【目次】
(冒頭の作品)
諸國名橋奇覧 摂洲天満橋
Tenman Bridge at Settsu Province (Sesshū Tenmanbashi), from the series Remarkable Views of Bridges in Various Provinces (Shokoku meikyō kiran)
Artist:Katsushika Hokusai (Japanese, Tokyo (Edo) 1760–1849 Tokyo (Edo))
Period:Edo period (1615–1868)
Date:1760–1849
Culture:Japan
Medium:Polychrome woodblock print; ink and color on paper
Dimensions:H. 10 1/8 in. (25.7 cm); W. 15 1/8 in. (38.4 cm)
Classification:Prints
https://www.metmuseum.org/art/collection/search/53193
もじのすけです。
1 前回の記事のおさらい
前回の記事では、「文字の化体性」についてお話ししました。
文字を物体の上に書くと、その文字で表された情報の存在感が現実化するというお話でした。
具体例は
①孫悟空
「孫悟空」と書いたカードを手にとって空中でヒラヒラさせる
②富士山
「富士山」と書いたカードを手にとってより高く持ち上げる
③1万円札
1万円札をシュレッダーにかけることはできない
④神様
「神様」と書いたカードをハサミでじょきじょき切ることはできない
⑤人の名前
「人の名前」を書いたお札に五寸釘を打ち込むことはできない
⑥2位の表彰状
2位の表彰状をビリビリに破ることはできない
⑦聖書・コーラン
聖書・コーランを火にくべることはできない
などです。
③から⑦は心理的にかなり抵抗感があると思います。
もちろん人によっては「そんなのカンタン!できるよ!」という場合もあるでしょう。
ですが、世間一般の感覚としては、なかなかできないことだと思います。
私たちが「それはちょっとできない。」と思えてくるのは、その物体に「1万円の交換価値」「神様」「その名前の人」「2位として表彰される何か」「聖書・コーランで表現された何か」の存在感が表れているからでしょう。
物の上に文字を書くと、その「物」と「文字で表されたものの存在感」をまとめて加工することができます。
③から⑦の例、たとえば1万円札をシュレッダーにかけるのは悪い加工例です。
今回からは「文字の化体性」のよいところについてお話しして、その後に良い加工の例をご紹介したいと思います。
これから続くのは
「目の前に存在しないものや、細やかな物事でも、
(1)文字にするとそれだけでメリットがありますよ(今回と次回)。
(2)その文字が物に化体すると、いろいろ良い加工ができますよ(次々回?)。」
というお話です。
2 武井壮が武井壮を思い通りに動かす?
「文字の化体性」を使ったよいところとして最初にご紹介したいものがあります。
「百獣の王」武井壮の話です。
12分28秒から19分29秒までの話。
https://youtu.be/ikxAOS8Q2M0?t=748
これは、就職活動を考えている人向けのラジオ番組で、武井壮が自分の身体について考えたことを熱く語っています。
武井壮は小学5年生のときに疑問に思っていたことがあるそうです。
その疑問はこちら。
「自分はコップの水を飲むのは毎回失敗しない。」
「なのに、なんで野球では全打席でホームランを打てないのか。」
「この違いはどこにあるのだろうか。」
「コップの水を飲むとき」と「バットで野球のボールを打つとき」。
みなさんは何が違うと思いますか。
小学5年生の武井壮の素朴な疑問に、答えてみてください。
野球で毎回ホームラン打てる人は少ないでしょう。
それなのに、水の入ったコップは百発百中で口に運べる。
それはなぜでしょうか。
武井壮が見つけた答えは、
「見えるかどうか」
でした。
具体的にご説明しましょう。
コップを手に取って口に運ぶとき、最初から最後まで手の動きが視界に入っていますよね。目に見える動作は思った通りにできる。
野球のバットを振るとき、バットの位置、バットの動き、自分の手の動きを見ている人はいないでしょう。目に見えなくなると、とたんに自分の体を思い通りに動かすことができなくなる。
武井壮はそのように結論を出しました。
武井壮のすごいところは、自分の身体が目に見えていないことに気づいた、ということだけではありません。
「目に見えない身体の動かし方」を自分のイメージと一致させるために、自分の身体を意識する練習を繰り返した(おそらく今も繰り返している)ことです。
「身体が不自由な人がいるじゃないか。その人は見えていても動かせないじゃないか。」と指摘される人がいるかもしれません。
そのような人のことについて、武井壮はラジオでは何も語っていません。
ですが彼が言いたいことを推測すると、「見えている部分をどうするか、という話ではない。大事なのは、私たちは自分の身体の見えない部分のこともよく知らなければならない。」となるのでしょう。
武井壮はそんな話をしています。
「もっと正確な話を聞きたい。」という人や「タメになる話を聞きたい。」という人は、ぜひ武井壮の話を聞いてみてください。
3 落合博満とイチローの身体の意識
私は次の動画でも衝撃を受けました。
2分31秒~4分14秒
https://youtu.be/QIxAFFiUyK8?t=151
この動画は若き日のイチローと落合博満の対談した様子を映したものです。
2分31秒から、2人は、イチローのバッティングの身体の使い方について、その年と前の年の違いについて語り始めました。
スローモーションで見てもほんのわずかな違いです。
二人はどんな話をしているでしょうか。
(2分31秒~2分55秒)
落合「心配しているの、俺だけだと思う。」
落合「ものすごくね。トップの位置が低くて浅いの。」
イチロー「ということは始動がちょっと遅れ気味の、ここのワレができていないということですね。」
落合「キチッとここのトップが入ってきて、それで振るという動作じゃなくて。」
落合「ここへ入る前に、自分でボールに寄っていってるもんだから。」
(3分58秒~4分14秒)
イチロー「(右太ももを指して)ここ浅かったですか。浅く見えましたか。」
落合「浅い。全然浅い。」
落合「ここならここまでくるやつが、ここにしかない。だから、右肘の張りがものすごいちっちゃい。」
この意味、わかりますか?
私にはわかりません。分からないながらも想像すると、「バットを振る予備動作の始動が早すぎてタメが小さい」ということかもしれませんね。
落合博満といえば、かつて中日ドラゴンズの監督をしていた時に、球審の体調がすぐれないことを見抜いて、交代をうながしたことがあります。
その動画はこちら。
落合博満の鋭い目で見ると、球審の体調の違いさえ見えてくるのでしょうね。
4 2つの例から何が分かるか
武井壮のラジオ番組と、落合博満とイチローの対談。今日は2つの例をご紹介しました。
どちらも文字と関係なさそうに見えますが、決してそんなことはありません。
1つ目の武井壮は、
「目に見えないところを把握する感覚を鍛えている」という話でした。
でも武井壮は、直接話していませんが、別の大事なことも教えてくれています。
「武井壮はどのような考えで自分をどのように鍛えているのか。」を言葉で説明してくれている、ということです。
そして私は武井壮の言葉を文字にして皆さんに伝えました。
言葉は発音したら消えてしまいます。
せっかく武井壮の言葉を聞いたとしても、「今日はいい話だったなあ」で終わってしまい頭になんにも残らない、という現象は起こりがちでしょう。
ところが、みなさんが武井壮の言葉を文字にしたらどうでしょうか。
文字を読むだけなら「今日はいい話を読んだなあ。」で終わってしまうかもしれません。ですがその話を文字で書いてまとめたらどうでしょうか。
頭に残ります。確実に。
2人は身振り手振りで会話していました。つまり動作といっしょに言葉で会話していました。もし2人が動作だけでコミュニケーションをとろうとしたら、さぞかしやりにくかったことでしょう(不可能ではないと思います)。
2人は細やかな動作を身体で覚え、そして言葉にしています。だから身振り手振り+わずかな言葉で話が通じています。
2人の高いレベルの会話に、凡人はついていくどころか、そもそも細やかな動作の違いすらわからないことでしょう。私はそうです。
それなら、その言葉を文字にしてみたらよいでしょう。
2人の言っている違いがわずかながらも見えてきます。
目に見えないことや細やかなことについて、
文字で「見える」化する。
そうすると、今まで気づけなかったことに気づけます。
さらに、その文字を書けば頭に残ります。
次回も、文字で「見える」化すると良いことがあるということで、
別の芸能人の話をご紹介しましょう。
これから続くのは、
「目の前に存在しないものや、細やかな物事でも、
(1)文字にするとそれだけでメリットがありますよ(今回と次回)。
(2)その文字が物に化体すると、いろいろ良い加工ができますよ(次々回?)。」
というお話です。 次回も(1)の話です。
今日はこのあたりにしておきましょう。
おつかれさまでした。
葛飾北斎筆 鶏と木材鶏図
Album of Sketches by Katsushika Hokusai and His Disciples
Artist:Katsushika Hokusai (Japanese, Tokyo (Edo) 1760–1849 Tokyo (Edo))
Period:Edo period (1615–1868)
Date:19th century
Culture:Japan
Medium:Album of ninety-seven leaves; ink and color on paper
Dimensions:Each leaf: 15 1/2 x 10 1/2 in. (39.4 x 26.7 cm)
Classification:Paintings
https://www.metmuseum.org/art/collection/search/40011
上杉謙信の手書き文字から作った
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http://mojinosuke.hatenablog.com/entry/2017/04/06/130000
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