特定可能性

  = 手書き文字は

    書き手の特定可能性あり。

   → 書き手の何らかの存在感

     がある。

 「何らかの存在感」は2種ある。

 Ⅰ 知らない人の手書き文字

  → 身体の一部の残留

    「手書き文字の分身性・残像性」

 (ちなみに多数派の妻子派だと)

  → 気持ちの残留

  「手書き文字の残念性」

   Ⅱ 知っている人の手書き文字

  → 身体の全部の残留

    「書き手の存在感」

 (ちなみに多数派の妻子派だと)

  → 顔、身体の残留

  「書き手の存在感」 

となります。 

 

したがって、

もじのすけ独自の区別ではありますが、

前々回の記事の

手書き文字の分身性・残像性」は

知らない人の手書き文字に

身体の一部の残存を感じるという話です。

 

これに対して、

今回の記事の

書き手の存在感」は

知っている(と思われる)人の

手書き文字に

身体の全部の残存を感じる

という話です。

 

だから、もじのすけにとって、

「手書き文字の分身性・残像性」と

「書き手の存在感」は

似ているようで別の話です。 

 

なお、上のまとめのとおり、

多数派(妻子派)の立場から見ても、

知っている人の文字かどうかは

大きな違いです。

文字から感じ取る印象が

大きく変わってきます。

 

・知らない人の手書き文字

  → 残念性

・知っている人の手書き文字

  → 書き手の存在感

となりますので。

 

多数派(妻子派)にとって、

知っている人の手書き文字かどうかで

なぜこんなに印象が違ってくるのか。

この点については、

機会を改めて検討したいと思います。

 

 

ふう、なんとかまとまった。

 

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3 まとめ

 3-1 遊び方のご紹介は別の回に

 【目次】

1 前回までのおさらい

2 ②書き手の存在感

3 まとめ

 3-1 遊び方のご紹介は別の回に

 3-2 手書き文字の残留性のまとめ

 3-3 実は他にも残留してます

 3-4 味わうことはよいことだ

 3-5 次回以降の予定 

 

ああ、遊び方のご紹介まで

行き着けませんでした。

 

既に書き終わっているのですが、

今回の記事にすると

明らかに長くなりすぎます。

 

そういうわけで、

文字の残留性を使った遊び方は、

別の記事に回します。

 

 

 3-2 手書き文字の残留性のまとめ

【目次】

1 前回までのおさらい

2 ②書き手の存在感

3 まとめ

 3-1 遊び方のご紹介は別の回に

 3-2 手書き文字の残留性のまとめ

 3-3 実は他にも残留してます

 3-4 味わうことはよいことだ

 3-5 次回以降の予定 

 

 

抽象的なお話が長々と続きました。

ここまで読んでいただき、

おつかれさまでございました。

 

これまでのまとめを書きます。

以下のとおりになります。

 

 

手書き文字には、

書き手の気持ちが残っている

手書き文字の残念性

と感じる人がいます。

(多数派:娘、息子

 

他方で、

手書き文字には、

書き手の気持ちも残っているが、

それ以上に

まるで身体の一部が残っている

手書き文字の残像性・分身性

かのようだと感じる人もいます。

(少数派:もじのすけ)。

 

前々回はこれらをまとめて

手書き文字の残留性と名付けました。

 

そして、

前回と今回は、

身体の一部(残像性分身性)や

残念性のほかにも、

何かが残留しているのではないか、

というお話をしました。

 

それが前回の 

①文字で表された情報の存在感

踏み字事件。志布志事件

今回の

②書き手の存在感

でした。

 

 

これを整理すると

結局、以下のようになります。

 

手書き文字の残留性

残念性前々々回前々回

分身性・残像性前々々回前々回

文字で表された情報の存在感前回

書き手の存在感(今回) 

 

 

 3-3 実は他にも残留してます 

【目次】

1 前回までのおさらい

2 ②書き手の存在感

3 まとめ

 3-1 遊び方のご紹介は別の回に

 3-2 手書き文字の残留性のまとめ

 3-3 実は他にも残留してます

 3-4 味わうことはよいことだ

 3-5 次回以降の予定 

 

手書き文字に残存しているものは、

厳密にはこれらに限りません。

まだまだあります。

例えば

・書いたときの書き手の性格

・書いたときの社会情勢

・書いたときがいつごろか

・どんな道具を使ったか

 

他にも

②分身性・残像性

④書き手の存在感 

の根底に関わるものがあります。

 

それは、

手書き文字と活字の違い(3) - もじのすけ の文字ブログ

手書き文字の時間性・身体性 - もじのすけ の文字ブログ

で指摘した、

手書き文字の時間性・身体性 です。

 

手書き文字には

時間の流れ、

すなわち、

書き手の書く動作が表れています。

 

これらが手書き文字に

残留しているとして、

書き手の存在感に似て非なるもの

と見ることもできます。

 

他にもありますがこのあたりで

止めておきます。

 

今回は、手書き文字の残留性の

4つの項目を挙げました。

 

 3-4 味わうことはよいことだ

【目次】

1 前回までのおさらい

2 ②書き手の存在感

3 まとめ

 3-1 遊び方のご紹介は別の回に

 3-2 手書き文字の残留性のまとめ

 3-3 実は他にも残留してます

 3-4 味わうことはよいことだ

 3-5 次回以降の予定 

 

「何でそんなに抽象的なことを

 これほどまでに

 長々と考えるのか。」

「何の役に立つのか?」

と疑問に思った方が

おられるかもしれません。

 

ですが、もじのすけとしては、

「時間はかかるけど

 きっと役に立ちますよ!」

と強調したいところです。

 

時間の流れの速い今日、

私たちの生活は

膨大な情報処理に追われ、

複層的な思考が困難になっています。

このことは、

「活字離れ」は読み方の問題 - もじのすけ の文字ブログ

で指摘しました。

 

また、

手書き文字を

じっくり味わうことの

スッキリ感や意義は、

http://mojinosuke.hatenablog.com/entry/2016/09/17/211912#4手書き文字だと言葉を味わえる

で説明しました。

 

文字の性質を抽象的に考える。

 

そうすると、

逆に、文字の具体的活用法が

浮かんでくる。

 

だから、

文字について抽象的に考えるのは

オススメです。

 

もちろん文字の話に限りません。

 

ごはんでもいいし、

音楽でもいい。

絵でもいい。会話でもいい。

スポーツでもいい。

服を着ることでもいい。

 

みなさんが、

自分の興味のあるものを

じっくりと考えることは

とても意味のあることですし、

新しいものが生まれやすくなる

と思います。

 

1日の生活のどこかで、

何かをじっくり味わい

ホッとしてみませんか。

 

 

 3-5 次回以降の予定 

【目次】

1 前回までのおさらい

2 ②書き手の存在感

3 まとめ

 3-1 遊び方のご紹介は別の回に

 3-2 手書き文字の残留性のまとめ

 3-3 実は他にも残留してます

 3-4 味わうことはよいことだ

 3-5 次回以降の予定 

 

お堅いシリーズが

4回も続いてしまいました。

 

リフレッシュしていただくためにも

次回以降、定期記事は、しばらく

ゆるめの記事を続けます。

 

それでは、

今回はここまで。

 

本日も非常に長い文を読んでいただき

ありがとうございました。

 

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(春の気配がちらほらと)

 

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