【目次】
(2018年1月5日追記あり)
(冒頭の作品)
Nuance
Designer:Dagobert Peche (Austrian, St. Michael im Lungau 1887–1923 Mödling bei Wien)
Manufacturer:Wiener Werkstätte
Date:1922
Medium:Gouache on paper
Dimensions:12 3/4 × 10 3/4 in. (32.4 × 27.3 cm)
Classification:Drawings
Dagobert Peche | Nuance | The Met
もじのすけです。
今日は文字にならないものについてお話ししようと思います。
みなさんは、「文字にならないもの」と言われたら、どんなものを想像しますか。オーケストラの演奏でしょうか、それとも名画でしょうか、写真でしょうか。美しさ、味でしょうか。
そのどれもが正解だと思います。先ほど挙げたもの以外にもたくさんあると思いますが、今日はその中でも「ニュアンス」をご紹介したいと思います。
1 ナニワ金融道の一場面 【ネタバレあり】
いきなりですが、消費者金融(いわゆる「サラ金」)で働く人の目線から見た人間模様を描いた名作マンガ「ナニワ金融道」の一場面をご紹介しましょう。
主人公がつとめる消費者金融会社「帝国金融」の社長と、大阪府警OBの会話です。
2人の会話を文字に起こしてみます。まずは読んで印象を覚えておいてください。
(社長)
「マルチを潰すの3ヵ月後ぐらいにしてもろたらうれしいんやけど」
(OB)
「それなんのこっちゃ?」
(OB)
「分かってるやろそんな約束できんことくらい」
(社長)
「ええ分かってまっせ」
次にマンガのこの場面を引用します。
「ナニワ金融道」(青木雄二著 講談社 1996年) 16巻 第219話「太陽になるんや,灰原!」より
「ナニワ金融道」は大人向けのマンガです。この3コマだけだと、何を話し合っている場面なのか、わかりにくいことでしょう。もう少し場面の説明をしたいと思います。
主人公の灰原達之(はいばら たつゆき)は最後のコマの一番左側に座っています。灰原は「帝国金融」の社員でした。あるとき、灰原はマルチ商法(あまり評判の良くない商法)をやっている枷木(かせぎ)という人物に4000万円のお金を貸します。
この枷木(かせぎ)のマルチ商法は、大阪府警の警察官まで巻き込んで活動してしまい、大阪府警はカンカンに怒りました。そこで大阪府警の中で「枷木のマルチを潰す」という話が持ち上がりました。
1コマ目の左にいるバーコード頭の人が大阪府警OBです。ただのOBではなく大阪府警の刑事部長(大阪府警の事実上のトップ)だった人です。この大阪府警OBは「帝国金融」の社長に通告します。「枷木(かせぎ)にお金を貸しているとしても、警察に刃向かうマルチ商法は潰す。貸したお金が返ってこなくてもあきらめろ。」と。
この大阪府警OBは、それとは別の話題も口にします。社長に、債権回収機構(現実の「整理回収機構」がモデル)のために「帝国金融」の債権回収のノウハウを教えろ、というのです。
消費者金融(サラ金)の「帝国金融」の社長にとって、お客に貸したお金を返してもらう債権回収のノウハウはまさに「メシのタネ」。究極の企業秘密です。いくら警察の頼みでも、たやすく教えるわけにはいきません。そこで社長はこの大阪府警OBに見返りを要求します。
それが「大阪府警が枷木(かせぎ)のマルチ商法を摘発するのを3か月だけ待ってほしい。」という願いです。
「帝国金融」の社長としては、3か月の間に枷木(かせぎ)に貸した4000万円を何とか返してもらおう、という考えなのでしょう。
このように「帝国金融」の社長と大阪府警OBのそれぞれに思惑があります。
この前提知識を入れて、もう一度社長と大阪府警OBのやり取りをじっくりとご覧下さい。
(再掲)
2 文字にならないニュアンス
どうでしょうか。はたして「帝国金融」の社長は、大阪府警がマルチ商法を摘発する時期を3か月後まで遅らせてもらえたのでしょうか。
このあたりが「ナニワ金融道」の面白さの一つだと思います。
ひょっとしたら、大人と子どもで意見が分かれるかもしれません。家に帰ったら、子どもたちに聞いてみようと思います。
正解は
「3か月遅らせてもらえることになった」です。
2人の会話を文字に起こしたものを再び挙げておきます。
(社長)
「マルチを潰すの3ヵ月後ぐらいにしてもろたらうれしいんやけど」
(OB)
「それなんのこっちゃ?」
(OB)
「分かってるやろそんな約束できんことくらい」
(社長)
「ええ分かってまっせ」
どうでしょうか。
この文字だけの会話を読んで、3か月遅らせる約束ができたと自信を持って感じることができる人がいるでしょうか。
私は、ほとんどいないと思います。いるとしても感受性が強いごく少数の人だと思います。
それでは、もしこの場にいた誰かがこの場面の音声をレコーダーに録って、後でみなさんがこの会話を音で聞いたら、どのように聞こえるでしょうか。
恐らく、音声を聞いても、これで3か月遅らせてもらえる約束ができたとは感じにくいでしょう。
それでは、誰かがこっそり隠しカメラを置いておき、この2人の会話を撮影して、後でその映像をみなさんが見たらどうでしょうか。
2人の話し方や表情を見ると「ああ、これは3か月遅らせる約束ができたな」と感じられるかもしれませんね。一番多いのは「ああ、これはたぶん約束できただろうな。このブログを読むだけなら、そう言えるな。でももし『証明してみせろ』とか言われたら難しいから、もし現実の生活で判断を迫られたら、大っぴらには断定しないでおこう。」という人かもしれませんね。
これに対し、音声無しの映像だけで「約束があった!」と断言できる人は、かなり感受性の強い人でしょう。
・文字だけではわかりにくい
・音声だけではわかりにくい
・音声付きの映像だとわかるかもしれない
この違いはなんでしょうか。
2人の会話の間(ま)、声の大きさ、声のトーン、言い方、そして2人の表情。それらの組み合わせが大きいと思います。
他にもあります。2人の感情、座っている距離、2人の人間関係、この会話の話の流れ、2人の立場などなど。
これが「文字にならないニュアンス」です。
このなんとも言えない雰囲気を、マンガでは、コーヒーにミルクを入れたような独特の背景で表現しています。見事です。
ちなみに昨年から問題になった「忖度(そんたく)」。「忖度」とは他人の考えをおしはかること、またはおしはかって行動すること、です。「忖度」もこのニュアンスに関連する話題なのでしょうね。
忖度については政治的な問題になっていますし、「忖度したのかどうか」「仮に忖度した人がいたとしたら社会としてどう評価すべきなのか」など難しい争点がありますので、ここでは検討しません。
(2018年1月5日追記)子どもの回答
上の子ども(小3)に、「帝国金融」の社長と大阪府警OBのやり取りを見せました。文字だけの場合も、前提を読んだ上でのマンガの場合も「約束はしていない」という結論でした。
私が1コマ目、2コマ目の背景が何とも言えない柄になっていることを指摘すると、ちょっと考えた末に、やはり結論を変えませんでした。
子どもは、セリフを含め書かれた文字のとおりに読む傾向があるように思いました。小学校で国語の力をつけていくのであれば、まずは書かれたとおりの文意を理解する必要があります。今回のようなニュアンス(行間)を読めるようになる(≒大人になっていく)のは、直接の文意が理解できるようになってからでよいと思います。
文字・絵を踏めるかどうかについても、あれこれ考える大人とは違い、子どもは指示に素直に従う傾向があります。お時間のある方は下の記事をどうぞ。今回もその傾向が表れたようです。
大人が子どもにはっきりと意図を伝えたいときは、含みを持たせた言い回しではなく、明確に伝えた方がよい。それが子どもにとってはわかりやすいのだ、と改めて感じました。
3 文字のまとめの危険性
最近、テレビ番組の文字起こし記事が多く見られます。
記事を読む側としては、テレビ番組を時間をかけて視なくて済み、短時間で番組の内容が把握できるので楽チンです。記事を書く側としては、テレビを見てその内容を記事として書けばよく、本人に取材したり撮影現場に行かなくてよいので、これまた楽チンです。
かくいう私もよく文字起こしのまとめ記事を見ます。元のテレビ番組の内容が端的にまとまっているなあ、と感じることが多いです。ですが、出演者の発言の意味やニュアンスがわからない記事だなあと思うことも多いです。
文字だけを読む。そうすると、ニュアンスがちょっと違う程度であれば、まだ笑ってすませられます。
ですが、今回のようにニュアンスの違いが把握できない結果、「約束があったのか、無かったのか」の結論を勘違いすることさえあるのです。
もっとこわいのは、自分が結論を勘違いしたと気づかないままでいる、ということです。
(1)全ての情報を疑ってかかれば時間がいくらあっても足りない。反対に(2)他の人がまとめたものを全て信用すると結論すら間違って把握してしまうときがある。
(1)入ってきた情報は疑ってかかる
(2)他人がまとめたものを信用する
この二つのバランスが大事なのでしょう。
ただ、今どき(1)全ての情報を疑ってかかる人 はいないでしょう。そこでこの記事では、(2)まとめを信用しすぎると危険 ということを強調しておきたいです。
このように「文字起こしのまとめ記事を信用しすぎると危険ですよ」という話をすると、みなさんの中には、「ああ、知ってる知ってる。よく聞く話だよね。」と思った人がいるかもしれません。
ですが、よく考えてみてください。このもじのすけの今回の記事だって、「文字にならないニュアンス」の話をほとんど文字で書いています。
はたして私の「この記事」は本当のことが書いてあるのでしょうか。
わけがわからなくなってきましたね。
文字起こしの記事に限らず、他人が文字にまとめたもの(つまり他人の文章)は、時々は疑ってかかるか、自分なりのツッコミを入れる、という形で読んだ方がよいですよ、ということが言いたかったのでした。
多くの人が現実的にしている対応は「読み流す」ことでしょう。ですが、それに慣れてしまうと文章をじっくり読むことができなくなります。久しぶりに紙の本を読んだときに、頭がすぐに疲れてきて本を閉じたくなったりしませんか?
「読み流す」のも大事ですが、考える力を維持するためには、他人の文章に対して疑ってかかったり、ツッコミを入れるのがいいでしょう。
疑ってかかったり、ツッコミをいれるのには、プリントアウトしたりして紙のものに書き込むのが一番効果的だと思います。
紙のものへの書き込みをする方法について検討した記事はこの2つです。お時間のある方はどうぞ。
ちなみに似たような話として、同じ文字でもニュアンスが違う、という場合があります。活字と手書き文字の違いです。「同じ文字でも活字と手書き文字でニュアンスが違うので気をつけましょう」という記事はこちらです。こちらもお時間があればどうぞ。
「活字離れ」というキーワードがありますが、私たちは実際には大量の文字を目にする「活字まみれ」の時代に暮らしています。そのことについて書いた記事はこちらです。
文字には意味があるので、ついつい引き込まれてしまいます。私のような活字中毒の人間やスマホで文字をたくさん読んでしまう人は、文字の格好の餌食といえるでしょう。
今回はニュアンスを例にした「『文字にならないもの』がたくさんあるので、文字には注意してください!」というお話でした。
文字ブログの中で、文字について主に文字で説明しておきながら、こんな注意をするのもおかしいですね!これも文字の奥深さの1つということなのでしょう。
長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。
申し遅れましたが、本年もどうぞよろしくお願いします。
[The Nile in front of the Theban Hills]
Artist:John Beasley Greene (American, active France, 1832–1856)
Date:1853–54
Medium:Salted paper print from paper negative
Dimensions:Mount: 18 7/16 × 24 1/8 in. (46.9 × 61.2 cm) Image: 8 3/4 × 11 7/8 in. (22.3 × 30.2 cm)
Classification:Photographs
John Beasley Greene | [The Nile in front of the Theban Hills] | The Met
上杉謙信の手書き文字から作った
「けんしんフォント」無償公開中
【ダウンロードはこちら】
↓
http://mojinosuke.hatenablog.com/entry/2017/04/06/130000
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