【目次】
(冒頭の作品)
百人一首 僧正遍昭
Poem by Henjō Sojō
Artist:Suzuki Harunobu (鈴木春信 Japanese, 1725–1770)
Period:Edo period (1615–1868)
Date:ca. 1766
Culture:Japan
Medium:Polychrome woodblock print; ink and color on paper
Dimensions:H. 10 9/16 in. (26.8 cm); W. 8 3/16 in. (20.8 cm)
Classification:Prints
もじのすけです。
今日は短めの話題です。娘(小4)の短歌の話をしたいと思います。
1 娘の宿題(音読)~阿倍仲麻呂「天の原」~
今日の朝、出勤する前に妻から呼び止められ、娘(小4)の夏休みの宿題の様子を見せてもらいました。
どうやら娘は、短歌を学習したようです。
ご覧下さい。
百人一首の歌をもとに、詠んだり書いたりするようです。
お、これは有名な阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)の有名な歌ですね。
「天の原 ふりさけ見れば 春日なる
三笠の山に 出でし月かも」
さすが百人一首に選ばれるだけあって、日本(奈良)への望郷の思いがこもった歌ですね。
高校古文『天の原振りさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも』訳と解説・品詞分解 / 古文 by 走るメロス |マナペディア|
阿倍仲麻呂といえば、奈良時代に日本から唐に渡った留学生です。
阿倍 仲麻呂[1](あべ の なかまろ、文武天皇2年〈698年〉[2] - 宝亀元年〈770年〉1月)は、奈良時代の遣唐留学生。姓は朝臣。筑紫大宰帥・阿倍比羅夫の孫。中務大輔・阿倍船守の長男。弟に阿倍帯麻呂がいる。
唐名を「朝衡[3]/晁衡」(ちょうこう)とする。唐で国家の試験に合格し[4]唐朝において諸官を歴任して高官に登ったが、日本への帰国を果たせずに唐で
客死した。
この歌の由来はこちらです。
仲麻呂の作品としては、「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」が百人一首にも選ばれている[10]。この歌を詠んだ経緯については、天平勝宝5年(753年)帰国する仲麻呂を送別する宴席において王維ら友人の前で日本語で詠ったとするのが通説だが、仲麻呂が唐に向かう船上より日本を振り返ると月が見え、今で言う福岡県の春日市より眺めた御笠山(宝満山)から昇る月を思い浮かべ詠んだとする説も存在する。
宴席説に従うと、阿倍仲麻呂がこの歌を詠んだとき、「いよいよ故郷の日本に帰れる!」という喜びのニュアンスが含まれていたことでしょう。
ですが、現代の私たちがこの歌を聴くと、日本に帰国できなかった悲劇的な結末がしのばれ、何とも物哀しい雰囲気が出てきます。
娘の宿題の指示にしたがって、私も音読してみました。
みなさんも、もしよかったら音読してみてください。
阿倍仲麻呂の気持ちが一部なりとも伝わってくるかもしれませんよ。
2 娘の宿題(書写)~阿倍仲麻呂「天の原」~
この宿題は奥深いです。
詠む(音読する)だけでなく、次に、書くことも要求しています。
もじのすけは細かくてうるさいです。妻によってマルがつけられていますが、よく見ると、娘は「書き写し」を求める問題文に応えていません。
見てください。
問題「あまの原」
娘「天の原」
問題「ふりさけ見れば」
娘「ふりさけみれば」
本当はこういうところをキッチリしてほしいなと、親としては思ってしまいます。
まあ、マルをつけてもいいのですが・・・。
ちょっとやそっとで収まりきらない娘の性格が顔をのぞかせているなあと感じました。
そして宿題はさらに奥深い領域に入り、娘の独特の性格が露わになっていきます。
3 娘の宿題(作歌)~自分の歌~
下の第3問を見てください。
そうです。短歌を作らないといけないのです。
「五・七・五・七・七」のリズムにのせて。
そして、短歌の学習の成果として、娘が作った歌がこちらです。
・・・。なんでこうなるかな。
百人一首の歌を詠んで、書き写して・・・。
家族愛には満ちあふれていますね。よく言えば。
そういえば、娘が「最近嫌な夢をよく見る。」と言っていたのを思い出しました。こんな夢だったのですね。離れるのは家族全員かよ~。夢を見た自分だけにとどめてくれよ~。
「毎日そんな あくむ『をも』みる」と書いてあるので、よい夢や普通の夢とセットなのでしょう(ムリヤリ)。まあ、字足らず防止のつもりでしょうけど。
ともあれ、昔の名歌を音読し、書き写し、そして実践的に作歌する。
なかなかよい宿題でした。
4 短歌が残るのは「文字の残存性」から
今回私は、阿倍仲麻呂の歌を思い出し、詠うことができました。そして、娘の名歌(?)を味わうことができました。
ここでよく考えてみてください。
短歌は、詠うのが本体です。
声に出した音(言葉)は、すぐに消えてしまいます(「音の消失性」)。
ところが阿倍仲麻呂が奈良時代に詠って消えたはずの短歌が、現代まで残っています。それはなぜでしょうか。
奈良時代の阿倍仲麻呂の望郷の歌を現代の私が詠い、阿倍仲麻呂の想いを偲ぶことができます。それはなぜでしょうか。
なぜ私は、娘の短歌と独特のセンスを知ったのでしょうか。
それは「文字」のおかげです。
だれかが阿倍仲麻呂の歌を書き残したからでしょう。
娘が自分の歌を書き残したからでしょう。
一旦書かれたり刻まれた文字は、風化しない限り、ずっと残ります。
これを「文字の残存性」といいます。
「文字の残存性」により、私たちは、昔の人(阿倍仲麻呂)や現代人(娘)の歌を知るだけでなく、昔の人(阿倍仲麻呂)の望郷の想いや、詠んだ人(娘)の独特の人となりを感じることができる。
「文字はやっぱりすごい!」と感じた出勤前の朝でした。
おつかれさまでした。
(オマケです。)
文字の消失性、文字の残存性について以前に書いた記事はこちらです。
Bamboo and Poem
Artist:Zheng Xie (Chinese, 1693–1765)
Period:Qing dynasty (1644–1911)
Culture:China
Medium:Hanging scroll; ink on paper
Dimensions:Image: 55 1/8 x 15 1/2 in. (140 x 39.4 cm)
Overall with mounting: 86 x 21 in. (218.4 x 53.3 cm)
Overall with knobs: 85 x 24 in. (215.9 x 61 cm)
Classification:Paintings
上杉謙信の手書き文字から作った
「けんしんフォント」無償公開中
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