もじのすけ の文字ブログ

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文字について考えたことをつづっています

手書き文字と活字の違い(12) ~活字が表す情報~

 

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【目次】

 

 

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1 以前の記事

 

もじのすけです。

 

自覚しておりましたが、

以前から

記事のボリュームが大きくて

読みにくい、というご指摘がありました。

 

今回から、ボリュームを

少し減らしてみようと思います。

 

さて、

今回は、

活字に表れる情報は何か、

について考えたいと思います。

今回ではありませんが、

その後に、

活字の情報量アップについて

考えてみたいと思います。

 

以前に、

mojinosuke.hatenablog.com

という記事を書きました。

 

 

(以下、ちょっと余談です。)

 

ちなみに、

今回の記事では

「あの人」のネタバレがあります。

 

・ネタバレが嫌で、

 「あの人」が誰かの

 クイズを先に解いておきたい方

・「あの人」について

 復習しておきたい方

は、この記事の前に、

下の記事を読んでくださいね。

mojinosuke.hatenablog.com

 

そして、

この記事を読む前に

十分に予習しておくのであれば、

先ほど挙げた記事も

続きとしてどうぞ。

mojinosuke.hatenablog.com

 

(以上余談終わり)

ここからは

「あの人」のネタバレがあります。 

ご注意ください。

 

 

 

話を本題に戻しましょう。

 

以前の記事をもう一度挙げます。

この記事の中の、

http://mojinosuke.hatenablog.com/entry/2016/11/02/193000#6活字の表現伝達機能の増量

という項で、

私は、

「文字の情報量は

 毛筆>硬筆>活字である。

 何とかして活字の情報量を

 増加できないか?」

というお話をしました。

 

毛筆だと、

線の太さの移り変わり、濃淡、

文字の大きさ、配置など、

個性が表れるところが

たくさんあります。

 

「あの人」=一休さん

毛筆の手書き文字は、

表情に満ちあふれていました。

 

最初は、ていねいに書いていたのに、

だんだんガマンできなくなって、

何かがはじけたような字を書いて、

最後にようやく元に戻る。

 

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出典

「書の日本史〈第4巻〉室町・戦国」(今井庄次編)

平凡社 初版 昭和51年)P109、110

 

この書には、

一休さんの筆と身体が

一体化している感じがありました。

 

我々現代人は、

普段の生活で毛筆を使う人が

少なくなっています。

少数派の毛筆を使う人も、

多くの場合は

書展や冠婚葬祭などのケースで

かしこまった使い方を

しているように思います。

 

少なくともわれわれ現代人は、

一休さんのような

文字に表れる豊かな感情(表情)を

毛筆では表せないと思います。

 

強いて言えば、われわれでも

使い慣れた鉛筆やペン

すなわち、硬筆なら

ある程度は表現できるとは思います。

 

ですが、

線、濃淡の豊かさなどで、

毛筆のレベルにまでは

とうてい達していないと思います。

 

鉛筆などの硬筆がダメでも、

現代人が一番使い慣れているのは

活字 ですよね。

それならば、

筆の文字の感情伝達機能には、

私たちが使い慣れている活字で

対抗できるのでしょうか。

  

毛筆・硬筆の文字と活字。 もう少し、 新しい視点で、活字の 感情伝達機能の増加、 せめて情報量の増加、 を考えてみたいと思います。

あの人の字をなぞって考えたこと - もじのすけ の文字ブログ

 

今後は

続きとして、

活字の情報量を増加できるのか、

できないのか、を考えます。

ですが、

その前段階として、

そもそも活字にある情報は何か、

について

考えてみたいと思います。

 

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2 活字の「情報」とは?

 

 2-1 活字の感情情報

そもそも活字の文字の形に

感情情報はあるのでしょうか。 

 

私はあると思います。

 

私はあると思います。

 

私はあると思います。

 

私はあると思います。

 

私はあると思います。

 

 

どうでしょうか。

ドヤ顔感の程度、

自信の程度が違いませんか。

 

こんな感じで、

活字は

大きさ、色、太さなどで、

少なくとも自信の大小など、

ニュアンスを込めることが

できるでしょう。

 

書体を変更することで、

ニュアンスを調整することも

可能でしょう。

 

ですが、

活字は、その形だけで、

悲しみや喜びなどの感情を

ゆたかに表現することは難しいです。

 

その意味では、

「活字の感情情報はあるけど弱い」

です。

 

メールやSNSでは

絵文字や顔文字、スタンプが

使われていますよね。

 

絵文字 

例えばこんなのとか。

❤←ハートです。

こんなのとか。

🚅 ←新幹線です。

http://mojinosuke.hatenablog.com/entry/2016/10/13/200000#2絵文字は文字か

 

顔文字

例えばこんなのとか。

 (/ω\)

こんなのとか。

|д゚)

http://mojinosuke.hatenablog.com/entry/2016/10/13/200000#3顔文字は文字か

 

LINEスタンプ

LINE - 公式スタンプ

 

ちなみに、私が

最近ほっこりした顔文字はこれ。

 

_(:3ゝ∠)_

 

多くの人は、

メールやSNS

顔文字、絵文字、スタンプを

使っていますよね。

 

きっと

メールやSNSでの感情表現の必要性と

活字の感情表現機能の弱さを

無意識的に理解した上で

顔文字、絵文字、スタンプで

自然に補っているのでしょう。

 

ということで、

ここで言いたかったことは、

「活字の感情情報はあるけど弱い」

です。

 

 

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 2-2 活字の色? ~共感覚

次に、

活字には感情情報以外に

どんな情報が表れているかを

検討してみましょう。

 

その中でも今回は

共感覚」というものについて、

考えてみたいと思います。

 

共感覚

ご存知ですか?

 

共感覚 - Wikipedia

共感覚(きょうかんかく、シナスタジア、synesthesia, synæsthesia)は、ある刺激に対して通常の感覚だけでなく異なる種類の感覚をも生じさせる一部の人にみられる特殊な知覚現象をいう。 例えば、共感覚を持つ人には文字に色を感じたり、音に色を感じたり、形に味を感じたりする。

一番わかりやすい例が、

文字に色が見える感覚だそうです。

そして、その感覚は

先天的に持っている人と

後天的・文化的にも重なって

持っている人に

分かれるようです。

 文字に色が見える共感覚(かな・アルファベット・数字など)

日本・海外問わず、共感覚者の最多数を占める。日本人の共感覚者の存在は、それ自体が、共感覚が先天的・遺伝的要因と環境的・文化的要因との輻輳(ふくそう:重なり合うこと)によるものであることを物語る。なぜならば、アルファベットのみを母語の表記に用いる欧米の共感覚者は、それら数十文字に色が見えるというだけで共感覚者と断定されている。しかしながら、かな・漢字・アルファベットを併用する日本人であっても、多くの日本の共感覚者は、かなやアルファベット(表音文字)に対する共感覚のみを訴え、数万もある漢字の全てに色が見えると訴える人は極めて稀である。さらに、形が異なるひらがなとカタカナとでは、読みが同じであれば(「あ」と「ア」など)同じ色に見えると訴える日本人共感覚者がほぼ100%である。このことから、「文字→色」の共感覚は、そのほとんどが、文字の形状に音声を対応させる抽象的能力が可能になる年齢以降に身に付いたものであるということができる。

ところが、かな・アルファベットだけでなく、あらゆる漢字や世界の文字の、どれを提示しても即座に色を答え、しかもいかなる文字を再び提示しても、全く間違えない(前回と異なる色を答えない)日本人共感覚者が、ごく少数存在する。(例:漢字の共感覚色を一年かけて記録した日本人男性の例[1]

例のように、実際には、保持している共感覚の全てが先天性のみによって発現していることが確認されうる日本人共感覚者は、極めて稀であると考えられる。

 Wikipediaより

 

NAVERまとめはこちら。  

matome.naver.jp

 

みなさんの中に

共感覚」をお持ちの方はいますか。

 

ちなみに私は持っていません。 

今でも

「へえ、そんな人もいるんだ。」

くらいの認識しかありません。

 

色んな人がいるようです。

文字ではなく、

音、時間間隔、数、人の性格・姿に

色が見える感覚を持っていたり、

匂いを感じる人もいるようです。 

 

一人称としての

イメージはこんな感じだそうです。

videotopics.yahoo.co.jp

 

活字が表している情報と

共感覚」の関係は、

どのように考えたらよいでしょうか。

 

共感覚」は受け取る側の

感性の問題でしょう。

 

ある活字、

たとえば「あいうえお」から

同じ色を読む人が

たくさんいれば

活字自体に何らかの情報が

のっかっているでしょう。

しかし、

そんな話はなさそうです。

 

その意味では

共感覚」の作用は、

活字に表れている情報

とは言えないと思います。

 

ということで、

共感覚

活字の情報とは関係がなさそう」

という

結論になりました。

 

3 まとめ

今回は、

・活字の感情情報は弱い

共感覚は活字の情報とは関係がない

という結論になりました。

 

長くなりそうになってきたので、

とりあえず

この辺で止めておきましょう。

 

今後も、

活字には、感情以外に

どんな情報がのっているのか?

をもう少し確認していきます。

 

その上で、

活字の情報量を

毛筆、硬筆の字の情報量のように

増加できないか、を

考えたいと思います。 

 

おつかれさまでした。

(ボリューム減量失敗・・・汗) 

 

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