【目次】
こんにちは。もじのすけです。
今回は、
なぞってみたシリーズの第2弾です。
1 「なぞり遊び」の段取り
おさらいですが、
「なぞり遊び」の段取りは
1 有名人の公開された手書き文字を紙に
コピーする。
2 紙に写ったその手書き文字をなぞる。
3 なぞってその有名人の性格を感じる。
以上終わり。
あっさりするほど簡単です。
2 織田信長の字をなぞります。
「豊臣秀吉の字をなぞってみた」では、
平仮名の多さから豊臣秀吉をチョイスしました。
ですが
知名度の高さからすれば、
やはり織田信長を外すわけにはいかないでしょう。
Wikipediaより引用
豊臣秀吉よりさらに読みにくいのですが、
今回は、織田信長の字をなぞってみようと思います。
信長の自筆書状は少ないらしく、
今回は2点をご紹介したいと思います。
1つ目は、
(初版 平凡社 昭和50年)
70、71ページから
織田信長の書状(写真1)と
釈文(岩沢愿彦氏)(写真2)を
採り上げたいと思います。
2つ目は、
194ページから
(共に写真3)を
採り上げたいと思います。
3 織田信長の細川忠興への書状
1つ目は、
織田信長の自筆書状であることが
唯一確認されているとされる書状です。
当時15歳だった細川忠興の功労に対して
与えた感状(賞賛する書状)です。
それでは見てみましょう。
かすれて読めないところもありますが、
そこはスルーしてください。
よかったら指やシャーペンなどで
なぞってみてください。
織田信長の書状(写真1)
釈文(写真2)
どうでしょうか。
はっきり言って、
豊臣秀吉のときよりさらに
読みにくいと思います。
ボールペンで、
3回なぞってみました。
特徴的なのは、
「無油断」(ゆだんなく)の
「油」のまっすぐな縦線。
またその前の3行の
「いよゝ 働之 事候」の
縦に急ぐ感じ。
感状という性質からか,
やや太めの線で書いてありますが、
全体的には、縦のラインを意識して、
書き急いでいる感じです。
4 織田信長の織田信忠への書状
続いて2つ目の書状です。
これは、織田信長が
長男である「城介殿」(織田信忠)に
宛てたものです。
土蔵から万疋のお金を出して、
取りに来た「聟」(婿)に渡すよう
依頼する書状だそうです。
織田信長は自分のことを
「信」の一文字で表しています。
浄土宗と法花宗の
宗論の結果の話題も出ています。
織田信長の書状2(写真3)
要約
その土蔵に1万6000貫のほか、
隠里の公用米があるが、
それを除いた6000貫のうち
万疋(100貫文)をこちらに届けてほしい。
浄土宗と法花宗の宗論は
いたづら者が負けた。
詳しくは婿が話すでしょう。
城介(信忠)殿 信
ここでも縦の線が気になります。
実線の縦線と文字の縦バランス線の
両方とも縦にシャープに流れています。
例えば、
「かくれさとよりの」
一文字一文字スリムで、
縦横の線がはっきりしていながら、
なおかつ縦にまっすぐ流れています。
5 手書き文字で読み解く織田信長の性格
この縦横の線の美しさからすると、
織田信長は
神経質で理詰めの性格
のように見えます。
他にも、
文全体から見ると
横に伸ばす線は、
右肩上がりになっており、
鋭い勢いも感じさせます。
書くスピードも速そうです。
スリムで縦に流れ、
右肩上がりで鋭い勢いがあるのですから、
どうやら
織田信長は
細身で機敏で
せっかちで
運動神経が良さそう
です。
今回は、
私のこれまでの織田信長のイメージと
特に変わる所は
ありませんでした。
ただ、
実際に手書き文字をなぞってみると、
織田信長が
どれくらい神経質なのか、
どれくらいせっかちなのか、
という程度の部分まで実感できた
と感じました。
6 歴史ファン向けのおまけ
ちなみに
①どうして写真3は信長の直筆書状と
いえるのか
②この土蔵がどこの城の土蔵なのか、
③万匹(百貫文)もの大金を
受け取りに来た「聟」(婿)は
誰なのか、
④この大金は何に使われたのか
も気になるところです。
その答えは、
本文中で挙げた
書いてありますので
ここでは触れません。
第3弾は
もう少し読みやすい字を書いている人を
ご紹介しましょう。
上杉謙信の手書き文字から作った
「けんしんフォント」無償公開中
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