【目次】
- 1 はじめに
- 2 織田信長の花押「麟」
- 3 織田信長の花押は「麟」なのか?
- 4 「麟」の花押の根拠(ネット上)
- 5 「麟」の花押の根拠(書籍)
- 6 織田信長「麟」花押説の根拠
- 7 佐藤進一先生の説は本当か?
(冒頭の作品)
Period:Predynastic, Late Naqada l–Naqada II
Date:ca. 3900–3500 B.C.
Geography:From Egypt
Medium:Ivory (elephant)
Dimensions:h. 18.9 x w. 6.2 x th. 1.1 cm (7 7/16 x 2 7/16 x 7/16 in.)
Credit Line:Rogers Fund, 1923
https://www.metmuseum.org/art/collection/search/547217
1 はじめに
こんにちは。もじのすけです。
今回も花押のお話です。
花押というのは、署名(サイン)の代わりに使用される記号・符号のことです。
要するに「自分を表す記号・符号」であって「名前の文字とは限らない」ものです。
前回の記事では勝海舟の花押を紹介しました。
この記事の中でわかったことですが、勝海舟の花押は、織田信長の花押に似ていました。
時代も性格も全然違う人物ですが、花押は似ています。
そこで、時代が大幅にさかのぼりますが、
今回の記事では
織田信長の花押
について考えてみたいと思います。
【この記事の注意事項を先に挙げます】
今回は学者でもない素人の「もじのすけ」が、大それたことに学者の大先生の書いた論考を検討する記事です。
調査不足・誤解が明らかになるかもしれません。
間違いや疑問点があるかもしれません。
その場合はぜひ文献その他でご指摘ください。
修正の必要があれば、結論も含めて修正していきたいと思います。
それではさっそく見ていきましょう。
2 織田信長の花押「麟」
織田信長の花押はこちらです。
(平凡社 初版 昭和51年)P246
これは何を表しているマークかといいますと
「麒麟」(キリン)の
「麟」(リン)の文字
だと言われています。
「麒」(キ)はオスで、
「麟」(リン)はメス。
そんな風に言われているようです。
どちらにしても
「麟」はキリン
ということのようですね。
3 織田信長の花押は「麟」なのか?
私には、素朴な疑問があります。
批判を恐れず、申し上げましょう。
織田信長の花押(再掲)
この織田信長の花押は、本当に「麒麟」(キリン)の「麟」(リン)の文字なのでしょうか。
リンってこんな字ですよね。
「麟」
それと
見比べてみてどうですか?
似てますか?
「くずし字とか花押とかよくわからないし」
「どっちとも言えないや」
そんな意見の人が多そうだと予想しています。
4 「麟」の花押の根拠(ネット上)
ネット上で検索すると、
という記述であふれています。
みんなこれを前提に記事を書いたりしています。
2020年NHK大河ドラマ
『麒麟がくる』
も、織田信長の花押を意識していることでしょう。
でもネット上のよく読むと、「麒麟(キリン)の『麟(リン)』だと言われている。」という記述ばかり。他人頼みです。
いったい誰が根拠をもって言っているのでしょう。
織田信長の花押が「麟」(リン)だとされる根拠 をネットで探してみましょう!
結局・・・ネットでは根拠は出てきませんでした。
ネットの限界ですね。
5 「麟」の花押の根拠(書籍)
気を取り直して、今度は書籍を探してみました。
すると、私がよく引用する「書の日本史」(平凡社)の中の解説文に、手がかりがありました!!
『花押小史ー類型の変遷を中心にー』(佐藤進一)です。
その解説文が書いてある「書の日本史〈第9巻〉古文書入門,花押・印章総覧,総索引」(佐藤進一ら編 平凡社 昭和50年))のP72を示しますね。
(中略)
将来の達成を期する理想、願望を託した文字を花押化する事例が表れる。第一に挙げられるのは織田信長の掲出の花押(もじのすけ註:先ほどの花押とほぼ同じ)である(図㊼)。
これは「麟」の字の草書体から作られた形であって、麒麟が至治の世にのみ出現すると信ぜられた想像上の動物であることを考えると、この一字を花押化することによって、至治の世、和平の代への願望を表現しようとしたことは明らかであろう。
そうです。佐藤進一氏は、織田信長の花押を「麟」とする根拠を明確に書いているのです。
・織田信長の花押は「麟」の字の草書体から作られた形
・麒麟が至治の世にのみ出現すると信ぜられた想像上の動物であることを考えると、この一字を花押化することによって、至治の世、和平の代への願望を表現しようとしたことは明らかであろう。
佐藤進一氏は、信長が至治の世・和平の代への願望をもち、花押の一字にそれを表現したという事実が「明らか」とまで言っています。
佐藤進一先生(「氏」ではなく「先生」と呼ばせてもらいます)は、東大教授で日本中世史の大家です。
佐藤 進一(さとう しんいち、1916年11月25日 - 2017年11月9日)は、日本の歴史家。専門は、日本中世史、中世法制史、古文書学。新潟県中蒲原郡新津町(現・新潟市秋葉区)に生まれる。
1953年4月 東京大学文学部助教授(史料編纂所も併任)
1961年12月 「鎌倉時代より南北朝時代に至る守護制度の研究」により文学博士の学位を授与される
1962年4月 東京大学文学部教授
1970年10月 東京大学文学部教授を辞職
1971年11月 名古屋大学文学部教授
1977年4月 中央大学文学部教授
1987年4月、中央大学を定年退職
このネット記事を最初に書いた(もじのすけ註:平成30年10月18日)には、なんと100歳を超えておられたとは!
そして、亡くなられていたとは!
あ~、直接お目にかかって、お話をうかがいたかったなあ・・・。
佐藤先生がネットでもたくさんの人に慕われていたことがわかります。
佐藤進一先生によると
これは「麟」の字の草書体から作られた形であって、
とのことでした。
『花押小史ー類型の変遷を中心にー』(佐藤進一。「書の日本史〈第9巻〉古文書入門,花押・印章総覧,総索引」(佐藤進一ら編 平凡社 昭和50年))P72
昭和50年の段階で、この断言ぶり。
私は佐藤進一先生より前の人が「麟」だと述べたものを見たことがありません。
そこで私は「佐藤進一先生こそが織田信長「麟」花押説の創始者に違いない!」と見定めました。
6 織田信長「麟」花押説の根拠
織田信長の花押(正確には一時期ですが)を「麒麟」(キリン)の「麟」(リン)だとする佐藤進一先生。
佐藤進一先生は、いったいどのような思考ルートで、織田信長の花押を「麟」だと判断したのでしょうか。
ここからは佐藤進一先生の説の根拠に迫ってみたいと思います。
なんだかドキドキしてきますね。
佐藤進一先生は、本をたくさん書かれていますが、一番最近のもので、根拠について述べられたものがありました。
「増補 花押を読む」(佐藤進一 平凡社 2000年10月10日)
そのP156(抜粋)とP157を示します。
ぜひ文章を初めから読んでみてください。
特にここに注目してください。
なんと、
佐藤進一先生ご自身も
最初は織田信長の花押が「麟」だとは読めなかった。
そして、勝海舟の花押を見て「麟」だと気づいた、のです。
実は、私も似たような体験をしていたのでした。
前回の記事でこんな思考ルートの体験をしました。
①「書の日本史」の本で
勝海舟の花押を見た
↓
似ていると思った
+
③そういえば織田信長の花押が「麟」だ
↓
④①の勝海舟の花押も「麟」だ!
ところが佐藤進一先生は、私とは
全く逆方向の思考ルートの体験を
されていたのです。
つまり、佐藤進一先生は
Ⅰ 織田信長の花押を見た
↓
似ていると思った。
+
Ⅲ 勝海舟の花押は「麟」だ
↓
Ⅳ Ⅰの織田信長の花押も「麟」だ
と考えられたのです。
私は、佐藤進一先生の思考に接したときに
自分の思考の誤りに気づきました。
私の思考ルートのうち
①「書の日本史」の本で
勝海舟の花押を見た
↓
似ていると思った
ここまではOKです。
ところが
私の思考の誤りはここにありました。
③そういえば織田信長の花押が「麟」だ
↓
④①の勝海舟の花押も「麟」だ!
そもそも ③の織田信長花押「麟」説の思考ルートは
Ⅲ 勝海舟の花押は「麟」だ
↓
Ⅳ Ⅰの織田信長の花押も「麟」だ
であり、順序が逆なのです。
7 佐藤進一先生の説は本当か?
このように
私の前回の記事の思考ルートは
間違っていました。
念のため私と佐藤先生の思考ルートを
もう一度示します。
【私の間違った思考ルート】
①「書の日本史」の本で
勝海舟の花押を見た
↓
似ていると思った
↓
③そういえば織田信長の花押が「麟」だ
↓
④①の勝海舟の花押も「麟」だ!
【佐藤進一先生の思考ルート】
Ⅰ 織田信長の花押を見た
↓
似ていると思った。
↓
Ⅲ 勝海舟の花押が「麟」だ
↓
Ⅳ Ⅰの織田信長の花押も「麟」だ
私は
織田信長花押「麟」説に基づいたつもりで
勝海舟花押を「麟」とみていましたが
これは論理的には間違っていました。
ですが・・・、
この状態のままでは、
佐藤進一先生の説が正しいかどうかは
わかりません。
そもそも佐藤進一先生の織田信長花押「麟」説が
正しいとは限らないのですから。
そこで次回の記事では、
佐藤進一先生の織田信長花押「麟」説が
本当に正しいのか について、
さらに検討していきたいと思います。
大先生である佐藤進一先生の見解に反論するので
((((;゚Д゚)))))))ブルブル
の状態です。
ですが、素朴に疑問に思った以上は
やはり書かないといけないと思っています。
日本中世史の大家である佐藤進一先生にとって
「花押」は、主要な研究テーマではなく、
趣味のように楽しんで肩の力を抜いて
研究されていたのではないか
と推察しています。
それならば、
素朴な疑問をぶつけて(胸を借りて)
佐藤進一先生の興味分野であろう
花押の理解に挑戦してみたいと思います。
繰り返しになりますが、
佐藤先生がお亡くなりになる前に
直接お目にかかって、
お話をうかがいたかったなあ・・・。
今回はこのあたりにしておきましょう。
夢窓疎石筆 消息
Letter to Suwa Daishin, Officer of the Shogun
Artist:Musō Soseki (Japanese, 1275–1351)
Period:Nanbokuchō period (1336–92)
Date:ca. 1339–51
Culture:Japan
Medium:Hanging scroll; ink on paper
Dimensions:Image: 11 5/16 × 14 1/16 in. (28.7 × 35.7 cm)
Overall with mounting: 44 1/2 × 18 1/2 in. (113 × 47 cm)
Overall with knobs: 44 1/2 × 20 1/4 in. (113 × 51.4 cm)
Classification:Calligraphy
上杉謙信の手書き文字から作った
「けんしんフォント」無償公開中
【ダウンロードはこちら】
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http://mojinosuke.hatenablog.com/entry/2017/04/06/130000
定期的に読んでいただけると嬉しいです。
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