【目次】
もじのすけです。
今回は、ブログの文章について考えてみたいと思います。
前回の記事の続きは仕上がっていて、次回に書きます。
なお、読みやすい文章・読みにくい文章の特徴や、文章を読みやすくするテクニックを知りたくてこの記事にたどり着いた方は、すみません。この記事には実践的なテクニックなどは何も書いてありませんので、あしからず。
1 読みやすい文章だけ?
このブログを読んでいただいているみなさんは、忙しい生活の中で、時間をかけずに読んでいることが多くないですか。また、忙しくないときであっても、じっくり読もうというスタンスで読み始める方は少ないのではないかと思います。
そもそも、ネット上の文章を読む場合、時間をかけて読むことはあまりないと思います。これは、このブログを読む場合に限ったことではないでしょう。私も同じです。
このブログの第2回の記事『「活字離れ」は読み方の問題』では、読むスピードが上がり、「読んだ」というより「見た」に近い感覚になる、という話をしました。
「見た」に近い感覚で読む場合、ネット上の良い文章とは一体どんなものでしょうか。
その答えは、「一読了解、サッと読めるもの。」。多くの人はこのような内容の回答をするでしょう。
それでは、逆に、読みにくい文章を想定してみましょう。読みにくい文章はどんな扱いを受けるのでしょうか。
ブログを含むネット上では、文章も絵も、膨大な量となって流通しています。そもそもネット上では、文章になっているものより絵的なものの方がはるかに読みやすい(見やすい)。つまり、文章は絵のように気軽には読めません。
絵のように気軽に読めない文章が、もしもありふれた文章だったらどうなるか。読み手の目に触れることがあっても、膨大な情報量の流通の中ですぐに埋もれてしまうことでしょう。
読みにくい文章はもっと悲劇的です。ありふれた文章として埋もれるという話以前の問題として、見向きもされない(読み飛ばされる)か、目にも入らないと思います。
そのように考えると、「一読了解、サッと読める」文章は、読み手に負担をかけない丁寧なサービスの文章であり、それだけで価値があると思います。ありふれた文章として埋もれることもありますが、言いたいことが伝わりやすい文章になることでしょう。
仕事として使う文章は、こうありたいものです。もっと言えば、ネット上の文章も、仕事の文章も、あらゆる文章は、読みやすいことに越したことはない。そう思うことが多いです。
ですが、何かが違う。
本当に文章は読みやすいだけでよいのでしょうか。
文章の読みやすさ重視の風潮に何となく違和感を持つことが多かったのですが、その違和感が何だったのかを解明するマンガや文章に出会いました。順を追ってご紹介しましょう。
2 ハイキュー!!のセッター影山飛雄のトス
みなさんは、「ハイキュー!!」という高校バレーボールを題材にしたマンガをご存知ですか。
もじのすけは、よく食べに行く定食屋があります。その定食屋にこのマンガが置いてあったので、最近まで読みふけっていました。
そのマンガに出てくるキャラクターに、影山飛雄という天才セッター(スパイクを打つ人にトスを上げる人)がいます。下のサムネイル画像で一番大きく映っている人です(主人公は画像の右で切れていて、鼻と歯しか映っていません)。
その影山飛雄は、25巻ではセッターとして一段と成長しました。
影山は、もともと天才的にスパイカーが打ちやすい位置にボールが来るように、スパイカーの要求どおりの絶妙なトスを上げていました。
そこからさらに成長を遂げたのです。
スパイカーの限界を引き上げるようなトスを上げるようになったのです。それも、セッターの独りよがりではなく、スパイカーが自分で成長を感じるようなトスを。
影山の新しいトスには「スパイカーの要求に合わせることに徹したサービス」以上の目的意識が示されています。影山が自分で高みを目指すだけではありません。スパイカーであるチームメイトに合わせながら、その要求を超えるボールを提供し、鼓舞していく。
その影山の姿勢は大きな成長を感じさせるものでした。
3 今谷明『戦国の世』(岩波ジュニア新書、2000年)
次にご紹介したいのは、今谷明先生の本で岩波ジュニア新書です。
これがめっぽう難しい。大人の私が読んでも文章も言葉も難しい。「ジュニア新書」といいながら、絶対に「ジュニア」が気軽に読める文章ではありません。項目ごとのまとめもなく、項目の題名と内容も一致しない。項目ごとにまとめる一文や項目同士の関係をつなぐ一文を置く、というサービス精神は感じられません。
もし今谷先生の文章で国語の文章題を作ったら、解答例を作成することはかなり難しい作業になることでしょう。編集者が項目のタイトルをつけようとして苦労しそう。そんな姿が目に浮かぶようです。
比較するのは両先生に失礼かもしれませんが、ベストセラーになっている呉座勇一先生の中公新書「応仁の乱」の方が、大人向けなのに読みやすいです。
今谷先生の本は、呉座先生の本がなぜ読みやすいかを考えるきっかけになりました。呉座先生の「応仁の乱」は、項目のタイトルにフィットした文章。項目の最初か最後、ときにはその両方に、まとめの文章を配置。そして、項目内も、項目同士の関係も、全体もリズミカルに整理されています。
もし呉座先生の文章で国語の文章題を作ったら、簡単な問題しか作れないような気がします。
あまり指摘されていませんが、「応仁の乱」は、内容以外にも、呉座先生が読者のために読みやすくする工夫を随所に配置していることが、ベストセラーとなった秘訣の1つだと想像しています。
呉座先生の「応仁の乱」は素晴らしい。でも、今谷先生の「戦国の世」がなぜか気になる。これは何なのか。心に引っかかる感じをずっと持っていたのですが、その感覚についてわかりやすく説明している文章に出会いました。その文章では、今谷先生の本が「一筋縄ではいかない本」と表現されています。
『れきし』クラス便り(2017年2月) | 山の学校 weblog 吉川弘晃氏
「れきし」クラスでは、何よりもまず日本語で書かれた文章を正しく「読む」ことを重視しています。「読む」というのは単に目で追って分かったふりをすることではありません。しっかりと声を出して抑揚をつけて読み、分からない箇所、しっくりとこない箇所を探して、辞書や事典を用いて調べ、それでも理解できない点は教室で質問・議論する。
なるほど、興味のあるテーマについて次々に本を紐解いて知識を増やしていくことほど楽しいことはないでしょう。けれども、もっともっと読まねばと焦るうちに、知らないことを知るために行っていた読書がいつの間にか、知っていることをただ確認するための読書になってしまうことは少なくありません。「こんなこと常識じゃないか」「知ってる知ってる」。こうした危険信号が出てきた時に効果を発揮するのが、一筋縄ではいかない本です。
昨春より、みんなで読み進めてきたのは今谷明『戦国の世』(岩波ジュニア新書、2000年)、200頁ほどの小著ながら、扱う内容・文体・語彙共に、「ジュニア」の域を優に超えるものです。それにもかかわらず、本書は教科書としてこのクラスの趣旨に大いに適うものであった思います。なぜなら、既存の知識や語彙だけで読めるような本とは違って、こうした読者に媚びない本は、読者側に大きなエネルギーを課すので、本気で取り組めば真の意味での「読む」訓練になるからです。
何事もトレーニングというのは今の実力よりも少々高い負荷をかけねば意味がありません。何度読んでも分からない箇所、理解できない論理が出てくるのは、ちゃんとトレーニングをしている証拠なのです。そこで浮かんだ多くの? を大事にして書店や図書館へ、博物館や資料館へ、そして遺跡や城跡といった実地へ足を運んでみてください。その? はきっともっと大きな! へと変わるはずです。
この吉川氏の解説文を読んでハッと目が覚めました。
今谷先生の文章は読みにくい。けれども(だからこそ?)、読者にとって(少なくとも史学の門外漢であるもじのすけにとって)、情熱の炎を焚きつける感じがあるのです。 パッと見ではわかりません。情熱的ではなく、むしろ冷静沈着に論じている文体なのです。
むむ、と唸らせながら読む文章。読者に媚びず、自分も読者も高めようとする文章。読者である自分が成長した気になる文章。実は、書き手がその成長を促した文章。
だから気になっていたのだ、と納得しました。
史学関係者ではないのに感銘を受けたのは、もじのすけだけではありません。やはり他の人も影響を受けていたようです。経済評論家の上念司氏のインタビューで、今谷先生の本(ジュニア新書とは限りませんが)に言及している部分がありました。
上念司氏の「経済で読み解く織田信長」(KKベストセラーズ)は、今谷先生の本をかなり引用していました。史学的に引用の仕方が適切かどうかはわかりませんが、上念氏は、現代の経済についての見識を使って中世の経済史を解析している視点が独創的で、なかなか興味深い本でした。
今の価値観で軽々しく歴史的事実の評価をすることは、良いことではありません。ですが、現代の私たち(史学の門外漢)が、今と将来にどう対処していくかを考えるとき、歴史を考える素材とし、その素材を今の自分の価値観で検討することは、とても大事だと思います。門外漢の情熱の炎を焚きつける文章。今谷先生の一見読みにくい文章は、多くの読者を鼓舞する、深みのある文章だと思いました。
私たちが文字の連なりである文章を読むとき、その文章の意味を把握するだけでなく、書き手の人間性をも感じとっているのだ、ということを実感しました。
そして、文章を読み、その意味を考える中で、書き手の人間性の深みを味わい、自分のものとして消化する「間」こそが、自分を成長させる豊かな時間なのだと思いました。
4 まとめ
結局のところ、ブログは自由、書き方は人それぞれでよいと思います。
ブログを読む方だって、多読傾向の人もいれば、精読傾向の人もいることでしょう。
私は、天才セッター影山飛雄でもなく、日本史学の大家今谷明先生でもありません。しかもブログは、バレーボールとも日本史学の書籍とも違う分野であり、それらと全く一緒のように考えることはできません。ですが私としては、自分と読者のみなさんを文字で鼓舞したいという気概をもっています。
その気概が空回りして読みにくくなったりするときも、逆に読みにくさを恐れすぎて勢いがなくなるときも、どちらも多いです。
①読みやすさを追求し「一読了解、サッと読めるもの。」という記事を書くとき、②読みにくくて骨ばっているけど、内容が濃く、視点が独創的で、刺激的な記事を書くとき、③①と②の両立のバランスを狙うとき、のどれも試行錯誤して、深めていきたい。
理想論ですが、そう思っています。
上杉謙信の手書き文字から作った
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