もじのすけ の文字ブログ

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文字について考えたことをつづっています

手書き文字と活字の違い(18) ~文字が媒体から離れるという話~

 

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琉球八景 泉崎夜月(葛飾北斎作) Date:ca. 1832

Katsushika Hokusai | Evening Moon at Izumizaki (Izaumizaki yagetsu), from the series Eight Views of the Ryūkyū Islands (Ryūkyū hakkei) | Japan | Edo period (1615–1868) | The Met

 

【目次】

 

 

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もじのすけです。

 

今回は、

音や文字が媒体から離れてきている

という話をします。

 

その後に、

ちょっと怖い話をしたいと思います。

 

それでは、まず

音や文字が

媒体から離れてきているという話から。 

 

音楽、文字のそれぞれでお話しします。

 

 

1 音楽の場合

 

1 音楽の場合
2 文字の場合
3 音・文の短縮化
4 今回のまとめ+ちょっと怖い話

 

私が中学生だったころ、

曲を買って聴くという方法といえば

レコードやCDを買う方法

しかありませんでした。

 

曲の購入は

アルバム単位でした。

 

現在はどうでしょうか。

 

そもそもあまり曲を買わず、

YouTubeなどで済ませる人が

多いかもしれませんね。

(私はこれです。)

 

買う人はどうでしょうか。

CDを買う人もいるでしょう。

(私は買うならこれです。)

 

ですが、今なら

i-tunesなどで購入して、

1曲ごとにダウンロードされる方法が

多いかと思います。

 

1曲ごとのダウンロードのメリットは

自分の好きな曲だけを選んで買って、

安く済ませられるところに

あるのかもしれませんね。

 

この傾向が進めば、

ひょっとしたら、

映画のBGM、CMソング、曲の

サビだけを配信するサービスが

出てくるのかもしれません。

 

 

 

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2 文字の場合

 

 2-1 これまでの媒体

1 音楽の場合
2 文字の場合
 2-1 これまでの媒体
 2-2 魅力的なタイトルの向こう側
 2-3 現代は短文化傾向
3 音・文の短縮化
4 今回のまとめ+ちょっと怖い話

 

 それでは文字の場合はどうでしょうか。

 

これまでは、

まとまった文章を読むときの

典型的な媒体は「本」でした。

 

今はどうでしょうか。

現代に生きるみなさんが

活字の文章を読むときといえば、

何を読んでいるときでしょうか。

 

おそらく

紙に活字が印刷された資料を

読んでいるときが多いと思います。

 

紙以外の場合で活字を読むときは

一体どんなときでしょうか。

 

考えられるのは、

①ネットのニュース記事

②ホームページ

③SNS

④メール、ショートメール

⑤ブログ

ツイッター 

といったところでしょうか。

 

みなさんはどれが多いですか。

一日の中で

紙の資料を見るよりも、

スマホやパソコンの画面を

見ている時間が長い、

という人が多いかもしれませんね。

 

 

 

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 2-2 魅力的なタイトルの向こう側

1 音楽の場合
2 文字の場合
 2-1 これまでの媒体
 2-2 魅力的なタイトルの向こう側
 2-3 現代は短文化傾向
3 音・文の短縮化
4 今回のまとめ+ちょっと怖い話

 

①ネットのニュース記事

②ホームページ

③SNS

④メール、ショートメール

⑤ブログ

ツイッター

 

これらを見ていると、

おおまかな傾向を発見します。

 

まず、

「文章が短いものが多い。」

 

③SNS

④メール、ショートメール

ツイッター

は、この傾向にあるでしょう。

 

次に

「文章のタイトルに

 精力が注がれているものが多い。」

 

①ネットのニュース記事

②ホームページ

⑤ブログ

は、この傾向にあるでしょう。

 

時には、

タイトルだけに精力が注がれて、

本文がおろそかになっている場合も

あるように思います。

 

 

私の場合、

まとめ記事やブログの宣伝や

ネット記事を見たときに、

目を引くタイトルを見つけない日は

ありません。

 

 

魅力的なタイトルに

ついつい引き寄せられて、

いざ本文を読んでみると

商品の広告だったり。

タイトルの答えがなくて

単なる問いかけで終わっていたり。

 

「くそー、だまされた。

 時間を返せ~。」

と感じることもよくあります。

 

魅力的なタイトルと落とし穴。

 

このような事態が発生するのは

こんな理由からでしょう。

 

 

文章を書く人としては、書いた以上

どんな目的であったとしても、

自分の文章を埋もれさせたくない。

読む人に素通りされたら意味がない。

 

今はネットとリアルの両方で

活字があふれている時代です。

書いたものは素通りされやすい。

 

書く人としては、

素通りされないよう、

みんなの目を引こうとする。

 

そのために、

短文であるタイトルの出来ばえに

本文以上の並外れた注意を

注いでいるのでしょう。

 

書く人の目的からすれば

至極当然の意識だと思います。

 

 

読み手としての私は、

文字を見たときに

注意して読もうとする

クセがあります。

 

魅力的なタイトルにつられ、

落とし穴に引っかかり

最後の方まで読んでしまいます。

引っかかるたびに、

本当にくやしい思いをしています。

 

みなさんにとって、

このブログ記事がそうなっていたら

すみません。

ですが

このブログは、

本文の落とし穴以前に

そもそも味気ないタイトルばかり。

大丈夫だと思うのですが・・・。

 

 

魅力的なタイトルにつられない、

という例外的なケースは、

有名人のブログ記事の場合や、

知っている人のツイッター・ブログ記事

の場合でしょう。

 

 

そのような記事なら、

読み手としては、 

書き手を知った上で

読みに来ているのであり、

タイトルを重視していません。

だから「引っかかった」とは思わない。

 

ですが、

それ以外の大多数の場合は危険です。

活字を見ただけでは、

本文の内容の濃さを区別できません。 

 

大多数の場合は、 

本文をある程度読むしかない。

それがイヤなら、

タイトルで読み取るしかない。

 

 

その結果、

結局書く人も、読む人も、

短文であるタイトルを重視しています。

 

本文の短文化傾向。

そして、

短文であるタイトル重視。

 

それらをまとめたキーワードは

「短文化」です。

 

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 2-3 現代は短文化傾向

1 音楽の場合
2 文字の場合
 2-1 これまでの媒体
 2-2 魅力的なタイトルの向こう側
 2-3 現代は短文化傾向
3 音・文の短縮化
4 今回のまとめ+ちょっと怖い話

 

このように

現代の文字媒体での特徴は、

「短文化」が進んでいる、

という点があります。

 

スマホやパソコンのモニターで見る

活字の文章は、短くなっています。

 

読む人も時間がないので、

本文は短いものが好まれ、

長い場合には、

飛ばし読みすることが多いでしょう。

 

 

読者の方は、

私のブログ記事でも改行が多いことは

お気づきのことでしょう。

この改行は

スマホを意識しているからです。

 

SNS、ツイッター等をみれば

明らかに短文になっています。

 

文字をなるべく排除した

インスタグラムでさえ

コメント機能が残り、

短文コメントが多数並んでいます。

 

文章の「短文化」。

この傾向はますます進むと思われます。

 

 

 

3 音・文の短縮化

1 音楽の場合
2 文字の場合
3 音・文の短縮化
4 今回のまとめ+ちょっと怖い話

  

難しい話が続きました。

 

話をまとめてみます。

 

私が言いたかったのは、

音楽の世界でも文字の世界でも

CDや本という単位が崩れてきている。

単位が短くなっているということです。

(音楽と文字なら「短縮化」傾向。

 文字なら「短文化」傾向)

 

現代では、

自主出版や自主製作ではなく、

本を出版する、CDを販売する

ということの意味は

昔とは大きく変わってきていると思います。

 

出版社やレコード会社は

コスト計算をし、

シビアな目で

売れるかどうかを吟味します。

「この本、CDは、

 コストをかけてでも売れるのか?」と。

 

その吟味を乗り越えて、

本が出版され、

CDが発売されるということは、

作者と作品に社会的信用が与えられる

ということです。

 

本やCDが売れなくなった現代では、

この「社会的信用の付与」の意味が、

大きいのだと思います。

 

そして、

その種の社会的信用が付与される

文字や音楽は

世の中の全体の情報流通からすれば

ほんの一部でしょう。

 

大変な時代です。

 

 

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4 今回のまとめ+ちょっと怖い話

 

 4-1 今回のまとめ

1 音楽の場合
2 文字の場合
3 音・文の短縮化
4 今回のまとめ+ちょっと怖い話
 4-1 今回のまとめ
 4-2 ちょっと怖い話 

 

この記事で説明したかったことは、

以下の3点です。

 

1 大多数の文字や音楽の流通は、

  本やCDという

  媒体から離れてきています。

 

2 本の出版、CD販売の意味は、

  ごく一部の作者や作品に対する

  「社会的信用性の付与」です。

 

3 媒体から離れた大多数の情報は、

  1文1曲という短縮化傾向があり、

  その傾向は、

  1フレーズだけやサビだけ

  という形で進んでいくでしょう。

 

  

「3つのまとめはわかったけど、

 こんなことは

 みんな知っている話でしょう。」

「それでこの話はどこへ行くの?」

と思った方もおられることでしょう。

 

たしかにここで記事を終わると

ありきたりの話になってしまいます。

 

なので、

みなさんがあまり考えたことがない

(と思われる)話をしたいと思います。

 

 

 

 4-2 ちょっと怖い話

1 音楽の場合
2 文字の場合
3 音・文の短縮化
4 今回のまとめ+ちょっと怖い話
 4-1 今回のまとめ
 4-2 ちょっと怖い話

 

ここまで読み進んだ

根気強い読者の方向けに

考えていただきたい話をします。

 

 

このブログは文字ブログなので、

この話の続きは、音楽ではなく

文字に限って進めたいと思います。

 

 

ちょっと怖い話です。

 

 

今回の記事の話を進めて

考えていきましょう。 

 

 

「本」という媒体から離れ、

短文として、大量に流通し、

今後も流通が拡大する活字の文章。

 

その文章を、

AI(人工知能)のような

人間以外の存在が作成したら、

一体どうなるのでしょうか?

 

 

どうか想像してみてください。

 

 

 

あなたが、

今モニターで見ているこの文章は

誰が書いたのか。

 

 

「もじのすけ」という名前の人間?

それとも、

「もじのすけ」という名前の機械?

 

どちらでしょうか。

 

 

実は区別がつかないでしょう。

 

 

 

「いやいや。これまでの記事で

 娘さんや息子さんの文字の写真が

 あったでしょう。だから、

 もじのすけは人間でしょう。」

という意見があるかもしれません。

 

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http://mojinosuke.hatenablog.com/?page=1474887600#1文字と絵の融合

 

 

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http://mojinosuke.hatenablog.com/entry/2017/02/16/190000#2-1手書き文字の書き手の存在感

 

 

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http://mojinosuke.hatenablog.com/entry/2017/05/19/143000

 

 

ですが、

本当にこれらの写真だけで

「もじのすけ」が人間だと

わかるのでしょうか。

 

機械が、どこかから

子どもの文字の写真を拾って、

適当に写真と文章を

つなぎ合わせただけかもしれない。

 

つじつまが合い、

人間味が感じられるように

組み合わせただけかもしれない。

 

 

「もじのすけ」が人間だと

どうやって読み取りますか。

 

 

 

 

以上で想像は終わりです。

 

 

 

 

 

 

 

 

後味が悪くてすみません。

  

実際には、

人間もじのすけが苦労して

お子様方のご機嫌をうかがい、

承諾をもらって載せていますので

ご安心ください。

 

 

みなさんがネットで読んでいる文章は、

活字のものが多いことでしょう。

 

これまでも、

「活字を見ても

 誰が書いたかわからない」

ということは指摘しました。

活字の匿名性

手書き文字と活字の違い(11) ~書き手の存在感 手書き文字の残留性④~ - もじのすけ の文字ブログ

 

これからは、

みなさんが

ネットの活字の文章を見たときに

「誰が書いたかわからない。」

というレベルを超える事態が

生じることでしょう。

 

すなわち 

今見ているネットの活字の文章は

「人間が書いたかどうかわからない。」

となる。

 

そして、

人間が書いた文章がごくわずかで、

AI(人工知能)が書いた文章が

圧倒的な量で流通する。

 

あなたが朝から晩まで目にする

文章のほぼ全てが

AI(人工知能)作成の文章。

 

そんな時代が

すぐそこまで近づいている、

ということです。

 

個人的には、

早ければあと3年。

多分5年くらいで

そのようになると予想しています。

 

おそらく

文章の「短文化」が進めば進むほど、

AI(人工知能)が

文章を作りやすくなり、

AI作成の文章が出回る時期は

確実に早まるでしょう。

 

AIについて調べようと、 

書店に並んでいる本を読んだり

ネットで見たりすると

議論の重点は、

「AIの進化によって

 人間の労働状況が変化すること」

に置かれています。

 

たとえば 

どこまで機械に任せられるのか、とか。

人間の仕事が奪われるのか、とか。

働かなくても幸せになれるのか、とか。

 

ですが、これらの問題のように 

AIが進化することだけが

怖いのではありません。

 

むしろ 

AIに依存しすぎて

「人間が弱くなる。」

 

特に

普段私たちが考えていることの

元になっている言葉を使う能力、

すなわち

思考の基礎になる「言語能力」から。

 

 

「自分の言葉を

 機械任せにする。」

 

 

こっちの方が怖い。

 

 

「洗脳」とか

「嘘も百回言えば真実となる」とか

あまりよろしくないフレーズが

浮かんできます。


d.hatena.ne.jp

 

ちなみに、

「嘘も百回言えば真実となる。」は

ナチスの宣伝大臣ゲッベルスの言葉

とされているようです。 

ですが、

原典が確認されていないようです。

 

つまり、

このフレーズは、

ゲッベルスの言葉でないかもしれない。

ゲッベルスの言葉だとすること自体、

間違いかもしれない。

 

このことからも、

短文化した活字が媒体から離れ、

主体が不明になっていることが

わかります。

 

 

他にも

東大の大河内一男総長が

昔の卒業式で述べた言葉と意味が

変わりながら広まっていったこと

に触れた

東大教養学部長の式辞があります。

 

ちょっと前に、

「東大卒業式の式辞が深いと話題に」

というニュースで流れたので、

知っている人も多いかもしれません。

本当に深い話だと思いますので、

時間のある方は読んでみてください。

原文はこちらです。

平成26年度 教養学部学位記伝達式 式辞 - 総合情報 - 総合情報

 

 

 

・・・もう何を信じたらよいのか。

訳がわからなくなってしまいますね。

 

私たちが日常で触れる大量の文章。

それは、

ネット上や現実世界の活字。

 

私たちは、

これらの活字の文章を書いた主体が

人間なのか

AI(人工知能)なのか

わからなくなる。 

 

自分で考えたつもりの思考が

機械が作った文章の

受け売りになっていることに

気づかない。

 

そんな事態が起きると思います。 

 

私はこの問題が、

人類の「不都合な真実

だと思っています。

 

だからこそ、

今から考えないといけない。

 

人間がどう対処していけばよいのか、

このブログを使ったりしながら

じっくり考えていきたいと思います。

 

 

 

ちょっとシリアスな話になりました。 

 

この話も

手書き文字と活字の違い(13)

から延々と続いている、

「活字の情報量増加」の話の

流れの中にあります。

 

この話の続きのテーマは、

「大量に出回るAI作成の文章に

 私たちはどう向き合うべきか。」

です。

 

みなさんも

よかったら考えてみてください。

 

 

 

じっくり一歩ずつ進んでいき、

ようやくゴールが見えてきたようです。

 

長文にお付き合いいただき

ありがとうございました。

 

 

 

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政黄牛・郁山主図 (狩野内膳作)

Artist:Kano Naizen (Japanese, 1570–1616)
Artist: Inscribed by Takuan Sōhō (1573–1645)
Period:Momoyama period (1573–1615)
Date:early 17th century
Culture:Japan

Kano Naizen | Zheng Huangniu and Yushanzhu | Japan | Momoyama period (1573–1615) | The Met

 

 

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 http://mojinosuke.hatenablog.com/entry/2017/04/06/130000

 

  

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